第13話 怠惰の金曜日

 絶好の決戦日和だ、今日は。相手は今世紀最強の敵、前の席に鎮座している小柳だ。対するこちらは1人ではない。私だけではなく、最高の仲間がいる。これほど心強い者はいない。と言っても実際に戦うのは私だけだ。大丈夫だ、彼女には勝利の報告をしよう。あのあと彼女と作戦を練り上げた。

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「ねえ、小柳くんって本当にゆっくりやってるだけなのかな」

「え?」

「だって、掃除がなかったら真っ先に部活に向かうような人なんでしょ?」

「えぇ、そうですね」

「掃除があったからと言ってそんなあからさまにサボるようなことするかな」

 確かに、言われてみれば何か訳があるのかもしれない。しかしそれは小柳本人に聞くこと以外で確かめようがないのだ。

「確かに、昨日代役を申し出た時に、少し悩んだ挙句、俺は掃除をするって言って断られました、彼のことだから食い気味で同意されるかと思ってました」

「なるほどね、これは本人に聞いてみないとわからないね」

「はい、そうですね」

「じゃあ、聞いてみようよ」

「・・・え?」

「聞いた感じ小柳君、そんなに悪い人じゃないような気がするんだよね、多分知らないだけなんだよ。その人を知るためにはその人を知る努力をしなきゃだめなんだよ」

 あいつのことを知りたいなんて微塵も思わなかった、発想すらしなかった。やはり彼女は私とは違うようだ。私にはないものを持っている。これが共に戦うということか。

「そう、かもしれないですね」

「きっとそうだよ」

 あれやこれやと考えたが答えは結局シンプルだったのかもしれない。テストでもそうだ。相手のことを知らなければ対策のしようもない。それはきっといかなる戦いでも変わらないのだろう。いや待てよ、これでもしうまくいってしまったら私の努力はどうなるのだ、果てしない馬鹿野郎じゃないか。作戦B1とかほざいていた過去の私が不憫でしょうがない。こういう時に1人語りは便利だ。傷つくのはも傷つけるのも私だけだ。まあでも、あの経験があったからこそ、今の私があるのだろう。きっと必要な挫折だったのだ。

「もっと」

「ん?」

「もっと早く、あなたに相談すれば良かったと、心底思います」

「へへ、そうでしょそうでしょ」

「どんなもんだい!」

「ありがとうございます、もう大丈夫な気がします」

「うん、きっと大丈夫だよ」

 今前に座っている小柳がどんなやつなのか、私は知らなかった。知らないが、勝手に自分の中で彼の評価を下していた。それは実にふざけた話だと今は思う。人を見た目で判断してはいけないと何度も聞いた事がある。そんなことはしないだろうと勝手に思っていた。私は実に自分勝手な生き物だ。しかし小柳からすれば私がこんな思考を巡らせていることを当然知らないし気にも留めないだろう。しかし、それでいい。その方が私も気楽だ。

 授業が全て終わり、ホームルームになる。ドキドキしてきた。しかしこのドキドキは昨日のそれとは違う。ワクワクした感情も入り混じっている。ドキドキ7割ワクワク3割、こんな感情は初めてだ。人に話しかけるのは勇気がいる。私は人に話しかけるのが苦手だ。特に話しかける瞬間が、だ。第1声をその人に投げかけた時の最初の反応を見るのがとても怖いのだ。多くの場合、予測していない人間に話しかけられるとその人の素の反応を見る事ができる。その時に怪訝な反応をされてしまったらそれはもうすなわちその人が普段私のことをどう思っているかを明確に示唆しているということだ。その瞬間を味わうのが嫌だから基本的には話しかけない。しかし小柳は少し違う。彼のことを考えすぎたせいか、もう話しかけることに抵抗はさほど感じていない。大体昨日も1度話しかけている。それよりもこの男のことを知りたいという欲の方が勝っているのかもしれない。さあ、決着をつけよう。

「ありがとうございましたー」

例の如く、机を1番後ろに退けた。さあ、試合開始だ。

「小柳君」

「ん?なんだ?」

「小柳君、いつも部活がある時は急いで教室を出ていくじゃん?」

「あぁ、そうだな、部活は今日もあるけどな」

「そう、それなんだよ」

「どれだよ」

「どうして掃除がある週は急がないの?」

「急ぐも何も、掃除は掃除だろ、ちゃんとしなきゃ」

「掃除は掃除・・・」

「俺さ、テニス部の副部長なんだよ」

「副部長・・・そうなんだ」

「3年生に部長がいるんだけど、その人、実力もあって人望もあって誰もが認める部長になったんだけど、家庭の事情でめちゃくちゃ忙しい人なんだ。それで、部活も毎日来れる訳じゃないんだ。部活に来れなくても毎日家で自主練はしてるはずなんだけどね」

