第2話

  1月28日 23時49分 三居土博物館 大展示場



『――猫の子一匹抜け出る隙はありません。快盗キャスパリーグの命運はもはや風前の灯火と言えるでしょう』


 三居土博物館の天井影。そこに潜む男の耳の端末からからテレビの音が聞こえてくる。どうやら通信先のパリュはテレビをつけたまま作業しているようだ。まあ、おかげで彼にも博物館の外の様子がわかる訳なのだが……。


『にっ、ぬしの命運は風前の灯火みたいだねぇ』

「なんたって猫の子一匹漏らさない構えみたいだしな……」


 端末越しのパリュの言葉に軽口を返す男にかすかな月光がさす。

 照らされたのは白面。

 屋上から逃げた、否逃げている最中のキャスパリーグの姿だった。

 キャスパリーグは博物館の展示物を天井から見据えながら通信を続ける。


「それじゃあ警備の連中は外に向かったわけかな?」

『にぃ。今は山の中で、いもしないキャスパリーグの幻影を探しているねぇ。館内の警備も大分外に出ているよ』

「なら警備装置の方は?」

『当然カット済みさね。ダミー映像を流している。復旧もまだ先になるよ』

「よし、それなら遅ればせながら――」


 キャスパリーグが天井裏から飛び降りる。


「――さあ、快盗の時間だ」

『――さぁ、快盗の時間だ』





 なんて格好つけたものの、あとはこれを取って行けば終わりなんだよな……。何事も準備が八割とはよく言った物だ。

 キャスパリーグは目の前にある空っぽのガラスケースを前にポリポリと顎をかく。


『にっ! 何やってるのさ。ぼおっとしてないでさっさと【蒼のメリクリウス】を取ってずらかるよ』

「はいはいわかったよ。それじゃ《――魔王の娘、役目を終えて狭霧とならん》」


 キャスパリーグが力を込めて言の葉を繰る。その言葉と共にガラスケーズの中の空っぽの幻影は姿を消す。

 そうしてそこにに現れたのは、傷一つない【蒼のメリクリウス】。外の幻影と違ってこちらは本物だ。


「よし、ミッションクリアっと。それじゃ退散しよう」


 キャスパリーグは首尾よくガラスケースの中から【蒼のメリクリウス】を取り出した。

 そんな彼の、仮面に覆われた顔を一条の光が差す。


「――なっ」


 キャスパリーグは思わず空いた手で光を遮った。

 光の元には男が一人。くたびれたスーツを着たその中年の男は、手にしたライトをキャスパリーグに向けて話しかける。


「てめえ、やっぱりこっちにいやがったか」

「ちっ、おっちゃんかよ。みんな外に行ったんじゃなかったのかよ」


 キャスパリーグは男の姿を見てぼやく。そのぼやきに目の前の男と、通信先のパリュがそれぞれ答えた。


「なんかいやな予感がしてな、こっちに顔を出したら案の上だよ」

警察・・は外だよ。だけどそいつは管轄外だ。だからさっさとずらかろうって言ったじゃあないか』

「……そうだったな。でもまあ、どうせこっちに来たのはおっちゃん一人。それを抜ければ任務完了ってね」


 キャスパリーグは頭をかきながら男に相対した。


「ずいぶん簡単に言ってくれるじゃねえか。そういつもいつも逃げられると思うなよ」


 男もいったん足を止め、


「私立探偵吉柳きりゅう亜朗。快盗法に基づきキャスパリーグを逮捕する。観念しやがれ」


