第22話 親友

 両肩を揺らされてる。昨晩の夜更かしのせいで居眠りをしてしまっていたようだ。珍しいことではないけど。私が居眠りをした時、こうやって私を起こすのはいつも決まってミサキちゃんだ。


「綴、次体育よ。早く着替えないと遅刻しちゃう」


 そうだった。慌てて目を覚ます。確か今日はマラソンだったっけ。こんな夏に長距離走らせるなんて、うちの体育教師は何を考えているのだろう。

 クラスメイト達と連なって更衣室に向かう。休憩時間は短い。みんな急いで制服を脱ぎ出す。

 高校生ともなると、みんなもう大人の身体だ。身長はもちろん、全身のシルエットが私とは違う。胸は大きく膨らみ、腰はきゅっと締まって、お尻は女性的な曲線を描いている。みんながみんなそうであるわけじゃないけど、少なくとも私なんかよりはずっと色気がある。こうして見比べるとはっきりとわかる。これが大人と子どもの違いか。同じ歳なのに。


「綴? どうしたの?」


 ミサキちゃんの下着姿をじっと見つめる。二の腕と太股にうっすらと浮かぶ日焼け跡が健康的である。よく引き締まった身体は決してグラマラスではないけれど、女性的な魅力は十二分にあると思う。

 神様仏様、高望みはしません。私もせめてミサキちゃんくらいでいいから胸が欲しいです。


「なんか失礼なこと考えてない?」


 私にはそれすら皮肉に聞こえるよ。ああ、泣きたい。

 高校生になったら少しくらい成長すると思ってたのに、Aカップくらいは期待してたのに。私の体は露ほども向上心がないらしい。


「あたしはそれも魅力の一つだと思うけどねー」


 そうは言うけどミサキちゃん。私の場合膨らみがほぼないんだよ。二次性徴の二の字も出てきてないの。

 そんな胸中などどこ吹く風、ミサキちゃんは楽しそうな笑顔で人指し指をくるくる回す。


「ほら、小さい方が感度いいって聞くし」


 他人の感度を知らないから何とも言えないけどね。


「ねぇ綴」


 だしぬけに、ミサキちゃんが私の耳に口を寄せる。息がくすぐったい。


「昨日、例の彼氏のとこ泊まってたんでしょ?」


 他のクラスメイトに聞こえないよう、ほとんど吐息のような声で言うミサキちゃん。私に彼氏がいることを知っているのはミサキちゃんだけだ。大学生と付き合っているなんて話が広まると、いらぬ詮索を受けることになる。平穏な高校生活のため、なによりニコのため、恋人の存在は隠し通している。

 ミサキちゃんにだけ教えているのは、信用できる一番の親友だから。と同時に、親へのアリバイ工作を手伝ってもらう為というちょっと後ろめたい理由も含まれている。


「どうだった?」


「へ?」


 私は首を傾げる。どうだったと聞かれても、何がどうなのか。


「白々しいわねもう。あたしの聞きたいことは解ってるでしょ?」


 にやりと口角を吊り上げ、私の頭をがっちりとホールドするミサキちゃん。


「若い男女が一つ屋根の下。やることは一つでしょーが」


「ミサキちゃん、その発想はうら若き乙女としてどうかと思うな」


「はいはい。どーせあたしは処女ですよーだ」


 そういうことじゃなくて。

 まあこれがミサキちゃんなりの励まし方なんだろうな、なんて思いつつ、いつか大人っぽいランジェリーなんてものをつける日を夢見て、私はマラソンに臨むのだった。





「綴、ちょっといい?」


 昼休みもたけなわ。お弁当を片づけてすぐ、ミサキちゃんに手招きされる。

 なんだろう。と、連れてこられたのは校舎別棟二階の廊下。別棟には理科室や音楽室みたいな特別教室がある。職員室がある一階以外には、滅多に人が来ないところだ。

 ミサキちゃんは窓から中庭を眺めている。


「あのさ……ちょっと聞きたいんだけど」


 私は背が低いことを活かして彼女の顔を覗きこんだ。


「綴から見てさ、あたし、いけると思う?」


 何が? と聞こうとしてすぐに思い当たった。ミサキちゃんが想いを寄せている津々井君のことだ。いける、というのは告白が成功するか否かってことだろう。私はうーんと唸ってみる。


