第六揺 明暁を目指して


 紫ポータルの目の前に着き、治療を始める紅葉。


「この傷なら、多分包帯3個で…!」


 そう言って虚空から現れてたのは、見た目は普通の包帯。ただし、普通なのは見た目だけだ。


 紅葉が傷の近くに包帯を当てると、緑色に発光しながら包帯が夢莉の体に巻き付いた。

 数秒後、包帯が光の粒子になって消滅する。怪我を確認してみると、やはり服は戻っていないが、傷はきちんと塞がっていた。


「おお…手軽…」

「よし、これで大丈夫!」

「うぅ…ありがとう…鈍臭くてごめんなさい…」

「いや、夢莉は悪くねェ。背負ってた俺が避けきれなかったのが悪いんだ。すまんかッたな…」

「い、いえいえ…」


 背丈の小さい夢莉と高身長の玄二が合わさると、まるで兄弟のようにも見え、朗らかな雰囲気が出る。


「それにしても、まだ小さいのに肝が据わってますね。流石です」

「…え、えっと」

「?」


 気まずそうに笑う夢莉と、あちゃー、みたいな顔をする玄二と紅葉を見て、煌は脳内に疑問符を浮かべる。


「わ、わたし……19歳です…大学一年生です……メンバー最年長です…」

「え」

「へへへ…そうですよね、わたし、小さいですもんね…威厳ないですもんね……こんなんが最年長とか、笑っちゃいますよね……うぅ……」

「い、いや、違くてですねコレは」


 涙目になる夢莉を見て、焦りながら弁明をする煌。ちらり、と二人を横目に見て救援を求めるが、


紅葉→「やっちゃったね、わかるよ。弁明頑張って!」の顔

玄二→「やりやがッたよコイツwwwほら弁明ガンバw」の顔


 紅葉はともかく玄二はあてにならない。冷や汗を流す煌は、解決策に話を逸らすことを選ぶ。


「ま、まだかなー西条さん!まだかなー!」

「呼ばれて飛び出て華麗に登場!ニャンニャン音子ちゃんだヨ!さぁワタシを呼んだのはドコの迷える煌クンかな?!」

「………それじゃあ打ち合わせを始めましょう」

「え?スルー?」


「さ、さすがにこの手の羞恥プレイはワタシにも効くっていうかぁ…」と、ゴニョゴニョと悶える音子を見なかったことにし、話を始める煌。


「…それで?どうやってあの無敵のバケモンを倒すんだ?」

「…え?倒す?」

「はい、倒します」


 そう煌が断言すると、途端に音子の顔が厳しくなる。


「…本気?」

「えぇ」

「………ワタシは、色んな処刑人から逃げて来た。この場所以外でも、ネ。この中では、多分一番の『クレイドル』のベテラン…その観点から言わせてもらうヨ」


 煌へ向き直り、神妙な面持ちで話す音子。


「ワタシだって、やろうとしなかったわけじゃない。でも、一回としてその無敵性が破れたことはなかった。火で炙った。水没させた。落下させた。感電させた。それでも、アイツらに攻撃は効かない。それでも、倒せると?」