 そう宣言し、キャスパリーグに向け駆け出した。


「快盗キャスパリーグ、受けて立つ――」

 キャスパリーグも吉柳に対し右手を構える。

「――なーんて言うわけないよね。じゃあなおっちゃん」


 そうして構えた右手をうえにむけて振った。その右手からするりとワイヤーが飛び出し天井の梁へと巻き付く。

 ピンと張ったワイヤーは、そのままキャスパリーグを空へと踊らせた。


「まあそう言うな。もうちょっと付き合えよ」


 今度は吉柳が右手を振り抜く。その手から飛び出したナイフは狙い違わず天井とキャスパリーグをつなぐワイヤーを、つんと切り裂いた。

 体勢を崩し宙へと投げ出されるキャスパリーグだったが、ショーケースに引っかかるような形ながらもなんとか地面に降り立った。


「おいおいおっちゃん、ナイフ投げてくるとか。快盗法で殺傷の禁止がされてるのに全無視かよ!」

「なあに、そんな当てるようなへまはしねえよ。よしんばミスって当てそうになってもてめえなら避けるだろ」


 そう嘘ぶきながら吉柳は警棒を取り出した。そうしてゆっくりとキャスパリーグとの間を詰める。


「ああそうかい。ご信頼痛み入る、ね――」


 対するキャスパリーグは一気に距離を詰める。吉柳の脇を抜けて後ろの出口に向かうために。だが――、


「逃がさねえよ」


 キャスパリーグの急な動きにも吉柳は対応し左手を伸ばす。しかしてその左手はキャスパリーグの肩をつかむことに成功した。


「――なっ」

「ようやく捕まえたぜ」


 てめえなら絶対こっちを通ると思ったからな。そんなことを考えながらも吉柳はしっかと左手に力を込める。


「ぬぐっ」

 思わぬその力に眉根を寄せながらも、キャスパリーグはまだ余裕を崩さない

「そう簡単に捕まえられるとは思わないで欲しいな」


 ――バヂィ。


 キャスパリーグの肩をつかんでいる吉柳の手に火花が散る。

 だが吉柳がその手を離すことはない。


「……マジかー。結構な電圧だったはずなんだけど」

「はん。てめえみたいな輩は何人もとっ捕まえてきてるんだ。このくらいの小細工する奴は何人もいた。対策くらいはしてるんだよ」

 そこまで言って吉柳は少し顔をしかめた。

「ま、ちぃとは痛かったがな」

「ふぅん。ちょっとは痛かったんだ。なら十分かな」


 キャスパリーグは白面の奥でにんまりと笑う。


「てめえ、この期に及んで何考えてやがる。逃げられるつもりか?」


 吉柳はキャスパリーグをぐいと引き寄せた。

 キャスパリーグはなすがままにされつつも、口を開き続ける。


「いやね、俺のこのマントには亜麻が織り込まれてるんだよ。だから……」

「……だからどうした?」

「いやいや、日と月とターリアというお話にも亜麻は出てきていてさ」

「だから何が言いたい。無駄話をしても時間稼ぎにはならねぇぜ」

「ふむ、なら結論からいこうか。《麻糸の災いは眠りをもたらす》ってね」

「だからてめえは……」


 吉柳ががくりと膝をつく。キャスパリーグの肩をつかんでいた手も力なく落ちる


「てめえ……、何しやがった……」

「だからさっきから言ってるじゃん。日と月のターリアだよ。あ、でもグリム童話の眠り姫の方が有名かな。哀れターリアは麻糸に紛れたとげの痛みで深い眠りについたのでした……」

