第2話 女子学生からの、依頼。

 彼女は名前を、柴田麻帆と言った。下の名前の読みは青島さんと同じ「まほ」だ。


 廊下で彼女に話しかけられたその日。僕は彼女に、「お時間の都合がいい時でいいので、学食に来てもらえませんか?」と言われた。僕は特に用事がなかったので、すぐにでも時間を割ける旨、伝えた。すると柴田麻帆は「少し、待って下さい」とつぶやくとその場で誰かに連絡し始めた。で、集まったのが……。


「内村千佳です」

「吉岡仁美です」

「長瀬美路です」


 ハッキリ言おう。男性として。


 彼女たちはそれはもうかわいかった。三人とも美人の部類だ。一緒に並んでいる柴田麻帆がかわいそうになるくらいの美人だった。まぁ、量産型女子大生の嫌いは否めなかったが……つまり茶髪のくるくる、涙袋強調メイク、流行りものらしいヒラヒラのパステルカラーの服……、それでも美人なことには変わりなかった。僕は少し委縮した。何だ何だ、何が起きるんだこれから。美人局か? そんなことを思った。


「あの、先生に状況を……」

 柴田麻帆に促され、三人が僕に視線を向ける。


 すると三人の内の一人……名前は確か、内村千佳……が口を開いた。

「本来なら、警察か、学生課にでも相談すべき内容だと思うんですが……」


 はい。この時点で大ごと。僕は早くも逃げたくなった。ようやく自分が起こした大ごとからも立ち直れたのだ。そこに来て他人のトラブル。勘弁してほしい。


「は、はぁ」

 しかし一応話は聞く。柴田麻帆は僕を信用して話してくれたわけだしな。その気持ちは無下にはできない。


「私たち、窃盗の被害に遭って」吉岡仁美。窃盗。僕はそうつぶやく。

「はい。あの、どれもつまらないもの、と言えばつまらないものなんですけど」

 長瀬美路のその言葉を合図に、彼女たちは鞄からポーチを取り出す。当方男性なのでそれが何なのかは一目で判断つかなかったのだが……多分、化粧ポーチだ。


「私は、デパコスのリップを……」内村千佳。

「私は、誕生日に彼からもらったネイルポリッシュを……」吉岡仁美。

「私は、母からもらったシャネルの香水を……」長瀬美路。

「それぞれ、盗まれたそうです」柴田麻帆。


 使われる単語に馴染みがなさすぎて混乱した。かろうじて「リップ」と「シャネル」は聞いたことがあったが、ネイルポリッシュって何? デパコスって何の略だっけ? という状態だった。まだフィリップスが盗まれたとかの方が分かりやすい。


「……ちょっと待って。そんな相談を僕にしてどうする?」

 純粋な疑問だった。柴田麻帆が真面目な顔つきになって答える。

「先生は、探偵になれるかなって」

「探偵」鸚鵡返し。この子、心理学者を何だと思っているのだろうか。いや、探偵だと思っているのだろうけど。


「心理学者は、色々な現象を解明することができます」

 柴田さん。うんうん、と頷く、三人の美女学生。

「先生に解明してほしいんです。『研究室の幽霊』を」


「さっきから気になってはいたんだが……」僕は額に手を当てる。「何だい、その、『研究室の幽霊』って」


 柴田麻帆が姿勢を正す。

「ちょっと暗い話です。いいですか」

「いいよ」

 すると柴田麻帆は話し始める。


「五年前くらいかな。この大学の、心理学専攻の大学院生が、自殺したんです」

「自殺」

 そんな話、聞いたこともなかった。

「女子学生で、人一倍お化粧とかに興味を持っている人だったそうです。『化粧による顔認知の効果』について研究していたのだとかで、かわいかったこともあってちょっと有名な人だったそうです」

「はあ」


「でもその院生さん、研究で思うような結果を出せなくて、教授から急かされたりもして心を病んで、結果……」

「自殺」僕の端的なまとめに、柴田さんは頷く。

「この大学、『心理学共同研究室』があるじゃないですか」


 あるらしい。僕が聞いたところによれば、心理学に関する書籍、論文がまとめられた図書室のようなもので、パソコンも数台置いてあるので論文やレポートの執筆も可能なスペースなようだ。


