第二幕 黎明の紅

第二十二揺 それは、仄暗い洞窟の中で

 

 理想と現実。


 愛情と憎悪。


 合理と感情。


―――それらは、本来ならば与することない、相対した概念だ。


 理想は現実によって、硝子の如く打ち砕かれる。


 愛情は憎悪によって、瞬く間に掻き消される。


 合理は感情によって、その礎を揺るがされる。


 そして、その逆もまた然り。



 一見矛盾するそれらの因子を全て内包しているのが、人間だ。いや、最早、これらを内包していることこそが人間としての条件とすら言えるのかもしれない。


 他人を想う一方で、相手に己がエゴを押し付け、優越と劣等の狭間で揺蕩うのが常。


 人間とは、ほとほと厄介な生き物だ。


 しかし、それこそが人間。


 それこそが、美化されていない人間というモノの本質。


 …ならば。



 




「……これで……四匹目……」



 赤に染まった曇天の下。


 血に塗れた姿で、そう小さく呟く少年が一人。


 地に伏す巨腕の怪物を足蹴にする形で、彼は天を仰いで立ち尽くす。


 巨腕の怪物の体が黒い塵と化すと同時、その体はガク、と崩れた。


 肩で荒い息をつきながら、手に持つ大鎌を杖代わりに、倒れかける体を支えている。


 体の各所から覗く白い肌は仄かに赤く上気しており、彼の顔は汗で濡れていた。彼の状態は痛ましくもあるが、しかし、どこか奇妙に艶やかでもある。


 生と死の境界を渡り歩き、その狭間で喘ぎ苦しむ者。


―――その有様は、かくも美しく在るものか。


 そう思わざるを得ない程度には、その姿は不気味なかがやきを放っていた。


 彼の頬で赤く光るは、血のぬめりか、或いは叛逆者リベールである証たる紋章か。


 彼がそうまでして戦うのは、誇りの為ではない。


 それは、自身の犯した罪による呵責の為。


 そして、その贖罪の為。


 彼は、悪夢の世界で、孤独に戦っていたのだった。




 ***





「あー……終わったわー……これは助からないっしょ……」


 仄暗い、土造りのトンネルの中。


 彼女を照らすのは上の穴から差し込む今は遠い地上の光と、土壁の所々に設置された蝋燭台の弱々しい光のみ。なぜ蝋燭は尽きないんだろうとか、このトンネルはちゃんと地上に繋がっているのかとか、そんな疑問は出てこない。

 今も彼女の心を埋め尽くすのは、孤独感と焦燥感だ。


 彼女がこの場に座り込むに至ったのは、完全に彼女自身の失態のせいだった。

 共に行動していた仲間と、些細なことで言い争いになった。今思えば、完全に彼女自身が悪かったと自覚している。


――


 場が険悪になって、余所見をしながら歩いていた時。目の前に広がる地面の亀裂に気づかず、彼女はそこに足を踏み入れてしまったのだ。

 この亀裂というのが、かなりの深さの落とし穴となっていた。処刑人エクスキュージョナーが作ったものではなく、おそらくステージに元々あったもので、天然物のトラップと化していたらしい。

 亀裂に足を踏み入れ、途端に自由落下を開始した彼女の体。持ち前の非力さでは落下する体を完全に止めることはできず、彼女のできる精々が土壁に手足を引っ掛けて勢いを殺す程度だった。

 結果、落下死はしなかったものの、足を完全に挫いてしまった。加えて体の所々も痛む。打撲しているに違いない。これでは、落とし穴の土壁を登り地上に帰ることは出来まい。それどころか、この足ではろくに動くことも出来ないというもの。


