現場検証と久遠の霊能力

「営業二課はパワハラが酷かったらしいです。課長が―――その、すごく苛烈な人で」


 暴言、何かを叩き付けて脅すなどと言った行為が頻繁に起こっていた。

 そして自殺した細身氏は、それを苦にして―――ということらしい。


「―――多分それで。恨んでいるんだと思います。だから」


 祓ってほしい。

 山口さんが言うにはそういうことらしい。


「それで、どういう風にやることになるんですか?やっぱり社内に入り込んだりとか―――」

「いえ。それはありませぬ。こちらの座間久遠さまがいらっしゃりましたから」


 山口さんははぁ、と困惑した様子で僕に視線を向けた。

 明らかに場慣れもしていなければ貫禄も無い、藤子さんに比べて歳も格も下に見える青年。それが僕だった。


「こちらの久遠さまの能力があれば鬼に金棒でございまする。ね?」

「えっと、まぁ。実際に視てみないことには何とも言えまえんが」


 その怪奇現象を、である。


 まだ分からない。

 藤子さんと僕、どちらが本物か、あるいはどちらも本物なのか。

 霊能力とは非常に主観的なものだと思う。

 僕は自分の力を本物だと思っている。だが、人によってそれについての所感は異なるはずだ。

 ある人に言わせれば本物であり、ある人に言わせればインチキで人を騙す詐欺師だ。


 僕にとってはこの力こそ本物ということになる。

 しかし、藤子さんにとっての僕、そして僕にとっての藤子さんのそれが、同じものなのかは分からない。


 視てみないことには、何も分からないのだ。


「ではでは。実際に視てみることといたしまするか」


 藤子さんが言う。

 これから、実際に現場検証を行う。時計の針は現在12時45分を指していた。僕には何が視えるのか。何が視えないのか。確かめてみることにした。





「あまりおいしくありませんでしたか?」


 13時00分。

 僕たちやはり何食わぬ顔をしながら、ビルの横で怪異を待った。

 依頼者の山口さんはすでに社内に戻り、仕事をしている。


 僕の質問に、藤子さんは「不快にさせてしまい申し訳ございません」と、心底申し訳なさそうに言った。


「人の意図が多いところではあまり食が進まないのでありまする」

「円藤邸も結構、人が多かったと思うのですが。それに……」


 朝食を作っていたのも雇いの料理人とのことだ。そこに努めている全員が、正の感情を備えているわけではないだろう。

 それに、その……こうってはなんだが沙巫お嬢さんは常に不機嫌な顔をしていた。

 彼女の嗅覚が人と違うものをかぎ取るのなら、あの空間もそう良いものでは無いのではないか。


「円藤邸には清浄結界が貼られておりますれば。都心にしては匂いも少ないのでありまする。悪い匂いを退け、残るのはよい匂いだけ。わたくしの勝手な推測でございまするが―――円藤のお邸では何も視えなかったのでございませぬか?」

「まぁ」


 実際、あの邸の中では何も視なかった。

 周辺に墓所があるし、住宅地であるために因縁も多そうなものだが、それでも怪異の姿は確かに僕の視界には映らなかった。


「沙巫お嬢さまにしても、同じことでございまする。お嬢さまは確かに我々をよく思っておりませぬが……それは消して理由のないことでも理不尽なことでもございませぬ。努めて、会話をしないことで自分を守っているのでございまする」

「―――彼女も視えるんですか?」

「と、円藤刀自からは聞いておりまする。視えるがゆえに、自分を守るために怪異とかかわらない。そういうあり方を選択されたのであれば……何も言うことはできないと思いまする」


 それはまた。僕以上に難儀な生き方を選んでしまったものだ。

 僕は生まれてこの方、自分の生まれについては諦めとともに受け入れてきた。そういう星の下に生まれてしまったし、そのための力まで受け継いでしまった。だったら、そう生きるのが筋だろう……と。


 ―――もっとも、その筋も失ってしまったわけだが。

 代々受け継いできた役目を僕はいきなり取り上げられた。それについて、まぁ僕も生き物だし、生きていかないといけないからこうして次の仕事に飛びついてるわけだが。それでも、これまで信じてきたものを奪われたのには違いない。


 逆に彼女は、自分が受け継いでしまったものを自発的に拒絶する人生を選んでいる。その点で言えば、僕より能動的に選択していると言えるかも知れない。それによって見舞われる難儀さは僕とそう変わりが無いだろうが。


「―――やはり店員さんですか?」

「はい?」

「先ほどのハヤシライスです」

「ああ―――いえ。確かに店員の方からも匂いましたが、しかしそれは別段大したことでは無いのでございます。あの空間全体でありまする。皆さま疲れてらっしゃったでしょう?仕事をしたり、日々を生きれば自然と倦み疲れる―――そういうものを、わたくしが勝手に嗅ぎ取ってしまっているのでございますれば」


 ―――そうなのだとしたら、仕方がないことか。

 誰もが疲れるし、誰もが負の感情は持ちうる。例外は無いはずだ。




 1時25分ごろ。例の時間まであと五分。

 ビル風がびゅうびゅうと、僕たちを撫でつけていく。

 人通りは相変わらず少ない。何かが起きてもしばらく気が付かれなさそうなくらいだ。

 しかし、ビルからは何も感じ取れない。

 何か妙なオーラが出てくるとか、妙な模様が浮かび上がってくるとか、そういうことも―――


「あ」


 1時30分秒。

 屋上に何かが視えた。いや、それは瞭然だった。人影だ。人間が、ビルの屋上から下界を見下ろすように立っている。


 最初、僕はそれを怪異とは気が付かなかった。件の怪異であろうとは、思わなかった。あまりに自然にそこに現れた、ただの人間だと。

 彼はフェンスの外側から世界を見下ろしていた。

 表情までは見えない。いや、視えない。ただ、のっそりとした動きからはひどく興奮しつつも疲れているような、そういう矛盾した様相が感じ取れた。


 彼は一度、後ろを振り返った。

 何かをためらうような、期待するような。そんな動きである。

 だが、期待する何かが現れなかったのだろうか。彼はそのまま、意を決したような表情で前を向き――――飛び降りた。


「あ。そうか」


 そこで、僕はようやく気が付いた。あれは怪異だ。

 例の、音と衝撃をビルの各階に伝えるという、怪奇現象の張本人―――いや霊だ。


 だとするなら、僕が視なくてはならない。


「―――なんと」


 驚嘆の声を挙げたのは藤子さんだった。

 彼女が霊を感じ取るのは嗅覚によるもの。何かが視えているわけではないはずだ。


「――—匂いはしますか」

「いいえ。匂いませぬ。音と衝撃も―――聞こえてきませぬな」

「でしょうね」


 当たり前だ。

 僕がこの霊を視ているのだから。僕が視ている限り、霊は動くことはできない。生前の行動の再現などできない。


 ―――そう。それこそが僕の霊能力。霊を自発的に視ることによって、対象の動きを静止させる封印術式の要。


 人の姿をした影は地面に落ちる寸前、投げ出された身体が僕と顔を合わせるような位置で停止していた。その表情は、読めない。

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