『もう聞いてないねぇ』


 通信越しのパリュの言葉に吉柳に目を向けると、吉柳は完全に気を失っていた。


「おっと、ずいぶん効きがいいことだ。正直この魔法は苦手だから心配だったんだよね」

『にっ。ちゃんと僕のいう事を聞かないからだよ。どうせマントもボロボロになってるんだろ』

「ぐっ」


 パリュに図星を指され渋面になりながらも、キャスパリーグはぼろくなったマントをしまい込む。


『それで、どうやって出るつもりだい? この私立探偵がここに来たんだ。事前に構えた逃走経路はつかえない可能性があるよ』

「そうだな……」

 キャスパリーグは顎に手を当て考える。

「せっかくおっちゃんがここまで来てくれたんだ。もう一働きしてもらうことにしよう」


 そう言って白面の奥でにんまりと笑った。





 電源が落ち暗くなった三居土博物館。その玄関から出てくる人影が一つ。

 即座にライトが差し向けられるが、映し出されたのはくたびれたスーツ姿の私立探偵吉柳だった。


「なんだ吉柳さんでしたか。出てくるんならちゃんと合図を出してくれなきゃ困りますよ。自分で言い出したんですから……」


 駆け寄ってきた警察官がぼやく。


「あ、ああ。そうだったな。すまんすまん」


 吉柳は困ったように頭をかいた。

 警察官は「まったくもう……」と呆れながら吉柳の耳元に口を寄せた。


「それで、奴は中にいましたか? 【蒼のメリクリウス】はどうなってました?」

「いやあ、いなかったよ。【蒼のメリクリウス】もきれいさっぱりなくなってた」


「なるほど……。それじゃあやっぱり最初に姿を現したきゃスパリーグは本物だったと」

「残念ながら、ね……。それで、外の方は?」


 吉柳が博物館のまわりの木々に目を向ける。


「はい。警部が張り切って捜索しています。今回は人員を大分動員できましたから、いかにキャスパリーグといえども、そうそうこの山から抜け出せないでしょう」

「ははあ、確かにそれは難しい。それじゃあ俺は麓の警備本部の方で朗報を待つとしようか。無理を言って単独行動をして何の成果も上げられなかったから、その申し開きもしないといけないしなあ。はは」


 吉柳は面目なさそげに笑いながら頭をかいた。


「はっ。あ、いえ。私としては吉柳殿のような行動こそが快盗を捕まえる一助になっていると思います。現に先日の快盗団虹色ペンギンの一件でも……。あ、いやあとは車の中で聞きますね」

「……車?」

「はい、麓までそれなりに距離がありますし。それに……」


 警察官が美術館の表門の方に目を向ける。そこにはテレビ局、それにぎっしりと野次馬が詰め寄せていた。


「とまあ、あんな具合ですのでそのまま出るのはなかなか……。それに警察車両以外は検問にも時間がかかりますから。吉柳さんもお急ぎでしょうし、こちらの車両を使っていただけたらと思います」

「ふぅむ。それじゃあお言葉に甘えるとしようか」


 そう言って吉柳は警察官の用意した車に乗り込んだものの、車の足はすぐに止まった。野次馬、そして報道陣に囲まれたからだ。


「吉柳さん、【蒼のメリクリウス】はどうなりました? またキャスパリーグを取り逃がしたんですか?」


 車の外から聞こえてくるリポーターの声にはいささかとげがあった。


「すみません、吉柳さん。すぐに車を進めますんで……」


 運転席に座った警察官が申し訳なさそうに頭を下げる。


「いや、いいよ。彼らも何か一言かければ気が済むだろう」


 吉柳はウィンドウを少し開けた。

 すると空いたウィンドウの隙間にマイクが突き立てられる。


「吉柳探偵。またも! またしてもキャスパリーグを取り逃がしたことについて何か一言」

「いや、確かに博物館からキャスパリーグが抜け出したのは確かだけど、まだ取り逃がしたと決まったわけじゃない。むしろ山での捜索の方が本命だと警部殿はおっしゃってたよ」


 ぶしつけな質問に目を細めながらも吉柳は丁寧に答えた。


「ではなぜ先ほど、一人で博物館の方へ入っていってたのですか?」


 今度はまた別のリポーターがマイクを向ける。こちらは先ほどのキャスターとは違い少し控えめだ。


「少し気になったことがあってね。それも含めて本部に報告したあとで発表することになるから、少し通してくれないかな」

「あ、はい。わかりました。それではまた後ほど、よろしくお願いします」


 そう言ってリポーターはマイクを下げた。先だってのリポーターはまだ何か言葉が欲しいのかマイクを向けようとしていたが、他の人に引きずられるようにして車から離される。


「ありがとうございます」

 そう言って警察官は人垣が割れた入り口に向け車のアクセルをゆっくりと踏む。

「それにしても吉柳さん、今日はずいぶんとマスコミに対してフレンドリーですね。はじめにマイク突きつけた人なんて明らかに失礼な聞き方だったじゃないですか。てっきり無視するかいつもの塩対応だと思ってたんですけど……」


「あ、ああ。今回は無理を言って博物館の中に入れてもらったあげく、目立った成果は上げられなかったからね。もし万が一キャスパリーグを捕まえられなかったとしたら、マスコミの矢面に立つのは警部殿達だ。せめて今の段階で印象下げたくなかっただけだよ」

「ははあ、意外と言っては何ですが吉柳さんはお優しいですな」


 口元を緩めつつ警察官は車を運転する。

 その横顔をミラー越しに見つめる吉柳の頬には一筋の汗が流れていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


快盗法


快盗法により、怪盗事件において怪盗、および探偵は刃物や銃器等、殺傷力の高い物の使用は原則禁じられている。

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