 彼女が穴に落ちたのを見て、助けに行くから待っていろ、と仲間達が言ってくれた。が、それも20分前の話。下に降りる手段が中々見つからず手間取っているのだろう。


 彼女は痛む体を酷使して体勢を起こし、挫いた右足を確認する。

 彼女の小麦色の足は痛ましいほどに青く腫れ上がり、既に使い物にならないことを目一杯に主張していた。

 けれど。もしそれだけなら、彼女は地を這ってでも仲間との合流を目指した筈だ。そうしないのは、そう出来ない事情があるから。



 暗い土壁の廊下の先を見据え、彼女は苦々しく目を細める。

 彼女が恐れていたのは、廊下の暗闇ではない。

 その罠がどこから襲いくるか分からない以上、手負いの彼女は迂闊に動けない。大きな溜息をつき、光が零れ出る頭上の穴を忌々しく見上げる。

 その状態を暫く続けた彼女だったが、溢れ出るものを堪えているかのように体を小刻みに震えさせ始める。すると、数秒もしない内にキッと目を剥いて、天上に向かって吠えた。


「―――クソがぁッ!なんであーしがこんな目に遭わなきゃいけねぇんだよチクショウッ!」


 およそ年頃の少女とも思えぬ口調で、耐えきれぬ怒りを発露する彼女。


「オラぁ!出てこいやクソ吸血鬼ィ!不死身だか無敵だか知らねぇけど、テメェの顔面一発殴らせろやぁッ!!」


 喉を振り絞って張り出される怒号は、地下に張り巡らされたトンネルに木霊するだけでなく、垂直に地上へと伸びる穴を通じて、その先にすら声を響かせた。


「はあっ……はあっ……くそったれ……」


 大声の代償として、ただでさえ少ない体力を持っていかれ、肩で大きく呼吸する少女。

 彼女は俯くと、先程とは打って変わった、トンネルに木霊すらしないような細い声で。



「……たすけろよぉ……ぉ……!」



 瞳から流れた一筋の水が、固められた地面に一滴だけ滴る。


 その声は、誰にも聞こえない。彼女の弱さがさらけ出された一言だった。


 誰にも聞こえない、筈だった。



「誰か、いるんですか」



 彼女の遥か上方。そこから、唐突に声がかかった。あまりに唐突で、口から心臓が飛び出るかと思うくらいに体を大きく跳ねさせてしまう。


「だ、だれ?!」


 自分の仲間のものではない。反響していて分かりづらいが、どうやら男の声だ。それも成熟した男ではなく、年相応の幼さを残した少年の声。

 そう、少年の声だ。少年の声のはずなのに、彼女は今の声が少年によって発せられたものだということを疑いかけた。

 それくらい、その声は底冷えしていた。

 丁寧語ではあったが、若者が有してはならないような冷たさを帯びた声音が、彼女の鼓膜を打つ。


「今、そっちに行きます」

「は?行くって……降りるつもり?!やめとけって!?この高さだと足滑らせたらタダじゃ―――」


 言い終わるより前。

 少年は、彼女が瞬きをする間に目と鼻の先に降り立っていた。


「……な」


 降りてくるのが早すぎる。

 つまり、土壁を掴んで降りてきたんじゃない。目の前の少年は、

 バッ、と弾かれたように上を仰ぎ見て、亀裂から自分達がいる場所までの距離を確認する。

 距離、約10m。人間が生身で降りていい高さじゃない。

 それにも関わらず、少年は平然と彼女の前に立っている。傷一つない、いや、土汚れすらも体に付けずに、降り立ったのだ。


 改めて少年の姿を目で捉える彼女。

 真っ先に目に入ったのは、その髪。漆黒の艶やかな髪に、一房だけ真紅に染まった部分がある。いわゆる、メッシュというやつだ。

 少年の顔はやや童顔であるものの、儚さすら感じさせるような一種の美しさを放っている。中々の美形と言えるだろう。

 そして身に纏うのは、赤のサイバー紋を基調とした軍服に近い黒のジャケット。同色のアーミーパンツには赤の側章が縫い付けられている。灰色にも見える黒のコンバットシューズのつま先で地を何度か叩く姿は、かなりサマになっていると言っていい。


 見た目の奇抜さを鑑みなければ、割と普通の少年。

 そう、普通の少年だ。


 だから、きっと。

 



