3 毛糸は魔物

 ここの所ようやく僕の仕事が楽になってきた。後輩が入ったのだ。

 今まで僕がしていた些細な事を、今度は後輩が引き継いでくれる。これは大いに嬉しい事で、僕には時間的余裕が生まれるはずだ。


 そうなるとやる事は一つ! 彼女との時間を大いに持つ!

 僕は休みの日に彼女と美味しいもの探しを再開するのだ!


 

 そう思ったのも束の間。僕は何故か入ってきた新人後輩と、会社のスキー合宿に参加する事となった。

 断りたい。だがこれも仕事の一環だと先輩に言われ、学生じゃあるまいに、何故、二泊三日のスキー合宿なのだ? だがそれもまた直ぐに理由がわかった。慰労会と称しての社員への利益還元の一環らしいのだ。


 『そんな事より僕に自由時間を下さい!』僕は心からそう思った。






「え? 二泊三日のスキー合宿? 会社の人達と?」


 彼女にその事を伝えると驚いた顔をした。


「一度断ったんだけどね。後輩の指導員は強制参加なんだって……」

「会社も大変だね。いろんな事をしなっくちゃいけないんだね」

 

 怒るかと思ったけれど、彼女はすんなりと受け入れてくれた。本当、彼女はありがたい存在だ。


「それじゃあ準備をしなくちゃね。スキー道具は一式借りるとして……服とかどうするの?」


 彼女は少し考えてそう言った。


「服? スキーウエアの事?」

「そう」

「それも借りられるらしいよ」

「そうなんだ。じゃあ帽子とかは?」

「あ〜〜〜帽子はないね……今度毛糸の帽子を買いに行かなきゃな」


 僕がいうなり彼女は腰に手を当て、もう片方の人差し指を立ててこちらに向け、チッチッチと左右に動かした。すげぇ、本当にこれをやる人初めて見た。


「いいよ。私が作ってあげる。大丈夫だよ。ほらマフラー作ったでしょう?」


 まだ結婚をする前に、彼女は一度僕にマフラーを作ってくれたことがある。その出来栄えは売っているものとそう違いはなく、色合いも僕好みで、いまだに重宝していた。


「あぁ、あれは良かった! うん、じゃあお願いするよ」


 彼女の腕前を知っている僕は、素直に彼女にお願いをした。毛糸の帽子を作れるなんて、尊敬しかない。


 そして数日が過ぎた。


「ねぇ、帽子は順調?」


 僕は唐突に聞いてみた。彼女が帽子を作っている姿を見てはいないので、ちょっと心配になったのだ。


「任せなさいって! 素敵なのを作っているから、待っててね」

「ちょっとだけ見たいんだけど」

「駄目だよ。お楽しみが減るでしょう?」

「じゃあせめて色だけでも〜」

「良いから素直に待っていなさい」


 彼女の自信がみなぎってるように思えて、僕は嬉しかった。そうか、僕の手編みの帽子は順調なのだ。



 それから数日が過ぎた。僕はスキー旅行の準備を終えあとは彼女の作る帽子の出来上がりを待つだけとなった。


 そしていよいよその時が!!!


 夕飯の後お風呂に入って、ビールを片手にテレビを見ていると、彼女が急に背後から僕の頭に何かを被せた。


「あ?」

「できたよ!」


 その一言で一瞬で帽子ができたのだと気付く。


「うん! いい感じ!」


 彼女は僕を見て微笑んだ。その笑顔が素敵で、僕は少し赤くなる。


「ちょっと、鏡を見てこようかな?」

「うん! 行ってきて」


 彼女はニコニコ笑いながら僕を洗面所へと送り出した。


 何というか、嬉しいよな。手で触れると毛糸の帽子は太めの毛糸で編まれているようで厚みがある。

 触れている感じだと、前に映画の中でブラッド・ピットがかぶっていたタイプだろうか? あれもカッコよかったな……。耳を覆うように少し変形していて、触ってみると垂れ下がる部分にプラスチックの小さなバックルが付いているようだ。これをセットすると強い風が吹いても帽子が飛ばないようになるのだろう。でもこのバックルは必要ないのでは? だって顎の下でセットするとなると、ちょっとおとぼけが入る気がするんだけど……。

