隠徹
「そういえば落ち着けるところって言ってましたけど、どこがいいんですか?」
教室を出たところで私は青山さんに尋ねる。
このまま目的地も知らされずにこの広いキャンパスを歩かされるのは避けたいところだ。
私の質問に、青山さんは唇に手を当てて考えるような仕草で「んー」と言って、
「ウチでいいんじゃない?」
「ウチ!?」
突然大きな声をあげたことに驚いたのか、となりにいた白嶺さんの肩が震える。
「あ、すいません。いきなり大きな声出して……」
一言謝って、私は青山さんへと振り返る。
「あの、ウチっていうのは青山さんの家……ということでいいんですか?」
「他にどこがあるの?」
「いいんですか? 白嶺さんを招いてしまっても」
「それにあそこ以上に落ち着けるところって、この学校にはないでしょ」
もしも落ち着けるイコール安全という意味で考えるなら、それは間違いないだろう。青山さんの家は学校どころかこの街で一等――この国の中でも10本の指に入るレベルで安全な場所だ。
だけどあそこは私と青山さん以外誰も入れないからこそ安全な場所なのであって、もし第三者を招いてしまえば直ちにその安全性は瓦解してしまう可能性もある。そんな危うい場所。
果たして本当に白嶺さんを招いてもいいのか悩んでいると、
「ねえ、あれ誰?」
「え?」
青山さんの言葉に振り返ると、彼女の指の先で白嶺さんが誰かと談笑しているのが見えた。
白嶺さんと話をしている相手は、グレーのスーツに丸眼鏡をつけた
私たちのことを思い出したのか、白嶺さんがこちらに向かって手招きする。私は再び彼女の元に引き返した。
「今丁度ここですれ違っちゃってさ。私のクラス担任の隠先生。もしかして千鶴も知ってるかな?」
「はい。授業で私もお世話になっていますから」
白嶺さんと話をしていた男性の顔には見覚えがあった。
温和な性格で生徒からの好感も高く、人気の教師だったと記憶している。
「そっかそっか。それじゃ怖がりでホラーが苦手ってことは知ってる?」
「それは初耳です」
「春にあった懇親会で、クラスのみんなで選んだ映画を見たんだけど、それがどういうわけかホラー映画になっちゃってさ、隠先生教室の隅でずっと目をつぶってたんだよ」
「万端さん。あまり僕のことを言い触らさないように」
楽しそうに話す白嶺さんに隠先生が照れたように小さく咳払いをする。その拍子に彼が手にしていたビニール袋が揺れた。印字されているロゴを見るにどうも学校の購買のものらしい。
「先生はお買い物ですか?」
白嶺さんに聞かれて、何故か隠先生は慌ててビニール袋を自分の背中に隠す。
「あー、そう。授業で使うものをちょっとね。それより君たちはどうしたの? 珍しい組み合わせだけど」
まるで話を逸らすようにして、隠先生が興味深そうに尋ねてくる。
クラスも違って、あまり会話しているイメージがない私と白嶺さんが一緒というのが珍しかったのだろう。
さて何をしているかと言えば、『白嶺さんの電脳空間で起きた侵入事件の捜査をするべく青山さんの家に向かっている最中』というのが正答なのだが、これを隠先生に言ってしまっていいものなのかどうかかなり難しい。どうしたものか迷っていると、それまで黙っていた青山さんがあっさりと明かしてしまった。
「実はここだけの話、プライベートスペースの電脳空間に侵入事件がありまして」
「侵入事件って!」
隠先生はぎょっとしたような顔をして、それから心配そうな目で白嶺さんを見つめる。
「それ今初めて聞いたけど、大丈夫なの万端さん? 誰か他の先生には言った?」
「まだです。まずは私が調査しようと」
「え?」
割って入る青山さんに隠先生が振り向く。
おそらくふたりは面識がないのだろう。彼は不思議なものを見るような目で青山さんをまじまじと見つめる。
「君は?」
「2年の青山薫です。先生の授業は受けたことがないので、これがはじめましてですかね?」
「……君が調査を?」
胡散臭そうな声をあげる隠先生に青山さんは肩をすくめる。
「ご安心を。この手の事件は得意分野なんですよ」
「得意分野って……」
困惑した様子の隠先生に白嶺さんが身を乗り出すようにして言う。
「先生知らないんですか? 青山先輩は1年生の頃からこの学校の電脳空間で起きた色んな事件を解決してる有名人なんですよ?」
目を輝かせる彼女に隠先生は腕組みをして困ったように首をかしげる。
「……まあそういうことならひとまず君に任せるけど、何かわかったらすぐに僕に連絡するんだよ?」
「ええ、もちろん。いの一番にお知らせします」
青山さんは笑って静かにうなずいた。
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