第25話
「ら、ライハルト……」
エニクランド陛下は声を絞り出すので精一杯だった。
ここに来る時ですらいがみ合っていたフェンブルシェンも、テテューパも揃って顔を強ばらせている。
ライハルトは音に聞くほどの優秀な王子――次期国王と期待されていることを、2人も知っている。
王位継承戦という壮大なレースの中で、明らかに1歩、いや身1つ抜けた王子が、数々の貴族の家を襲撃し、国民を不安に陥れ、さらに三族会議襲撃を予告した『マスク』とは、誰も思わなかったのである。
「どういうことだ、ライハルト! 悪ふざけにもすぎるぞ!!」
エニクランドは落雷のように声を響かせた。
当然であろう。
自慢の息子が主犯な上、それを大事な三族会議の場で明らかになったのだから。
「ふざけているのは、あなたでしょう、陛下……」
「何?」
「言ったはずです。俺は――いや、『マスク』は信を問いにきたと」
「この後に及んで……。何を戯言を……」
「戯言ではありません。俺が『マスク』として父上を騙していたことは謝ります。しかし、俺が今さっきまで述べたことはすべて事実です。それをどう弁解するつもりか!!」
「余ではない。ましてフェンブルシェンが関わっているわけがなかろう。そもそも貴様が先ほど言ったことはすべて机上の空論だ。推測からでておらぬわ」
「その通りだ、ライハルト」
フェンブルシェンも口を挟む。
「そこまで言うのであれば、証拠を出してもらおう」
「確かに……。その通りです。証拠はありません」
「はっ! やはり戯言ではないか!」
「証拠はあなたによって消された。教えて下さい、陛下。2万人の奴隷を、あなたはどこにやったのです」
「はっ?」
エニクランドは固まる。
眉間を震わせたのは、テテューパだった。
「お待ち下さい、陛下」
1つ断りを入れると、拘束されたライハルトの前にルドー族の長テテューパは立った。
「2万人の奴隷と言いましたね。あなたはリストを手に入れたと言っていた。その奴隷のリストに書かれた奴隷はどこに行ったのですか?」
その質問に、ライハルトは力なく首を振った。
「わかりません……」
「どういうことですか? 2万人ですよ? 2万人の奴隷が忽然と消えたというのですか?」
「俺はそれを探すために、いくつものアジトと貴族の屋敷を強襲した。しかし、どこにも2万人の奴隷を見つけ出すことはできなかった」
「なんと…………」
「テテューパ様、どうか俺の言葉を信じて下さい。今、俺の仲間が必死にその奴隷を解放しようと動いている」
ライハルトの瞳は、北に上る煙の方を向いていた。
「まさかあの煙は……」
「奴隷の取引場所です。彼らに報いるためにも…………」
「その必要はないよ、ライハルト」
穏やかな声が聞こえる。
やって来たのは、桟橋の根本で警備をしていたグラトニアと警備兵たちである。
そして、その側にいたのは、反政府組織『ホープル』の女副長ルルジアだった。
「ライハルト様!!」
ルルジアは心配するが、後ろ手に縄を打たれていて自由に動くことはできない。
さらにルルジアを先頭にして、反政府組織の団員たちが縄、あるいは魔法で拘束されていた。
「ルルジア!!」
「あれは! あのアジトは罠でした! わたくしたちを捕ま――――キャアアアアア!!」
ルルジアは雷属性魔法が放たれる。
悲鳴が空気を切り裂き、ルルジアは半分気を失って、その場にへたり込んだ。
「やめろ!!」
ライハルトは動こうとするが、それを制したのは、巻き付いた拘束と己の兄の手だった。
「ライハルト、僕は悲しいよ」
「兄上! 話を聞いて下さい。この国には根深い犯罪の温床が……」
「君は聡明な、僕が自慢できる弟だと思っていた。だが、どうやら違うらしい」
「兄上!」
「君がこの国の犯罪を未然に防ごうという意志は認める。しかし、君ならもっと簡単にできたはずじゃないのかい?」
「違う……。俺はそもそも…………あなた方の……そう――――――」
あなた方の敵になるはずだった。
ライハルトは下を向く。
その切なそうな顔を見て、グラトニアの顔も曇った。弟の複雑な心境を、優しき長兄は理解することはできなかったが、その顔もまた複雑であった。