 これが、彼女と彼――夜野煌との邂逅。

 今後の『クレイドル』における彼女の生を大きく揺るがしうる其の出会いは、悪魔の世界においては、只の廻り廻る歯車の一つに過ぎなかった。




 ***




 女性の声が聞こえてきた亀裂の中へと飛び降り、音を出すこともなく地面に降り立った煌。

 最初、亀裂は地震か何かで地面が割れてしまった様な印象だった為、煌は下には瓦礫か何かが溜まっているかもしれないと思っていた。落下地点によっては、強靭な煌の肉体とて瓦礫で怪我を負うかもしれなかったが、その予測は杞憂に終わる。

 下にあったのは、ただの土の地面。どうやら、あの亀裂は第三者によって地面を崩されて出来たものではなく、最初からステージに備え付けられていた物らしい。

 降り立った地面も意外に柔らかく、クッション剤として些かばかり衝撃吸収に貢献してくれた。普通の人間が落下して絶命しなかったのは、これが一因かもしれない。

 床の硬さをブーツの先で確かめると同時に、煌は目の前に座り込んでいる人物へと目を向ける。


 健康的な小麦色の肌に、ショートの金髪。耳には複数個のイヤリングをぶら下げ、長い黒の睫毛に茶色の瞳を覗かせる少女。

 その外見で最も目を引くのは、身につけたブカブカの白衣。本来なら真っ白な筈の服装は、土埃で主に裾が汚れてしまっている。白衣の下はオフショルダーのトップスとホットパンツを着ているため、細い小麦色の肌がこれでもかと言うぐらい、白日の下に晒されていた。


 外見から判断した彼女のパーソナリティ。結論から言おう。

 彼女は、世間で言うところの、所謂だ。


「な、なんだよ……ジロジロ見て……あ、あーしの体なんて見てて良いモンでもねーだろ…」

「……あぁ、すみません」


 ずっと体を見られて気まずくなったのか、体を両の腕で抱え込む形で体を逸らすギャル。確かに、いくら物珍しいとはいえ、女性をジロジロと見るのは不躾だろう。

 先程の罵声を上げた人間と同一人物と思えないほどにしおらしくなったギャルに煌は怪訝そうにしたが、彼女の頬に残る一筋の水跡を見つけ、それに関しては口を噤むことにした。


「なぜこんなところに……あぁ、なるほど。亀裂から落ちて足を挫いたから仲間の助けを待ってるのか」

「お、おう……アンタ話が早いな……」


 疑問を投げかけるかと思えば、持ち前の洞察力で自己完結してしまった煌に、驚愕を隠しきれないギャル。


「いや、そもそも……アンタ、誰……?」


 当然の疑問だ。

 いきなり目の前に現れた男がこうも異常だと、そんな疑問を投げかけられすらしなかった。が、少し落ち着いた今なら、真っ先にすべきだった質問を口に出せる。

 煌は少しばかり逡巡した後、スクリーンを開く動作をして、それをギャルに向けて払った。


 すると、ギャルの目の前に靄の集合体たるスクリーンが出現する。そこに映し出される金文字には、煌の情報が綴られている。口頭でも良かったが、それはそれで面倒だ。どうせ役職ジョブの説明をする際に見せるだろうから、開示のタイミングが前であろうが後であろうが大した差異はない。