 でもまぁいいや、セットしないにしても想像が膨らむ。冬季オリンピックのスノーボードの選手達がよく被っているやつ。あんなタイプだとするとバックルをセットしなくても垂らしているだけでもかっこいいよな。


 今僕は最高に幸せな気分で洗面所についた。ワクワクする気持ちを抑えて鏡を覗き込むと……


「……えっと……これ何?」


 僕が頭に被っている丸いものは明るいオレンジ色のもので、先端にヘタがついていた。それに触れて引っ張ると、緑色の小さな芯のようなものが立ち上がりその芯には緑の葉のような形のものが付いている。

 僕がかぶっているものは、どう見てもミカンだ。


 後ろから彼女がやって来た。僕の顔を鏡で確認してにっこりと笑う。


「良いでしょう? 今回はミカンにしてみました〜。レモンと悩んだけど、レモンの形はちょっと高度だったのね。だから、丸いミカン。もう少し時間があれば、レモンも行けたかもしれないけど。可愛いよ! うん、ピッタリだね!」


 僕は少しだけ溜息をついてバックルをセットしてみた。途端に僕の頭が完全に丸いミカンになる。


「これ……可愛いんだけどさ……被れないよね?」

「え? どうして?」

「どうしてって、会社の人たちと行くんだよ! 僕だけがこれっておかしいだろう?」

「そんな事ないと思うよ。遭難してもミカンだと雪の中で目立つでしょう?」


 確かにオレンジ色は目立つ。救急隊の制服もオレンジだ。でもつまりはこのみかんの帽子は目立ち過ぎるってことだろう?!


「大丈夫だって、似合ってるし可愛いもん」


 彼女の笑顔を見ながら、僕は段々とわかってきた。彼女は怒っているのだ。自分を置いて、僕だけがスキー旅行に行くのを怒っているのだ。


「大丈夫だよ。遭難した時には『夫はオレンジ色のみかんの帽子を被ってますから、直ぐに見つかるはずです!』って救助隊の人達に言うから。だから外れないようにバックルは必ずしてね」


 おぉう! 神よ! 僕の行動を許したまえ!


「こんなの被れるか!」


 僕は毛糸の帽子を外すと床に叩きつけた。それを見た彼女はピクリと眉を上げ、僕を見る。でもその顔はまだ笑顔だ。少々怖いかもしれない……。慌てて僕は叩きつけたみかんの帽子を拾い上げた。


「あ〜あ、人がせっかく作ったのに……でもね、これは被ってくれないかもって思ってはいたんだ。だから実はまだあるの」


 え? 二つ作ったって事? そして今度彼女が出したのは良い色合いの渋めの青。それを見た時、流石の僕もうるっときた。


「ありがとう……」

「ううん、被せてあげるよ」


 彼女の手が優しい。少し頭が重い気がするけど、今度はイケてる気がする。

そして鏡を見ると……今度は頭の先端に小さな丸いミカンがついていた。

 こっちもか〜い! 投げ出したくなるのを堪えていると、彼女はニコッと笑いながらミカンに触れた。


「実はこっちは……ミカンの取り外しが可能なので〜す!」


 そして彼女の手には毛糸のミカンが。


 あぁ、彼女の思考についていくには忍耐と体力が必要なのだと悟った夜。僕は彼女が作ってくれた毛糸の帽子を握りしめて、泣きながら眠った。だってそれはミカンを取れば、最高にかっこいい帽子だったのだから。



 数日後、スキー旅行先で開けた鞄には、僕の知らないうちに初めに被ったミカンの帽子と、小さなミカンが入っていた。帽子を忘れた後輩にミカンの帽子を貸してあげようとしたが、速攻断られた事は彼女には話していない。




 毛糸は魔物のようだと思った話……

 

 


 


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