蟻の翁


 私、沖田一郎おきたいちろうは、大人に飽きていた。



 ***



 そろそろ始めるか。

 高級フレンチを高級たらしめているのは見栄えとナイフとフォークであり、決して料理の味ではない。そう思いながらナプキンで口元を拭き、スーツの胸ポケットから携帯を取り出した。

「もしもし。そっちはどんな感じかな?」

 状況確認の電話の時には、なるべく穏やかな声を心がけている。

「あ......、もしもし。ターゲットは......、確認できてます」

「ありがとう。じゃああとはゆっくり煙草でも吸ってくつろいでいてください」

「はい......。あ、あの......、もういきなりって感じですか?」

 聞かれる、と思った。いつも通りだ。朝起きた時の倦怠感も、料理を頼む時の期待感も、死ぬ直前の人間が電話越しで聞いてくる台詞も、いつも通りで、退屈だ。


「そうですね。タイミングはこちらで判断しますのでご心配なく」

「はい......。あの、お金は問題なく......」

「問題ありません。では失礼します」

 歯切れの悪い人間と絡むと自分まで歯切れが悪い人生になる、そんな気がするせいか、いつも用件が終わるとすかさず電話を切る。



 若い頃は楽しかった。

 たかが仕事だがされど仕事とはよく言ったもので、やりがいも目標もあってそしてなにより刺激があった。ただ慣れというのは恐ろしいもので、一度その病を患うと、どんな人間も退屈な気分にさせる。その上、原因が経過時間となると、対策も改善も難しい。二十年間という延々とリピートされる時間が、私を退屈な人間に、私の人生を退屈な消化試合に変えてしまった。



 窓から外を見下ろすと、先ほど電話越しで死を悟った男がちょうど向かいにある喫茶店で、一番端の窓側の席に座っていた。机の表面でも見つめているのだろうか、斜め下を向いたまま動かないのは滑稽で料理の味より愉快だった。

 お、そろそろ時間か。

 時間が夜七時を回ったことを確認し、手元の携帯で番号をダイヤルしようと持ち上げた。

 その時だった。



 パァァン。



 乾いた発砲音は確実に向かいの喫茶店からだった。

 携帯から目を離し窓の外を見下ろすと、先ほどの電話の男が顔を上げ、そしてそのまま両手もあげた。その弱々しい姿勢から、明らかに何かに怯えているのが一目瞭然だった。

「調子狂いますねぇ」


 すかさず携帯を再び手に取りダイヤルを親指で押す。数字が十一桁もあるのがこんなに面倒なのは久々だ。


 パァァン。


 二発目の銃声が鳴った。

 ダイヤルを押し終わり向かいの店を見ると、電話の男が今度は大量の血を頭から流し、机に突っ伏していた。

「......まぁ、十秒あれば死んでも役目は果たせます」

 そう呟き、目を閉じる。心の中で数字を一から順に唱える。


 一、二、

 向かいの店の喧騒が聞こえてくる。

 三、四、

 どうやらこちらの周囲も騒がしくなってきた。

 五、六、

 今日も働いたな。

 七、八、九、

 お疲れ様。


 十。



 ドォォォォン。



 巨大な爆発音が体中に染み渡る。

 目を開ける。

 視界が徐々に鮮明になる。

 周りの人間が狂ったように叫び、慌て、暴れ始めた。


 向かいの店を窓から見ると、見事に跡形もなく燃え上がっていた。

「雰囲気の良さそうなレトロな喫茶店でしたね」

 そう言って席を立ち、鞄から二台目の携帯を取り出してダイヤルする。



「俺だ」

 偉い人間は名乗り方も偉そうである。

「お疲れ様です、シロアリです。依頼完了しました」

「お、流石に仕事が早いな。報酬は明日振り込んでおくよ」

「ありがとうございます。......あ、すみません一つだけ、」

「なんだ」

「恐らくなんですが、そちらの会員さんが一名巻き込まれたかもしれません」

 後から咎められたら面倒なので先手を打っておいた。

「あぁそう。ま、要領の差だな、気にしなくていい」

「ありがとうございます。では失礼します」

「はいよ」


 向こうから電話が切られるのを待って、携帯を鞄にしまった。

「さぁ、帰りますか」

 お金をテーブルに置き、周囲の慌ただしい雑踏に紛れてレストランを出て階段を降り歩道に出た。さて、車はどちらに止めたかな、と記憶を辿ろうとしたその時、背後に違和感を覚えた。



「......動くな」


 若い女の声だった。が、堂々としていた。

 背中には拳銃の感触がある。

「......すみません、どうされましたか」

「とぼけるな、お前、同業者だろ」

 同業者......、なるほど。

「さて、何の話でしょう」

「相変わらず大人は平気で嘘をつくよな」

「......なにかご用で?」

 そう聴きながらゆっくりと頭だけ後ろに振り向いた。

「おや、かなり若いですね。お嬢さん、成人されてますか?」

 容姿に対する質問は、その回答から性格を考察しやすい。

 が、

「去年成人した。やっぱりお前、殺し屋だな」

「またまた、殺し屋なんて物騒な」

 殺意は感じないが、何かしらの目的があり、私の様子はすでに観察済みで近付く機を伺っていた、そんなところだろう。

「殺されそうな状況で見た目に対することを聞いてくるのは、だいたい同業者かただのサイコパス野郎だって聞いたことがあるぜ、クソじじい」

 なかなか頭のいいお嬢さんだ。ゾクゾクする。

「それはそれは、いい師を持ちましたね。......で、何の用でしょう?」

 堪えているはずなのに、口元が緩んでしまう。

 さて、このお嬢さんは私に何を求めている?


「じじい、耳の穴かっぽじってよく聞けよ」

 自分の唾液が食道を流れ落ちる音を聞いたのはいつ以来だろうか、興奮が限界点を越えそうだ。



 その瞬間、全身が熱くなった。いや、熱くなってしまった。

「......ほう、お若いのにこれまた物騒な」

 女はじっと銃口の先にある私の背中を見ていた。

「ビンゴだな。背中の筋肉が強張った。お前、さてはシロアリだろ」

 実に見事だ。会話の主導権もこの先の展開も彼女にしっかりと握られている。

 歳をとってしまったな、私も。

「......失礼ですが、お嬢さんはどちら様で?」

 敵対心がないことを伝えるために両手をゆっくりと上げながら聞いた。

「同業者だ。通り名はホタル」

「ふむ。初めて耳にする名前ですが、珍しく綺麗な虫ですね」

「アリがこんなに礼儀正しいじじいだとはな」


 ゾクゾクする。

 若さに加えて勢いもあり、顔も整っていて、冷静かつ賢い。

「ホタルさん、私に何か話があるなら、協力しましょう」

「最初からそのつもりだ」


 ゾクゾクする。

 興奮で背中から銃口が離れたことにすら気が付かなかった。

「案内しろ」

 自分の前を歩き出した若い殺し屋は、亜麻色の髪を風になびかせながら堂々と言った。

「どちらへ?」

「アリの巣に決まってんだろうが。理由は後だ」

「なるほど、では車で三十分です。お手洗いはいいですか?」

「礼儀正しいじじいってのも気味が悪いもんだな」


 すぐそばで燃え盛る爆破の炎ですら、その色彩を失うほどの退屈だった日常を、突然現れたホタルという虫が一瞬で吹き飛ばした。感謝の限りである。


 年甲斐もなく、ゾクゾクしている。


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