 煌が自己紹介を面倒くさがったのが分かったのか、ギャルは口をへの字に曲げ、半目で煌を一度見上げ、そしてスクリーンに視線を移した。



 ○夜野 煌 ♂

 ○役職ジョブ叛逆者リベール

 ・『筋力補正S』

 身体の各筋力パラメータを任意で五倍にすることが可能。身体機能の補助効果がつく。条件達成時、更に二倍。

 ・『    』



「………………は?」


 目を疑い、何度も瞼を擦って二度見、いや三度見をするギャル。

 聞いたこともない役職ジョブ。破格の筋力補正。謎に空欄になっている能力。

 なるほど、これを全て口頭で説明するのは確かに骨が折れそうだ、と頷きかけたギャルは、ハッと意識を取り戻す。


「何コレ!?何だよこの能力!?ちっ、チートじゃん!チートだろこんなん!?」

「……もう見終わりましたか」


 その反応は見慣れている、といった風に嘆息し、スクリーンを仕舞う煌。


「じゃあ貴方のも見せて下さい」

「……五倍……ゴバイ……?」

「…早く」

「え?あ、あぁ……わりぃ……」


 未だに開いた口が塞がっていないギャルを気にかけず、煌はひたすらに淡々と話を進める。半ば放心状態でスクリーンを開き、煌にスライドさせる。



 ○有永 穂乃美 ♀

 ○役職ジョブ心理療法士セラピスト

 ・『士気向上C』

 行動を共にする人間の各筋力パラメータを1.1倍にする。

 ・『狂気緩和B』

 メンバーの正気度の振れ幅を小さくする。また、各個の精神汚染耐性を向上させる。

 ・『反筋力補正D』

 身体の各筋力パラメータが常時0.8倍。



「……へんなのばっかっしょ。笑っていいよ」


 ギャルこと、有永穂乃美のスクリーンを見て瞠目する煌を視界の端に収め、穂乃美はやや自嘲気味にそう言う。


―――心理療法士セラピスト


 白衣を着ているので医者ドクターと勘違いされがちだが、『クレイドル』内では医者ドクターより希少とされる役職ジョブだ。

 しかし、その珍しさに反して、心理療法士セラピストの評価は高くない。

 何故なら、心理療法士セラピストの能力には

『士気向上』の能力は、周囲の人間に筋力増強バフを掛けられるという意味では目に見える効果だが、それが1.1倍となっては微々たる物だ。ダンベル15キロを上げられる人間が20キロ近くのダンベルを持ち上げた所で、だからなんだ、というのが正直な感想。実感が湧きにくいのが欠点の能力なのである。

 そして、その影の薄さに拍車をかけた能力が、『狂気緩和』だ。

 この能力は正気度の振れ幅を小さくする、つまり土壇場でパニックになりづらくなる、というもの。


 つまるところ、


 自分が普段より冷静な判断ができているか、というのは自覚しづらい。加えて、処刑人エクスキュージョナーに追いかけられているときに欲しい能力はと聞かれれば、『いつもより冷静になれる能力』より、『物体を反射できる能力』のような実地的な能力の方が好まれるのは、火を見るよりも明らかなのである。


「これ見た人はさ、、みんな微妙な顔をしたから……多分、さ。あんま強くないんだよね、コレ。……あーし、馬鹿だけど、それくらいは分かる」


 目を伏せて、悲しげに呟く穂乃美。その顔は、自身の無力さを嘆いているというより、むしろ自身は無力であると諦めているような、割り切りの笑顔だった。

 いつも通り微妙な顔をされるのだろう。

 そう思って、煌の顔を見た穂乃美だったが―――


「……弱い?どこが?」

「……え?」


 キョトンとした様子で聞き返す煌。無表情ながら小首を傾げる姿は、小動物のような印象を与える。その煌の反応に、驚きを隠し得ない穂乃美。馬鹿にされるのがオチだと予想していたのに、それは裏切られることになったのだ。


「…『士気向上』はあると嬉しいレベルですが、『狂気緩和』は重要です。パニックというのは人から冷静さを奪う。人間が処刑人エクスキュージョナーに唯一勝てるのは、知性です。他の面では、いくら強い能力があろうが、結局は無敵性を破れない以上、足止めの域を出ない。人間の武器たる知性を失えば、奴らに勝てる道理はない。下手な足止め手段より有用です」


「…い、いや…それは言い過ぎじゃ――」


「言い過ぎじゃありませんし、別に貴方のフォローをしている訳でもありません。冷静さを欠いた味方というのは、そこらの処刑人エクスキュージョナーよりよっぽど厄介です。……あの手の類いの人間は、二度と相手にしたくない」