「グラトニア、よくぞ賊を捕まえたな。よくやった。さすが我が長男だ」
「いえ、陛下。捕まえたのは、僕ではありません」
そう言って、グラトニアは背後を向いた。
立っていたのは、黒い髪の女だった。ほっそりとした魅力溢れる身体は、紫を基調としたドレスに包まれている。
扇子がひらりと揺らし、面長の顔をライハルトに向けて笑っている。
「無様ね、ライハルト」
「ステルノ…………姉さん……!」
ライハルトは猛獣のように腹違いの姉を睨む。
ステルノは口角を上げて、愉快げに笑った。
「まあ、怖い。……でも、あなたが悪いのよ。グラトニアお兄様も言ったでしょ? 賢いあなたなら、こんなことをしなくても良かったんじゃない?」
「姉さんにはわからないよ、一生」
「……ふふ。かもね」
ステルノは冷笑と香水の香りを残して離れると、陛下の御前で膝を突いた。
「よくやった、ステルノ。さすがだな。ライハルトを止められるのは、お前しかおらんと思っていた」
「過分な評価ありがとうございます」
「しかし、よくこやつらの動きがわかったな」
「前から『マスク』のことは独自に調査を続けていました。早くからライハルトではないか、と網を張っていましたところを……」
「なるほど。見事だ」
「ありがとうございます。こやつらの連行は私の私兵にお任せ下さい。陛下の手を煩わせる必要はございません。陛下、また族長の方々は引き続き三族会議の進行を」
「良かろう……。頼むぞ、ステルノ」
「御意」
ステルノは立ち上がり、私兵に命じて用意していた馬車に、反政府組織の団員たちを乗せていく。
すべてを乗せ終え、一路馬車は王都を目指すのだった。
◆◇◆◇◆
「ルルジア、すまない」
ライハルトを乗せた幌付きの馬車には、ルルジア、さらにステルノが乗っていた。
王族が乗るには、粗末な馬車だ。木の骨組みに、布を巻いただけのものである。
その後部の布はきっちりと閉められ、中がわからないようになっていた。
王族を運んでいるからだろう。そこにステルノの気遣いのようなものが見えたが、本人は魔法の明かりがぼんやりと輝く幌の中で、依然として笑っていた。
ライハルトは側で肩を落とすルルジアを心配する。
顔を真っ赤にし、今にも泣きそうだった。
「ごめんなさい、ライハルト様」
「君が謝ることじゃないよ。僕がずさんだった。自分ならなんでもできると――――」
そこでライハルトの述懐は止まる。
突然、ステルノが立ち上がり、揺れる荷台の上を歩くと、ルルジアの前に立った。
「姉さん、何をするつもりだ?」
ライハルトはただならぬ予感を察して、声を荒らげた。
その予感は当たる。
ステルノのドレスに隠していたナイフを取り出す。研がれた刃が猛犬の牙のように光った。
「やめろ! 姉さん! 俺の目を見ろ!! あんた、一体何をするつもりだ」
ステルノは何も言わず、そのままナイフを振り下ろす。
「――――ッ!」
はらり、と落ちたのは、ルルジアを縛っていた縄だった。
その後、ルルジアは手首を軽く動かす。
ステルノの行動に、何か意外性のようなものを感じている様子はない。
当たり前のように振る舞っていた。
「はっ……?」
ライハルトはそう言葉を絞り出すだけでやっとだった。
愉快げに笑ったのはステルノである。
「あはははは! 滑稽だわ。あのお高くとまったライハルトが、全然わからないって顔してるんだもの。絵にして、額縁に収めることができないのは、残念だわ」
「ど、どういうことだ? え?」
「こういうことよ。…………来なさい、ルルジア」
「はい……。ステルノ
ぼうと火照った顔をルルジアはステルノに向ける。
やがて彼女らは唇を重ねた。強く、そして深く互いの体液を求めて貪り合う。
最後には糸を引くと、それはダイヤモンドリングのように光っていた。
「ルルジア……。嘘だろ……」
「はっ!」
ルルジアは笑う。
見たこともないぐらい醜悪に。
「バ――――――――カッ!!」
「へっ?」
「まだわかんないのかよ、王子様? お前はずっと騙されていたんだよ」
あたしと、ステルノ様にね!
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