「可能性がある、という話です」

「…なら、聞かせて」


 音子が、かつてない程に真剣に煌を見据える。


「…それでは、お話しします。あの鴉頭の、無敵の解除方法について」






「…説明は以上です。まだ何か質問がありますか?」


 場は、静かさを保っていた。

 煌は説明を終え、周りを見渡す。

 そこにあった顔は―――


「凄すぎて…なんて言えばいいか…」

「あぁ…頭の回転も、ここまでくれば役職レベルだろ…」

「うぇぇ…私まだ理解しきれてないぃ…」


 紅葉、玄二、夢莉の三人は感嘆の声をあげていた。


「ほ、褒めすぎだろ…」

「本当にすごいよ、煌君!なんで思いつけるのそんなこと!まだ初回だよ?!初めて『クレイドル』に降り立って、それでだよ?!自信持っていいって!」

「…いや、まだだよ。この世界の1番のプロから答えを聞けてない」

「…!」


 煌は、音子の方を見る。沈黙を貫いていた音子だったが、ようやく口を開く。


「成功可能性は五分五分だネ」

「えぇ、そんなところでしょう。この作戦自体、元々が博打みたいなものなんですから」

「シンプルだけど、『クレイドル』のっていうのは、やっぱり難しいからネ。やってみるしかない。それは分かる」


 音子が、スゥッ、と息を吸う。


「でも、やっぱり五分五分の賭けに、三人の命は賭けられない。それは、わかって欲しい」

「…ええ、分かっています。作戦実行は俺がやりましょう」

「えっ?煌君が、やるの?」

「おい音子、何言ってやがる。コイツは身体機能補助も、能力も持たない奴だぞ?それが、そんな危険な役目――」

「いえ、どちらにしろ皆さんには出来ないんです。笠原さんは言わずもがな、被虐体質持ちの更科さんも駄目。身体機能デバフ付きの宮園さんもです」

「っ、なら、音子はどうなの?私は出来ないけど、音子ならその役目をもっと簡単に――」


 そう言いかけた紅葉の言葉を止める煌。


「これは、試験みたいなものなんだ。俺が皆の役に立って、『守られる側』から脱却するためには、この役割は俺が実行しなきゃいけない」

「でも!何かあっても、その作戦じゃ途中で助けに行くことだって…!」

「…更科さん。分かって欲しい」

「…紅葉。男の矜持だ。邪魔してくれンな」

「っ、笠原君はいいの?!煌君が、死んじゃうかもしれないんだよ!?」

「言っただろ。男の矜持だ。俺がどうこう言うこッちゃねぇ」


 そう言い切って、煌の前に立つ玄二。


「必ず成功させろ。俺たちは待ってる」

「えぇ、分かりました」


 それを聞いて、玄二はニヤリと口角を上げた。


「敬語禁止な」

「えっ」




 ***




 閑静な街中、金属物を石畳で引きずる音が響いている。

 鴉頭の処刑人は相変わらず大鎌を力なく連れ回して、ふらりふらりと歩いていた。

 その目的は、この街に駆け回る鼠の駆除。ペストマスクの向こう側を静かな殺意で満たし、怪物は街の徘徊を続ける。


 その時、怪物の背後で石の転がる音が聴こえた。


『!』


 振り返り、その音の主を探す怪物。しかし、ざっと見回しても、その姿はどこにも見当たらない。疑問を覚えながら、怪物が体を後ろに向けた瞬間。


「こっちだウスノロ。地獄を見せてやる」


 またも後ろからの音。しかし今回は石ではなく、鼠の方だ。


『…ォオ』


 挑発に怒りを感じるような知能は持ち合わせていない。だが、その声は普段より怒気のこもっているように感じられた。

 鼠は怪物の後ろを通って、その先の道を走っていく。それに遅れず、怪物もまた鼠を追いかけ出した。


(ここは作戦通り…ここからが本番だ)


 煌の作戦を発動させるためには、あの広間まで怪物を誘導しなければならない。故に、ここからは煌の体力が保つかどうかのチキンレースだ。

 煌は脳内で、先程の会話を思い出していた。





「あいつの無敵性は、この『クレイドル』のルールに紐付けされた、絶対的なモノです。俺たちが普通に戦っても、あれは破れない」

「そうだな。だからこその作戦なんだろ?」

「はい、そうです。わかりやすいように誤用しますが、『目には目を、歯には歯を』というやつです。今回なら、、でしょうか」

「ルールには、ルール…?」

「順に説明していきますね」


 石畳の上に、近くに落ちていた石を使って図を描き始める煌。


「まず基本方針です。アイツを、首吊りで殺します」

「「「首吊り?」」」

「正確には疑似的首チョンパになるんですが、それはいいとして…場所として、広場の入り口の上にあった、建物と建物を繋ぐ渡り廊下を利用します」


 渡り廊下と、そこから垂らした縄を描き込んでいく。


「首吊りに使う縄は西条さんが出せる投げ縄を使います。西条さん、先端の輪っかをアイツの首に入るくらいの大きさにする場合、縄は何メートル出せますか?」

「…単純な縄なら10メートルくらいだけど、それなら5メートルとかかナ」

「充分です。それを渡り廊下から垂らして、アイツが突進した時に首が入る位置に投げ縄の先端をセット。突進を誘導役が発動させて、縄の中に首を入れさせます。これが基本方針です」