 自分の発言をきっかけに、何か嫌な記憶を思い出したのか、仏頂面だった顔が苦々しく歪む。その無表情が変わる程なのだから、本当に嫌な思い出だったらしい。


「…話は終わりです。脱出しましょう」

「あ、うん―――」


 蝋燭が照らす土のトンネルの先へと足を踏み出した煌。それについて行こうとしたが、自分の足は既に殆ど使い物にならなくなっていたことを思い出す。剃ってあるのか、色の薄い眉をひそめる穂乃美は、微かな違和感を抱く。


 


「あっ」


 煌との出会いの情報量が多すぎて、失念していた。

 何故、這ってでもトンネルを抜け出そうとしなかったのか。


 それは、『罠』があるからだ。


「やばッ―――!」


 自分のアホさに辟易して、煌の方へと咄嗟に振り返る穂乃美。

 罠の存在を伝えようとしたが、時は既に遅かった。


 煌の背後。


 左上方から高速で迫っていたのは、


 自然発生する筈もないソレは獲物の脳漿を散らすため、煌の認知外の領域から音もなく接近する。


 それを常人が避けられるわけがない。伸びた土槍は煌の肉体を深々と穿って―――



「……」



 いなかった。


 煌の首の真横を通り抜ける形で静止した土槍は、煌の脳髄を貫通することなく空振りしたのだ。


「の、ノールック……!?」


 一瞥すらせず、煌は迫り来る土槍を首を僅かに逸らして回避した。死角からの攻撃だったのに、まるで最初から分かっていたかのような動きである。


「…成る程。接触式ではなく感知式……感知されてから発動までは約1.2秒か」


 見てからの回避は出来なくないが、死角から何本も同時に来られると面倒だ。

 それに、怪我人が一人いる。

 彼女を庇いながらの移動は難しい。煌が先行して罠をわざと発動、解除し、そのあとで穂乃美を連れて行くというのは手の一つだが、手間も時間もかかる。


 と、なれば、取るべき手段は。


「失礼」

「は?……え、ちょっ!?」


 煌は座り込む穂乃美の足と背中に素早く手を回し、持ち上げる。

 いわゆる、というやつだ。


「ばっ、バカバカバカッ?!おろせよッ、恥ずかしいだろぉ!?」

「だから失礼と」

「言えば済む問題じゃねぇから?!」


 顔を真っ赤にして、ポカポカと両手で煌の体を叩く穂乃美。見た目にそぐわず、割とピュアな性格らしい。

 そして、穂乃美の必死の抵抗に対し、涼しげな反応をする煌。当たり前だが、非力な少女一人の腕力では、強化されている煌の体は微動だにしない。

 小さく溜息をついた後、煌は一言だけ穂乃美に忠告をした。


「黙っていた方が身のためですよ」

「はぁ!?な、なに、脅してるワケ!?」

「違います―――

「へ」


 言葉の意味が分からず、穂乃美の口から溢れた呆けた声は、


 何故なら、穂乃美の体は超高速の移動に巻き込まれたから。


 何が起こったか分からないのも無理はない。


―――常人には知覚できないスピードで、煌はトンネルの中を走り出したのだから。



「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいッッッ?!」



 周囲が霞むほどの速度でトンネルを駆け抜ける煌に抱かれている穂乃美は、あまりの迫力と恐ろしさに悲鳴を上げる。その悲鳴ですら尾を引くスピードで、煌は走っていた。

 煌の脚力により穿たれた土の地面からは凄まじい量の粉塵が上がり、トンネルの中を土煙で満たしていく。


(な、な、何でこんなことすんのコイツッッッ!?)