「どうだろうね」


 ミサキちゃんと津々井君は仲がいいけど、友人以上に見えたことはない。出会って数カ月にしてはよく打ち解けているから、まったくの脈ナシでもないんだろうけど。

 ミサキちゃんが私を見る。


「友達以上恋人未満ってとこ?」


 私は曖昧な仕草で応えた。正直、そこまではいってないと思う。というか、そこまでいってたらもう決まったも同然だ。あとは決められたルートを辿るだけ。消化試合みたいなものだろう。

 客観的な視点から見るに、


「五分五分ってところじゃないかな」


「五分五分……」


 中庭を見下ろすと、ベンチで寄り添うカップルが目に入った。校内恋愛厳禁なのによくやるものだ。ミサキちゃんの恋愛を応援する私が言えた義理じゃないけども。


「タイミングも大事だけど、ありのままの想いをぶつけるのもいいんじゃないかな。ミサキちゃんなら、むしろそっちの方が効果的な気がするよ」


「どうして?」


「ミサキちゃんは、なんでもそつなくこなすから」


 ベンチのカップルが生徒会役員に怒られている。あーあ、見つかっちゃった。

 ミサキちゃんは黙り込んでしまった。虚空を見つめて考え込んでいるようだ。考えることなんて何もないのに。恋愛は考えたら負け。どうせ頭の中じゃ答えなんて出ないんだからさ。


「よし」


 ミサキちゃんが語気を強めて言った。


「告白するわ。ずるずる先延ばしにしてもみっともないしね」


「おー。その意気だ」


 決意に満ちた目で、ミサキちゃんは拳を握った。


「今から?」


「や……今からはちょっと……もうすぐ授業始まるし」


「じゃあ放課後とか?」


「放課後は部活があるし……終わるまで待っててもらうのも悪いし」


 ミサキちゃんの背中が丸まっていく。舌の根の乾かぬうちからずるずる先延ばしにしてる。この調子だといつになることやら。


「じゃあ今決めちゃおう。こういうのはきっちり決めとかないと」


 何かしら理由をつけて後回しにしちゃうのは目に見えてるし。


「えっと、それじゃあ。次の日曜日に遊びに誘って、その帰りに」


「いいと思うけど、もし津々井君に予定入ってたらどうするの?」


「そうなったら、また次の機会に」


「ってなるねやっぱり」


 しゅんとなるミサキちゃん。彼女の色恋沙汰には初めて立ち会うけど、てんでだめだめだ。いつもの積極性はどこに隠れたのか。


「そうは言うけど、だったら綴はいつが良いと思うのよ」


 私なら部活を休んででも今日告白する。けど、ミサキちゃんの部活に対する意気込みは私とは違う。期待もされているようだし。でも考えてみれば、校内で告白しなきゃいけないってこともないんだから。


「部活終わってから家に行くのがいいんじゃないかな?」


「けど……」


「けどじゃないの」


 大方、家族がいるから云々とか考えているんだろう。だからどうしたって話。私はミサキちゃんの腕をぐっと握った。


「津々井君のこと好きなんでしょ! 付き合いたいんでしょ! だったら、家に押し掛けるくらいの度胸見せなさい!」


「しー! 声大きいって!」


 ミサキちゃんは慌てて周囲に目を泳がす。大丈夫、誰も聞いてないって。


「どうしたら綴みたいに強気になれるんだろ」


 怒っているのか困っているのか。そんな表情を浮かべるミサキちゃん。


「でも、綴の言う通りね。うん。部活が終わったら、真っ直ぐマサアキの家に向かうわ」


 そうこなくちゃ。

 ミサキちゃんがやる気になってくれたのはいいけど、ちょっと誘導しすぎたかな。いや。私は首を振った。これくらいしないと、いつまでたっても進展しそうにない。


「けど理想を言えば、下校中に会えるのが一番なんだけど。そしたらその時に言えるのに」


 ぽつりと、ミサキちゃんが呟いた。

 それは無理でしょ。ただでさえ部活が終わるのは完全下校時刻ぎりぎりなんだから。


「ま、生徒会にはくれぐれも気をつけてね」


 予鈴が鳴った。授業開始五分前だ。


「戻ろっか」


 私は教室への一歩を踏み出す。


「あ、綴。もう一個だけ」


「なに?」


 振り返った私に投げかけられたのは、実にミサキちゃんらしい問いだった。


「実際のとこさ、セックスって気持ちいいの?」


 いやはや。

 それを語るには、とても五分じゃ足りないよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る