「なな、成る程…で、でも、それで無敵が破れるんですか…?」

「そうだな。それに、音子の縄だッて無敵じゃねぇ。まともに突進なんか喰らッてたら、秒で千切れちまうぞ」


 質問する夢莉と玄二に、煌が答える。


「勿論、それだけじゃ破れません。なので、笠原さんの『克己殉公』の反射能力を使います」

「…あ?俺か?」

「えぇ、笠原さんは、自分の反射能力がどういうものか知ってますか?」

「あー?来たもんを吹ッ飛ばすって、ただそれだけだろ」

「もう少し具体的に」

「…分からん。適当につかッてたかんなぁ…で、何が言いたいんだ?」

「笠原さんの反射能力が、どの種類の反射能力か、ということです」


「種類っていうのも」、と指を立てる煌。


「ただ単純に、『迫ってきたものに対し、逆向きの力を与える』っていう能力なら、欠点だらけの能力なんですよ」

「産廃ッてことか?」

「いやそこまで言ってませんけど…迫ってきたものが硬いものならいいんです。絶対に壊れない物、それこそ処刑人エクスキュージョナーだとか」

「…じゃあ、柔らかい物ならダメなの?」

「柔らかい物っていうと、ざっくりしすぎですね。例えば、さっきの状況です」

「さっき…時計塔の?」

「あの時計塔は老朽化が進んでいました。そんな物体に対し、?」

「っ、そそ、そっか!!」


 夢莉の解答に、コクリ、と頷く煌。


「ただ力を加えるだけの能力なら、あの時計塔は笠原さんの能力で割れるにとどまり、俺たちは瓦礫の下に埋まっていたでしょう」

「でも、そうはならなかった」

「はい。更科さん、時計塔がどうなったか覚えていますか?」

「えっと、確か…ような…」

「当たりです。つまり、あれだけ脆い建物が一点の大きな撃力を加えても折れすらしなかったわけです。何故か?」


 顔を見合わせる三人。どうやら答えは出ないらしい。


「答えを言うと、笠原さんの反射能力は『対象の物体に対し、接触時に逆向き2倍の力積を加え、同時に』ものだからです」

「対象の状態を保存?」

「要するに、対象物は反射の瞬間、『絶対に壊れない物質』になるわけです」

「…あ!だから時計塔は反射の時に壊れなかったんだ!」

「そういうこと」


 紅葉の結論に、にっこりと笑って同意する煌。


「確かに、来た物をぶッ壊すだけだったら、到底反射とは言えないゴミ能力だな」

「いやだからそこまで言ってませんけど……とにかく、重要なのは、この『対象物を接触時に絶対に壊れない物質にする』という能力です」

「…もしかして!」


 紅葉は気づいたようだが、残る二人のためにヒントを出す。


「それでは問題です。この能力を?」

「「…あっ!!」」


 煌はニヤリと笑う。


「『絶対に壊れない無敵の縄』と、『絶対に倒せない剛速の怪物』の衝突。無敵対無敵。世界にあってはならない、『因果の矛盾』が発生するんです」


 音子を含め、聞いていた四人に衝撃が走る。


「この因果矛盾がどう処理されるか、それは分かりません。ですが、反射能力は処刑人を吹っ飛ばせる。アイツの無敵性より、反射の無敵性に軍配が上がる可能性は、あると思います」