 目もろくに開けていられない風圧の中、穂乃美は抱いた疑問を解決すべく、煌の顔を見上げて質問しようとした。

 しかし、その答えは穂乃美の視界に入った光景により完結する。


「……!? 土槍が……


 煌の存在を感知し、壁から生える土槍のトラップ。

 本来なら煌の体を貫く筈のそれが、


 トンネルを埋め尽くす程に仕掛けられていた土槍の罠は、煌のあまりの速さに対応できていない。存在を感知した後に生えてこようが、その時には既に煌はその場を過ぎ去った後だ。

 オンラインゲームでタイムラグが生じている状況を彷彿とさせる、煌の通り道に無数の土槍が創造されていく光景は、最早壮観とも言えるものだった。


「す、すご……!」

「喋らないで下さい」


 それ程までの速度で走っていながら、煌には息が荒げている様子も無ければ、汗玉1つすらかいていない。声も全く揺れていない辺りが、この状態を作り上げるのに何一つとして煌の労力がかかっていないことを示唆していた。


(これが……叛逆者リベール!!)


 筋力補正五倍を授かった者の能力を目の当たりにし、心の底から感嘆する穂乃美。

 そうしている間にも、煌は罠の仕掛けられたトンネルを高速で踏破していく。


 トンネルとて直線ばかりではない。曲がり角もあるわけで、そこではどうしてもスピードが落ちてしまう。

 大丈夫か、と一瞬心配になった穂乃美だが、その予想は良い意味で裏切られる。


 煌は曲がり角に差し掛かる直前で大きく跳躍すると、垂直にそりたつ土壁に着地し、体の向きを変える。

 クッション代わりに曲げた膝を一層落とし、次の瞬間には全力で伸ばす。脚から放出されたエネルギーが壁を爆砕し、煌の体は殆ど勢いを殺すことなく曲がり角を通過した。


 その後もトンネルを駆け抜けた煌達は、やがて終着点に辿り着く。

 そこにあったのは、鉄格子の扉。鴉頭の処刑人エクスキュージョナーがいたステージで最初に見かけた扉と似通っており、唯一の差異点といえば、両側に蝋燭台を取り付けてあることぐらいか。

 扉の先には石の階段が見えており、地上に戻れることを暗に示していた。


「やっと出口―――」


 絶望的な状況から解放されたことを確信し、顔が明るくなった穂乃美。

 だが、そう簡単にはいかないのが『クレイドル』だ。

 扉の直前。

 煌達に立ち塞がるように、四本の土槍が発生したのだ。


「……逃さないために、予め設置された土槍か」

「冷静なのは良いけど、ヤバいってアレ!?後ろからも槍が迫ってるし、もう逃げ場ないし!?」


 前方には土槍。後方にも土槍。

 行き止まりにされ、土槍に前後を挟まれた状態では、煌達に逃げ場はない。待ち受ける未来は、発動した土槍に貫かれて絶命する未来だ。


 自分たちも終わりか、と諦めかけた時、穂乃美は気づく。


 ここまで来れば穂乃美だって学習するのだ。


 こんな状況だって、彼は打開してしまうのだらう。


 叛逆者リベールにとっては、絶望は大した相手じゃない。


 ただ、打ち破るためだけに存在する壁だ。



「煌マルゥッ!!やっちゃえぇぇぇぇぇぇええ!!」



 拳を突き出した穂乃美に呼応するように、煌は前方で行方を阻む土槍の手前で再び跳躍、体を限界まで捻り、空中で渾身の蹴りを放った。

 加速されたコンバットシューズの蹴りは轟音と共に土槍四本をまとめて一掃し、後ろにあった格子扉ごと木っ端微塵にする。


 跳躍の勢いを地面を靴でスライドすることで相殺し、煌達の体は階段の前で停止した。

 煌のシューズは二本のブレーキ痕を残して、石の地面から土埃を上げている。


「…下ろしますよ」


 静かに穂乃美の体を地に下ろした煌は、無言で階段へと向かい出した。


「煌マル!」


 いつの間にか勝手につけられていた変な呼び名が背後からかかり、眉を不満そうに顰めながら振り返る煌。


「ん!」


 グーの形にした拳を手前に掲げている穂乃美を見て、小さく溜息を一つついた後、煌は自身の拳を突き出す。


「うぇーい!」


 満面の笑みで、泥まみれのギャルは拳を打ち合わせるのだった。


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