終章

あれから

 東京に戻ってから、絃羽いとはと再会した〝あの夏〟を正解にする為に、俺はただ我武者羅がむしゃらに努力した。

 まず、親に頭を下げて金を借り、エンジニアになる為の講座を受講した。未経験からでも最短三か月で即戦力になれる、という本格的なコースだ。

 エンジニアを選んだ理由は、諸々調べて一番場所にとらわれない職種がそれだった、というだけである。かなり親には渋られたが、大学卒業までに必ず返すと約束して借りた。

 正直に言うと、文系学部で一般的なPCスキルしか持ち合わせていなかった俺にとっては、結構難易度が高かった。始めた当初は、選択を誤ったのではないかとさえ思った。

 だが、大学の友達から引かれるほど俺は必死だった。選択した瞬間では、正解か失敗かなどわからない。正解にする為に、努力で補えばいいだけの話だ。この思想を根本においておけば、どんな事でも頑張れる気さえした。

 また、友人達も、頑張っている理由が新しい彼女の為だとわかると、素直に応援してくれた。俺が大学の同期で元恋人の歌那かなから浮気をされ、破局した事は皆知っている。共通の知人も多いだけに、皆どう接しようかと頭を悩ませていたそうだが、俺が思ったより元気そうだったので安心した様だ。

 ただ、それも絃羽の写真を見せるまでだった。俺の新しい恋人が、現実離れした容姿を持つ銀髪の美少女だと知るや否や、全員が敵に回った。男の嫉妬とは恐ろしいものだ。

 こういう風に言っていると案外楽しそうだと思われそうだが、実際は勉強に次ぐ勉強で、かなり大変だった。卒論が義務付けられていなかった学部を選んでいたのが不幸中の幸いだ。もしこれに卒論も加わっていたら、確実に過労死していた。

 しかし、どれほど大変でも、〝好きな女の為〟となると、男は死ぬ気で努力できる。文明が進化しようとも、人間の本能は昔とさほど変わっていないらしい。頑張る理由に崇高さなど求めても意味はない。不純であれ何であれ、結果に繋げられたら理由など何でも良いのである。

 実際に、頑張る理由は不純だったかもしれないが、講座を終える頃には割と使えるほどの実力が身につけられていた。講座を受けつつ、復習も兼ねてクラウドソーシングで出来る仕事を請け負い、実践でスキルを伸ばして行く。これを繰り返す事で、実力は格段に上がった。中には出来ないのにノリと勢いで『出来ます!』と言ってしまって後悔した事案もあったが、逆境に立たされる事で更に勉強し、その依頼もクリアして行った。安全に一歩一歩進んでいくよりも、いきなり窮地に立たされた方が、人は成長するらしい。

 大学受験の時も努力したが、それとは比にならない程の努力をした。あまりに辛くて心が折れそうになった時もあった。

 でも、そんな時に支えてくれたのは、絃羽だった。彼女との電話やメッセージのやり取りが俺に力をくれて、帆夏達と楽しそうに過ごしている写真が送られてくる度、もう少し頑張ろうと踏ん張れた。

 しかも、クリスマスには絃羽がわざわざ東京まで出てきてくれた。あの人見知りだった彼女が花屋でバイトをして、交通費を貯めて会いに来てくれたのだ。これに喜ばない男はいない。何よりも嬉しいクリスマスプレゼントだった。絃羽を支えるつもりで頑張っていたが、いつしか立場が逆転して、俺が彼女に支えられていた。

 かくして、依頼を熟せるようになって、親への借金はすぐに返済できた。クラウドソーシングと言えど、エンジニアの案件は一件あたりの報酬がそこそこ高い。スキルさえ身に着ければすぐに返せるだろうな、という算段もあって親に金を借りたのはここだけの話だ。親がダメなら消費者金融からでも借りるつもりだった。どこから借りるにせよ、スキルを身に付ければ話にならないので、それも自分を追い込む理由になっていた。

 親も俺の覚悟に理解を示してくれて、それからは応援してくれるようになった。その際に、絃羽の事や卒業後は桐谷の家で暮らす事も伝えてある。絃羽の事情については、母さんは美紀子さんから聞いていたようで、理解も早かった。それに、暮らす場所が自分の実家なのだから、母さんが反対する理由はなかった。親父に関しては、ちゃんと働いてくれるなら何でも良いらしい。もしかすると、美紀子さんから根回しがあったのかもしれないが、その真相はわからない。

 かくして、俺は場所にとらわれずにそれなりに稼ぐ力を身に付けられた。ただ、それが叶った頃には大学生活も終わっていた。大学の友達と遊べなかったのは心残りだが、それもあの夏を〝正解〟にする為だ。多少の犠牲は仕方ない。

 ただ、『春になって大学を卒業したら桐谷の家で暮らす』という約束については守れなかった。春の時点ではまだ自分自身で納得できる程稼げていなかったというのもあるが、お得意先というものが出来始めていたのだ。お得意先さえしっかりと確保しておけば、そこから継続して依頼をもらえるようになり、収入も安定する。移住を先送りしてでも踏ん張っておくべきところだったのだ。

 事情を話せば絃羽も理解してくれたし、会う機会も作っていたので、俺達の関係には影響がなかった。絃羽曰く、『あてもないのに待ってられたから、それくらい平気』だそうだ。また皮肉を言われているが、気付かないふりをしてやった。

 結局俺が桐谷家に移住したのは、〝あの夏〟からちょうど一年が経過した頃だった。

 そして時は瞬く間に過ぎ去り、俺が桐谷家で暮らすようになってから三年……即ち〝あの夏〟から四年が経過していた。

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