「でも、なんつーか…それ、どうやッてやるんだ?」

「それも今から説明しますね。まず、笠原さんが渡り廊下に立って縄の先端を持ちます。誘導役が走ってくるのが見えたら、能力を発動させたままで待機して下さい」

「あれ?触ったら発動するんだよね?ずっと触ってたら、すぐ発動しちゃうんじゃ…」

「『対象』に反射能力を適用する条件を考えれば、おそらく動かない物体に反射能力は働きません。多少の動きにも発動しないと思うんですが…どうですか、笠原さん?」


 顎に手を当て少し考える玄二。数秒かけて思考し、やがて煌に同意するように頷いた。


「多分そうだな。俺の認識の問題もあるが、大して動きもしないモンには発動しねェと思う」

「良かったです。あとは誘導役が触らなければ大丈夫ですね」


 図上の渡り廊下に玄二を書き込む煌。そこで夢莉が、抱いていた疑問をおずおずとしながらも煌へとぶつけてきた。


「そそ、それとなんですが、笠原さんが縄に引っ張られて吹っ飛んじゃう可能性とか、ななないんですか…?」

「それも無いです。処刑人に使った時も、時計塔の時も、笠原さんの位置は1ミリも変わってませんでした。反射発動時は位置も固定されるんでしょうね」

「覚えてんのかよ…普通そんなとこ見るか…?」


 顔を引き攣らせて感嘆する玄二に対し、煌は淡々と説明を続ける。


「話を戻します。誘導役は広場への一本道に差し掛かった瞬間、距離を離してアイツに突進させます。突進までの硬直時間で誘導役は縄を避けて、入り口の横へ逃げます。あとは簡単です。突進した怪物が縄に首を引っ掛けて、笠原さんの反射能力とどちらが『クレイドル』のシステム上優勢か、『因果矛盾の縄引き』をさせます。これの結果がどうなるかは不確定要素ではあるんですが…」


「説明は以上です」と締めくくって、煌は話を終えた。




 そして時は再び現在へ。

 この誘導役というのが煌であり、散々紅葉に渋られたところである。

 夢莉の『天体観測』で処刑人の位置を大体把握した後、煌が引きつけに行ったというわけだ。

 位置は遠くはなかったが、近くもなかった。このまま渡り廊下まで誘導し続けなければならないとなると、確かに煌には荷が重い。

 体力はある程度戻ったものの、体の疲労が消えたわけでは無い。再生した右足はまだしも、左足は既に悲鳴をあげ始めている。


(だけど、やるんだ。それが、俺の存在意義の証明になるのなら…!)


 決意を胸に、少年は走る。




 ***




「一回落ち着きなヨ、クーちゃん。そんなに顔を歪めてたら折角の美人が台無しだぜぃ?」

「…落ち着いてなんかいられないよ。今も、煌君は辛い思いをしてるのに…体力はまだしも、疲労は取れてないし、血だって足りてない…」

「健気だネー。でも本人がやるって言ったんだヨ?」

「それは!…そう、だけど」


 反論しかけて、止める紅葉。

 あの時、煌を焚きつけたのは音子ではないか。そう言おうとしたが、その発言は煌の意志を踏み躙ることになると気づき、口を噤んだのだ。


「今は待つしかないサ。あ、オッタマゲッコンゲームやる?」

「あのゲーム一人用でしょ…」

「わわ、私は好きですよ?」

「ルールを拡張すれば三人でも――」

「お前らな…」


 謎ゲームに対し意見する三人を尻目に呆れた顔をする玄二。ヤンキーの見た目はしているが、実はかなり常識人だったりする。


「…根性見せろよ、煌」


 彼方を見て呟く玄二。

 その言葉は、虚空に溶けていった。





「はぁっ…はぁっ…また、この状態っ、かよっ…!」


 盛大に息切れしながら、思わずぼやく煌。


 無理もない。血が足りていない体では元より長い走行には耐えられないのだが、それを精神力で保たせて10分近く逃げ続けているのだから。


 鬼ごっこで10分逃げ続ける。

 普通の鬼ごっこでも、それが如何に辛いかは分かるだろう。全力疾走でないにしても、死の恐怖に直面しながらの逃走だ、精神もすり減るし、体力も通常より早く無くなる。


(っ、くそ…もう脚が上がらなくなってきた…!)