「問題の院生さんは、そこで手首を切って死んだそうで……」

 そりゃ後片付けが大変だったろうな。そんなことを考える僕はやはり心に悪魔を飼っているのかもしれない。


「以来、心理学共同研究室に、その、出るんです」

「出るって何が」まぁ、この質問に意味がないことは分かっていた。分かっていたが、現実を拒否する意味を込めて質問した。

「幽霊が」

 やっぱりね。


 しかし彼女たちは真剣な顔をしていた。

「化粧品が盗まれるんです」

「それも、ちょっと目を離した隙に」

「死んだ院生さん、お化粧に関心があったらしいじゃないですか」

「私たち以外にも、何人も被害に遭っていて」

「一時期みんなで警戒していたことはあったんです。でもその時は鳴りを潜めて」

「しばらくしてほとぼりが冷めた頃に、また……」


 はぁ。繰り返しになるが、この子たちは心理学を何だと思っているのだろう。


「心理学には、超心理学という分野があることを聞きました」

「あるね」トンデモ心理学だ。幽霊などの現象について研究する心理学。ハッキリ言って同じ心理学を名乗ってほしくない、オカルト研究会のような分野だ。

「先生にその知見はないでしょうか。『研究室の幽霊』について、何らかの解決策を見出してはもらえないでしょうか」


「ハッキリ言う。超心理学は頭のおかしい人たちの集まりだし、僕はその分野に首を突っ込む気は毛頭ない。だから、知らない」


 冷たい言葉だ。しかし僕は続ける。まぁ、乗りかけた船だわな。放っておいて恨みを買っても仕方ない。それに、この子たちは美人だし。男として、いいところを見せたい気持ちというのは、ある。


「けれど君たちが困っていることは分かった。僕でよければ力になる。その『心理学共同研究室』とやらに、連れていってもらえるか」


 四人が顔を見合わせる。嬉しそうな顔。

「はい!」

 かくして僕は、四人の女子学生に連れられて、心理学共同研究室へと向かった。



 小さな部屋だった。一五畳くらいか? そんな小さなスペースに所狭しと書架が置かれ、パソコンとテーブルが置かれていた。


 室員さんはいないようだ。学生が好きに出入りできるようになっているのだろう。僕と四人の女学生が訪れた段階で一〇人くらいの人がいた。男子学生が二名、女子学生が八名。心理学系の宿命だろう。女子が多くなる、というのは。僕も学部生時代は随分とちやほやされたものだ。


「ふうん」

 置かれている本や論文は結構しっかりしたものが多かった。稀に、だが、「こんなの置くなよ」という本が書架に並んでいる大学はある。例えばどう考えてもマジシャンが書いたとしか思えない本だったり、占星術と心理学を履き違えている本だったり。そういうところに比べればマシな大学であることは分かった。


 室内を見渡す。テーブル、椅子、それから書架、パソコン。狭い。とにかく狭い。人が出入りするのだけでも大変そうだ。


「いつもこのくらい人がいるの?」

 柴田麻帆が答える。

「はい。卒論のシーズンとかになると、もういっぱいで……」

「何人くらい?」

「いつも一〇人以上はいると思います。卒論のシーズンになると倍か三倍」

「三〇人もこの部屋に入るのか?」

「入るというよりは入れる」内村千佳がつぶやく。

「満員電車状態だよね」吉岡仁美。

「本当に、ぎゅうぎゅう」長瀬美路。


「それで、盗まれるものの特徴は、化粧品なんだよね」

「はい。それもちょっといい化粧品です」

「他に何か特徴はないのかな」

「うーん。盗まれる品も色々で、例えばリップだけを盗んでいく、とかいう特徴はないのですが……」


「僕は男性だから」と、前置きする。「化粧品の扱いについては知らないんだ。みんなどんな感じで所有してるの?」


「どうって、ポーチに入れて、鞄に入れる」内村千佳。

「人によってはポーチをいくつも持っている人もいれば」吉岡仁美。

「ポーチにすら入れてなくて、モノをそのまま鞄に突っ込んでる人もいる」長瀬美路。


「多様なわけだ」僕は頭を掻く。「例えばさ、『ポーチに入れてない人が盗まれやすい』みたいな特徴はないの?」


「うーん?」首を傾げる四人。


「私はポーチを二つ持ってます。その中から盗まれた」内村千佳。

「私は一つ。同じです」吉岡仁美。

「私は一応ポーチを持ってはいますけど、忙しい日とか、メイクしている時間がなかった時のために、鞄の中にも化粧品の予備を入れています」長瀬美路。


 僕は長瀬さんに訊ねる。

「盗まれたのは?」

「鞄の中に常備していた香水でした」


 うーむ。

 ここで僕は柴田麻帆に向き直る。


「そういえばさ、君は盗まれてないの?」

「私は……」

 と、柴田麻帆が口を開きかけた時だった。


「あっ、やられた!」


 室内にいた女子学生が……これもまた、結構な美人さんだった……声を上げる。


「アイパレットがない!」


 アイパレット……? 

 相変わらず意味不明な単語に、僕は首を傾げた。

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