第8話


 私の頭の中には沢山の部屋がある。


 区切られた部屋には私の中で生まれた人格が生活している。

 その部屋から中心にあるステージへと移動した人格が私の体を操る。

 人格一つ一つには違いがあって、得意なことや苦手なことがある。

 それら全てを分担しているような感覚に近い。


 望月さくらとしては成し遂げることができなかったはずの事も別人格に頼り上手くやってきた。

 

 友達の前での私、職場での私、家族と一緒にいる私

 見た目が同じでも、私であって私じゃない。

 本当の私は私自信が消した。

 消したかったから、必要なかったから、変わりたかったから、自分が嫌いだから。

 別人として私は生きたかった。


 キラキラ輝くあの子のように、

 誰からも愛されるあの子のように、

 自分を持った強いあの子のように。


 そう強く願ったからこうなってしまったのか…

 だとすれば、私の希望は叶ったのだろう。


 そう、病気を発症して別人格として生きるようになった私の人生は180度変わった。


 地味で冴えない白黒の私の人生は、明るくカラーのついたキラキラとした人生へ変わっていたはず。

 今まで見たこともない想像するだけの世界が目の前に広がって、そこで私は輝いていた。


 沢山の友達に囲まれて、私を愛してくれる人もいて、

 大手の会社への内定も誰よりも早く決まって、

 みんなが私を必要としてた。

 必要とされている自分が好きだった。

 私は初めて自分を好きになれた。


 だけど、社会人になるとそれらは一変した。

 

 求められることが今までとは180度違って、

 キラキラとした姿は年上の女性からは良く見られず、

 男性からは変な目で全身隈なく舐め回すように見られる。


 求められる事が変わった事がきっかけになり、

 私の中では何かが少しずつ変わり始めた。

 そして求められたい、必要とされたい一心で頑張った結果、

 私は壊れた。


 コントロール出来ていたはずの人格が制御不能となり、求めていない場所で勝手に顔を出す。

 閉じ込めていたはずの私の中の凶暴な人格は、水を得た魚のように生き生きと、

 私がこれまで作り上げてきた物を一瞬で崩していった。



 SNSを開くと楽しそうにキラキラ輝いている友達。

 いつも一緒だったはずなのに誘われていない私。

 まるで最初から友達じゃないみたいに、私の存在は消された。


 通知が来ていたSNSのメッセージを開くと、

 見覚えのないやりとりがそこにはあって、

 その中の私はありえないほど酷い言葉で友達を侮辱していた。


 私じゃない。

 そう訴えても一度失った信頼は二度と戻らない。


 自分のせいで大好きな友達を失った。



 会社に着くと周りからの視線が鋭く痛い。

 ひそひそとされる会話に耳を傾けるが、自分の心臓の音が邪魔で何も聞こえない。


 部長に呼び出され別室へ行くと、

 昨日の事を説明するよう激しく追及された。


 昨日の事など覚えていない。

 気が付くと家にいて制服のまま床に倒れていたから。


 言葉発せずにいる私に、部長は黙って映像を見せた。

 そこに映っている私は、見ていて恥ずかしいほどに汚い言葉で上司に詰め寄り、暴れ、挙げ句の果てに黙ってその場を去った。


 その現実に、私はただ謝ることしかできなかった。


 そしてやんわりと伝えられた言葉の意味を汲み取り

 自主退職を申し出た。

 もちろん私の病気の事は伏せたまま、一身上の都合として。



 友達も仕事も失った今私に残ったのは、

 孤独感、そして社会からの疎外感だけだった。



 そして何も手につかず、日に日に生きる気力を奪われていくなか、

 一つの希望の光が見えたのは、通っている病院の担当医から紹介された

 【結城】 とゆう先生だった。

 精神科の医師であり、解離性同一性障害の研究をするスペシャリスト。


 これが最後の頼みの綱なのかもしれないと思った。

 照らされた光に歩み寄る以外に、もう道はないと。


 早速、翌日に会いに行くことにした。


 仕事を辞めてから今まで、朝早い時間に外に出ることがなくなった私は

 薄く透き通った青い空、気持ちのいい朝の匂い、鳥の鳴き声が懐かしく、とても心地よかった。


 駅まで歩く足取りは意外にも軽く、

 久しぶりの朝の空気に体が喜んでいるような、そんな感覚だった。


 電車に乗って40分、さらにバスに乗り換え15分の 

 緑豊かな町の山奥でバスを降りた。


 しっかりした門をくぐり、木々が生い茂る長い道を抜けると

 目的地となる建物が目の前に現れた。


 白い壁は薄汚れ、壁には何重にも巻かれたツタ。

 入口以外に立てられた、建物を覆う3mを超える高いフェンスが、

 異常な雰囲気を醸し出していた。


 どこからか聞こえてくるうめき声や悲鳴のような声、

 フェンスの奥ではただただ一点を見つめる人、

 そして私を見つけ手招きする人。


 重度の精神疾患の患者が入退院を繰り返す場所との異名の通りの光景に、異世界に来たような感じだった。


 「ギィー」と嫌な音をたてながら開けた入口には、

 誰の姿もなく、「すみません」と声をかけると

 奥から一人女性がやってきた。


 怖かった表情も一瞬で笑顔になり

 「遠かったでしょう」と優しく声をかけてくれた。


 受付を済ませた私はソファーへ座り、 

 外から見た雰囲気とは真逆な空間に辺りを見回す。


 心地良い音楽に癒されるアロマの匂い、

 掃除の行き届いたとても綺麗な院内は居心地の良さまで感じられる。

 

 でも不思議と患者は私一人。

 受付の人以外に人がいる気配すらない。


 そんな事を考えていると背後から男性の声がした。

 振り返ると優しそうな人が立っていた。


 「初めまして、望月さん。医師の結城です。早速ですがお部屋、ご案内しますね」

 と、笑顔で話してくれた。


 結城先生の後ろをついて歩き、案内された部屋へと入る。

 そこはまた、さっきまでいた所とは雰囲気が変わり

 より落ち着く場所になっていた。


 一人がけのソファーは今まで出会った事のないようなフィット感に、良い物だと一瞬で分かるくらい。


 早速始まったカウンセリングは、今まで受けてきたものとは違い

 ここまでの移動手段や世間話、他愛もない話がメインの軽いものだった。


 優しい表情で優しい声かけで話を聞いてくれる結城先生に、心を開くのに時間はそれほどかからなかった。


 自分の事を話すのは得意じゃない。

 口から出る言葉は全て、弱くて何も出来ない自分を映し出しているから。

 私は誰かに自分のことを話すのを極力避けて生きてきた。


 でも結城先生には聞いて欲しいとさえ思った。

 私がどうゆう人間で、どうやって生きてきたか、

 どうしてこうなったのか、全てを知って欲しい。

 きっと受け入れてくれるはずだと。


 出会ってまもない人に、こんな気持ちになる事は初めてだった。


 家族のこと、友達とのこと、好きなこと、嫌いなこと。


 気が付くと数時間が経ち、出されたコーヒーはすっかり冷め切ってしまっていた。


 次の予約を1週間後に入れ、来た道を戻る。


 1時間に1本しか来ないバスに乗り遅れないように注意しながらも、周りの景色を楽しむ余裕もあり

 あれほど長く感じた道のりは意外にも早く終わりが来た。


 家に帰り着いた私は、長い外出だったにも関わらず

 行く前よりも体も心も軽く、調子が良い気がした。

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