 限界の左足を庇いながら右足を酷使して走ってきた煌だが、今度は右足にガタがくるのを感じる。


 かといって、諦めるわけにはいかない。そもそも、助けに来れないことが分かっている時点で、諦めるにも諦めようがないのである。


(今は、走れ…!無様でもいい…今だけは…!)


 太腿を強引に上げて走る煌。

 その時だった。



 怪物の、足音が止まる。



(なっ…!突進のモーション?!なんで――)


 そこまで考えて気づく。


 突進を避けるのは体力を使う。だから、出来るだけ距離が離れないよう保ってきた。

 だが、体が限界に近づくと同時に走ることに集中しすぎたのだ。


 10


「―――ッッッ!間に合えぇぇぇえ!」

『ォォオオッ!』


 曲がり角の先まで全力疾走する煌。雄叫びと共に、怪物が迫る。


 間一髪。角を曲がって攻撃をかわした煌だが、風圧で体が吹き飛ばされ、そのまま地面に叩きつけられた。


「ぐっ、ぁ…足、は付いてる…けど――」


 真っ先に足を見て、健在なのを確認する。

 しかし、着地の際の手のつきかたが悪かった。


 煌の左手首、そして右腕は、あらぬ方向に曲がっていた。


「~~~っっっ!!」


 激痛に脳を焼かれ、声にならない絶叫をあげる煌。


(落ち着け…!足が消えた痛みに比べれば、大したことないだろ…!)


 そう自分に思い込ませる煌だが、痛いものは痛い。今まで大きな怪我をしてこなかった煌の脳は、体を大きく損傷した時の痛みに慣れていないのだ。


 折れた左手首を酷使して、何とか立ち上がる煌。強く打ったせいか、背骨やら後頭部やらも痛むが、気にしていられない。


 早く立て直さなければ、あの鴉頭に追いつかれる。そうなれば一貫の終わりだ。鎌で斬りつけられるのは、おそらく射程3メートル内に入った時だろう。なら、少なくとも5メートルは離れなければ。


「ぐぅぅっ……ぁあ…」


 よろめきながら走る煌。足がおぼつかない。体幹もぶれまくりだ。頭からは血が流れ、内臓が傷ついたのだろう、口腔内が血で溢れる。


 それでも、走る。


 また、あの人達と話したい。


 あの人達と、本当の仲間になって笑い合いたい。





 あの人に、好きだと伝えたい。





 いじめの一件以来、本気など出したことがなかった。出したくなかった。


 だが、今出さないで、いつ出すのだ。


 走れ。振り絞れ。滑稽でも、生き延びろ。



 ―――――未来あしたを、踏み出せ!




「ああぁぁあああああッッッ!!」




 少年は止まらない。ボロボロになろうが、走り出す。






「っ、今の音…!」

「あの野郎の突進音だ!しかも近ェぞ!」

「煌君…!」


 生きていたことに安堵する紅葉だったが、それもすぐに打ち消される。



 少年の絶叫を聴いた。腹から振り絞った、ガタガタの叫び。


 普段の彼からは想像もできない、熱い叫びだ。



「…おい、これ、アイツ、ヤベェんじゃねえのか…!?」

「でで、でもここで助けたら、夜野君頑張ってきたのに、どど、努力が無駄になっちゃう…」

「……っ」

「おい、紅葉?」


 紅葉の様子の異変を感じ、声をかける玄二。


(助けるわけにはいかない!それはわかってる!でも…何か…何か、他に煌君を助けられることは…!)