「そうなんだ・・・」

「それで、部長が来れない時があるから俺が代わりに誰よりも先に行って部室の鍵を借りて、ネットやボールの準備とかやってるんだ」

「そ、そっか」

 なるほど、やはり勝手な評価を下すのはお門違いだったようだ。むしろ逆だった。周りの人間のことを考えられる、素敵な人間ではないか。部員のことを考えるあまり、後ろの私のことを威嚇して机を早く下げさせていたのか。でも許さない、怖かったし。

「でも、それなら掃除はどうして?尚更早く終わらせて部活に向かう方がよくないかい?」

「そんなの決まってるだろ、俺の性分だよ」

 流石にわからなかった。性分?掃除をサボる性分ということか?だとしたらやっぱりさっきの評価は覆るのではないか。わからないぞ、弄んでいるのか。

「俺さあ、部活でも家でも、掃除はちゃんとしたい質なんだよ、でも、めちゃくちゃ遅いんだよ。気になるとどうしようもなくなって、ずっと同じところを掃除したりするんだ。そういうやつ、いるだろ、俺もそうなんだよ」

 なるほど、ひとつ分かった事がある。私は人を評価する事が尽くヘタクソだ。彼女に関しても小柳に関しても勝手な判断を下して見誤っている。しかし考えてみれば当然といえば当然のことなのだ。その人がどういう人かなんてそう簡単にわかるはずがない。ましてや小柳なんて、ろくに話したこともないのだ。わかるはずが無い。だから分かりに行こう、知りにいこう、自ら、知りたいと思うそのシンプルな感情に従って。案外、何事も1人で考えているよりも周りの誰かを頼る方がうまくいくのかもしれない。ひとりで悩んでいた時間はもうサヨナラだ。そしてひとつ、彼に言わなければいけない事がある。

「そうだったんだ・・・あの、ごめん」

「ん?何が?」

「小柳君、いつも部活には一目散に行くのに掃除はやたらゆっくりしているのから、面倒なことは適当にサボっているのかと思ってた。一昨日もよくわからない掃き方してたし。」

「あぁ、あれはどうやったら綺麗に効率的に掃けるかを試してただけだから、そのせいでかえって遅くなっちまったよ」

「なるほど・・・」

「でも昨日はお前の机運びの方が遅かったけどな」

「あれは・・・小柳君に引いたんだよ」

「はあ、そりゃどういう意味だよ」

「なんでもない」

「変なやつだな」

「お互い様だと思うけど・・・」

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「遅かったね」

「はい、結局遅くなっちゃいました」

「でも、なんかスッキリした顔してるね、昨日より断然」

「そうですか?」

「うん、早く終わらせることはできなかったけど、うまくいったって感じ?」

「はい、やっぱり、自分が思っているよりはるかに彼は素敵な人でした」

「そっか」

「自分が勝手にそう思っていた、そう見ていただけだと思います。話してみないとわからないものですね」

「そうだね」

「あなたのことも、話さなかったらわからなかったと思います」

「じゃあ、今は分かってるの?」

「そうですね、少なくとも悪い人じゃないです、自分にとって」

「そっか」

「はい」

「そういえば、聞きたい事があるって言ってませんでしたか?」

「あ〜、そうだね」

「なんですか?聞きたいことって」

「それはね」

「はい」

「どうして、名前を聞いてこないの?」

 彼女に出逢って、私はいくつかの知らない感情を知った。毎日毎日が新鮮な日々だ。彼女と話していると自分にないもの、知らないものを自覚できる。それを心地良く感じていた。今回の1件で人を知るということを知った。人を知るためには自分の中で完結せずにその人に触れてみる、関わってみる事が大切なのだ。そしてその過程で躓きそうなら頼ればいい、頼れる仲間がいるなんて、こんなに素敵なことはない。それすらをしないで人を知った気になっているようでは怠惰が過ぎるというものである。それはもはや罪と言えよう。では、ここでひとつ気になる事がある。果たして、私は彼女のことを知っていると言えるのだろうか、再度自分に問いかけてみた。




  


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