第2話

 口臭がやたらときつい係員に千円札を二枚手渡し小銭を受けとる。

「こんな辺鄙な寒村に来はるなんて、物好きなお人ですな」

 社名が記されている車体にこの格好を見れば仕事できたと判別できそうなものだが、あえて老人の戯言に付き合う必要もないと感じ、さっさとアクセルを踏みその場を離れた。


 料金所を降りると、辺りの空気がガラッと変わる。活気とは程遠い静寂が小さな町を支配している。そういえばこんな町だったかとぼんやりと思い出す。

 タイヤチェーンの耳障りな音をBGMに遠くに見える山々に向かって走らせたが、

 道中は対向車が数えるほど少なく人口減は歯止めが効いてないように感じた。

 立ち腐れした木は持ち直すことはないがこの村も長年かけて腐っていってる。


 次第に傾斜が厳しくなる坂道は特に運転に用心し、わだちにハンドルを取られないよう細心の注意を払い徐行運転で山道を登っていく。

 すると途中に立派な藪椿やぶつばきがアーチ状に群生していた。昔みたときはまだ頼りなかった枝が、しばらくみないうちに絡み合うように成長し迫力を増したそれは、まるで異界へと通じるトンネルのようにみえた。

 ここを越えればとうとう椿村だ。


 ――胸に刺さった刺がずきりと痛む。



 昨日から降り続けるぼた雪は、山が深くなるごとに辺りを深い雪で覆っていった。

 気温も平地よりいくらか下がっていて思いのほか寒く、思わず身震いをした。

 下に着込んでいるとはいえ半纏は防寒着ではないので、節々が悲鳴をあげることが多々ある。

 年期物のサンバーの運転席のシートはいわおのように堅くすり減り、長時間座っていると肩と腰の強ばりが酷くなるので冬場の運転は特に厳しい。

 職業病というのか、同じ姿勢で一日中作業しなくてはならない庭師は想像以上に過酷な職業だ。

 春も夏も、秋も冬も一切関係ないし言い訳など許されない。

 現在作業着は機能性に重きを置いているが、「昔ながらの仕事着に袖を通すのが施主に対する礼儀だ」と生前祖父から口酸っぱく叱られていた俺は今でも言いつけを守っていた。


 庭師は幼い頃からの夢でもなりたくてなった職業でもなかった。たまたまはさみを使わせたら才能を持ち合わせていただけであって、他にしたいこともなかった俺は紆余曲折を経て、流れ流れてとうとう腰を落ち着かせたのが先祖代々続く支倉造園だった。ただそれだけの話だ。

 五代目として継いだのが俺だったが、本来の五代目が継いでくれていたら――


「なにを今更考えてるんだ」

 これ以上思い出そうとすると頭痛が酷くなりそうな予感がしたので、外の景色を眺めて無理矢理意識をそらす。

 開けた路肩に車を寄せシートベルトを外し、焼け石に水程度だと知りつつ肩から首を揉みほぐす。

 指が表皮で止まる――何十年分の苦労がのし掛かっているのだろうか。それともこれも呪いなのだろうか。なんでもかんでも疑ってしまう。


 今年でもう三十五歳。独身でいるのはなにかと人の目を気にしなくてはいけない年代だ。

 だが結婚するつもりもなければしたいとも思えない。和美の顔が脳裏に浮かぶがそれでも意思は変わることはない。

 俺にはまともな家族生活なんて送れやしないのだから当然のことだ。


 意味を為さないマッサージを諦め、目的地の施主さんの自宅に辿り着く前にダッシュボードから煙草を手に取り吸い始める。疲労のせいかニコチンで頭がくらくらした。

 深い溜め息とともに狭い車内が煙で満たされ、ここに戻るきっかけとなったあの日を思い出す――



 冬というのは造園業にとって仕事が減少する時期だ。

お洒落な庭園が幅をきかせる現代に日本古来の庭園は維持していくにも金がかかる。そのうえ木の成長も止まるこの時期はそもそもの仕事量が少ないのだ。

 雪降ろしや雪囲い、竹垣を作る時期でもあるがそれも需要は少なく、だからといって生活費はどうしてもかかる。よって貯金は消えていく。

 いっそ暖かくなるまで短期の仕事でもやればいいじゃないかと知り合いに呆れ半分にいわれるが、そこまでやる気もないし社交性もない。

 唯一の楽しみの煙草すら増税の影響で一日当りの本数をに減らさざるを得ないときた。

 そんな折りに、なんの因果かあのお屋敷の持ち主から庭木の雪囲いの依頼が入った。



「はい、支倉はせくら造園です」

「お忙しいところ申し訳ありません。わたし椿殿に住んでます刑部おさかべと申しますが――」

 ――椿御殿だと?

 もらい事故のように突然受けた衝撃のせいで呼吸が浅くなった。

 久方ぶりに耳にしたその名に思わず緊張し、握る手に力が入ると携帯がみしりと軋んだ。

 音を立てたのは携帯電話か、それとも心なのか――

 何故、椿御殿の名前を出す必要があるのだろうかと、電話口の向こうの野郎をどやしつけてやりたい気持ちでいっぱいだった。


「――折り入って相談なんですが、庭の古い椿に雪囲いをしてほしいんですが」

「椿、ですか……」


 先程からず動揺されっぱなしだった。

声は上擦らなかっただろうかと心配したが、電話の向こうからは特に変化は見られず杞憂に終わったが、あの庭にはまだ椿の木があったのかと胸が痛んだ。


「差し出がましいようですが……椿は日本の風土に適応した植物です。庭植えの若木でしたら雪の重みで枝が折れるのを防ぐために雪囲いをする必要もありますが……何十年も冬を経験しているような椿でしたら耐寒性も十分に備わっていると思われますので、その必要はないかと思いますが」


 この時期に数少ない依頼だというのに、わざわざ遠回しに断りを入れようとしてるのはあの屋敷に赴きたくないからなのか――

 自分でも理解できない行動を庭師として最低な行いと理解しつつ、不可解に思ったのはなぜ支倉造園に仕事の依頼をしたのかということだった。

 探せば身近に依頼先はあるだろうに、車で高速を利用して片道一時間時間かかるとそのぶん料金は割り増しされるのに何故なのか。

 施主にたいして不躾であるが理由を訊ねると、「佐久間さんから腕利きの庭師がいるから」と強く薦められたらしい。

 ――佐久間さんか。

 小さい村の自治会長を長年押し付けられていた佐久間庄吉は数少ない理解者だったが、死んでも治らないようなお人好しでもあった。

 あの佐久間さんのことだから、きっとよかれと思ってのお節介なのだろうが、それが今となっては疎ましくさえ思う。


 換気のため窓を少し開けると、吐いた煙が外へと逃げていき姿を消していく。

 軽自動車が一台すれ違い、怪訝な眼差しでこちらを窺ってきた。

 

 似たような視線を村人全員から向けられたのは精神的にきつかった。逃げるように出ていくことになってもそれは変わらず、だけど最後の日まで玄関先で見送ってくれたあの女は――

 

 またズキリと胸が痛んだ。



 車内に表示されてる時計をみると、予定の時間に余裕があった。今になってあの家に関わることになるとは――あの日、初めて椿御殿に訪れることになった幼い頃を思い出す。

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