「…あ」

「…クーちゃん?」

「…音子…は、一応縄の近くにいた方が良いから…夢莉ちゃんかな」

「おい待てよ。煌のこと助けんのか?それは流石に――」

「違うよ、笠原君。助けるんじゃない、手伝うんだよ」

「…?」


 それは、紅葉しか気づかなかった、


「夢莉ちゃん!」

「はははい?!」


 にっ、笑う紅葉。


「手伝って欲しいことがあるの」


 ***


 煌の精神力は異常だった。


 こと切れる寸前の体を、気合だけで動かし続けた。

 その甲斐あり、最後の曲がり角まで2メートル。ここを曲がれば、広場へのラスト一本道だ。


 角を曲がって、前を見る。


 渡り廊下に、玄二が立っているのが見える。音子もそばにいるだろう。

 煌が曲がった数秒後、怪物が大音量の足音と共に煌を追って現れる。


 玄二は、想像より遥かに痛々しい煌の姿に息を呑んでいた。


 折れた右腕に、内側に曲がった左手首。頭と口からは血も流れている。口端には、血の泡ができていた。

 懸命にボロボロの手足を振りながら、糸の絡まった操り人形のように不格好に走る。


 しかし、その目からは光は消えていない。

 ゴールを見据えている。


 その様子に胸が熱くなり、玄二は激励をした。


「…!よくやッた、煌!ラストだ!踏ん張れ!」

「…っ、あぁ!」



(最後だ…ここで、突進を発動させて――)


 そこまで考えて、煌は作戦の致命的な欠陥に気づく。



(10…!)



 そう、突進の発動条件は距離を10メートル離すこと。


 それが、死にかけの体にできようはずもない。


(作戦、失敗…そんな、ここまできて…!)


 諦めかけた、その時だった。


「煌君、広場の入り口まででいい!走ってッ!」

「―――ぁ」


 紅葉が広場の向こう側に立っている。

 なぜ、そんな大声を出した。そんなことをすれば、被虐体質でターゲットが―――


(ッッッ!?そういうことか!!)


 大声を出すことにより、処刑人に存在を伝える。それにより被虐体質が発動するのは、最初に煌を助けてくれた時に分かっていた。


 この状況。ターゲットが5メートル程前方にしかいないため、突進が発動されない、この状況。


 ならば、


 被虐体質により、ターゲットが煌から紅葉に移る。


 対象までの距離、約50メートル。

 発動条件は、十分。


『ォォォォオオオオオオッッ!!』


 雄叫びと同時に、突進のモーションに入る怪物。

 その硬直時間により、広場の入り口まで逃げ切ることは可能だ。


 だが、もう一つの作戦の欠陥。


(避ける体力が残ってない…曲がりきれない…!)


 体力がなくなったが故に、もう避けることすら出来ない。入り口に辿り着くのがせいぜいだ。


 背後で地面が爆ぜる音が聴こえた。

 撥ねられて殺される未来を直感し、目を閉じた煌だったが。



「て、てやーーーーーっっっ!」

「ぶふぇっ!?」


 入り口横から飛び出してきた夢莉の頭突きにより、ボロボロの煌の体躯は、くの字に曲がって吹っ飛ぶ。


 他者による強制回避。


 そして、状況は整う。


 地を穿って紅葉に迫る処刑人の首に、断罪の縄がかけられる。無論、縄があろうが、それを回避する知能など怪物は持ち合わせていない。



「散々、人の命を弄んできたテメェだ!死をもって償いやがれ!」


『ォォォォオオオオオオッッ!』


「『克己殉公』―――――――ッッッ!!」



 玄二の反射能力で無敵とかした首吊り縄と、怪物の巨躯が接触する。




 刹那。




 因果が、衝突した。




 悪夢の世界が、凄まじい白光で埋め尽くされる。


 幾重にも重なる赤子の鳴き声、それらをすり潰したような音が爆音で響きわたり、迸った衝撃波が周囲を破壊する。



 矛盾の発生が、『クレイドル』を震わせ、侵していく。



 ルールとルールの鍔迫り合い。


 その果てに、得られた結果は。

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