決意

 絃羽いとはを学校まで送り届けてから、そのまま美紀子みきこさんのいる畑へと直行する。とは言っても、畑は家の近くなので、ほぼ一度帰宅するようなものだ。

 畑に顔を出すと、美紀子さんは「別に手伝わなくていいのに」と呆れた様に笑っていた。

 実際に俺が力になれる事はそう多くない。わからない事の方が多いので、力仕事を手伝ったり、必要な道具を取りに行ったり、草むしりを手伝ったりする程度だ。

 ただ、こっちもタダで寝食つきで面倒を見てもらっているのだから、何か手伝いたいという気持ちもある。今の俺では、残念ながらこれが限界だ。農学部でも通っていれば話は別なのだろうが、全く以て大学の勉強など役に立ちやしない。


 ──弟子入りする、というのも違う気がするんだよな。


 俺は草むしりをしながら、そんな事を考える。実質、畑仕事は俺がこうして手伝わなくても、美紀子さん一人で回っている。それに、彼女はまだまだ若いので、後継が必要な年齢でもない。そんな事を言おうものなら「私をいくつだと思ってるの?」と怒られるに決まっている。


 ──俺が出来る事って、何なんだろうな。


 取り立てて大学の中では特別な事などやってこなかった。ただ単位取得とバイトとサークルとゼミの為に大学に行っていただけで、何かが身に着いたわけでもない。

 特に理由もなく経営学部に入り、特に専門分野を学ばずに卒業する大学生など、そんなものだ。農業に役立ちそうな知識や経験など何もない。


 ──ほんと、もうちょっと意味のある大学生活を送っておけばよかったな。


 自分の過ごしたこの三年半を思い返しながら、溜め息を吐き、草を毟る。


「ねえ、悠真ゆうまくん」

「はい?」


 作業を終えた美紀子さんが、近くの土手に腰掛けて声を掛けてきた。


「絃羽達の事、色々気にかけてくれてるみたいだけど、あなた自身の事はいいの?」


 核心に迫る問いだった。

 思わず言葉に詰まってしまい、手が止まってしまった。


「何となく、わかってましたか?」


 もう一度作業を再開して、問い返した。


「まあ……電話もらった時から、何となくね。進路っていうか、人生? に迷ってるのかなって」

「その通り──うっ」


 信じられないくらいでかいミミズがうねうねと土の中から出てきて、思わず息を詰まらせた。畑の土をいじっていると、よくこうしたものに出会うのだが、未だに慣れない。都会っ子にはなかなか厳しい環境だ。

 ちなみにこのミミズはフトミミズと言い、畑に良い影響を与えるとされているので、見つけてもそっと埋めてやる。細いミミズはあまり畑にはよくないらしいので、別の場所に放り投げる必要がある。


「姉さんは何て言ってるか知らないけど、私は別に就職なんてしなくてもいいって思ってるわよ? 一度会社員やってみたけど、私には合わなかったし。だからこうして親の残した家と畑で気ままに生活してるわけだけどね。まあ、人生どうとでもなるもんよ?」


 死にはしないわよ、と美紀子さんは笑って付け加えて、俺の隣で雑草抜きを手伝い始めた。

 彼女は気ままにと言っているが、畑作業が気ままにできるわけがない。生前の親に教わって、それでいて必死に自身でも学んだに違いないのだ。


「……俺がここで生きていくのに必要なものって、何でしょうかね?」


 勇気を出して訊いてみた。

 これは頭の片隅でずっと考えていた事だ。いや、願望と言えるかもしれない。

 俺がこの町で生きていく為に必要なもの……それは資格なのか、能力なのか、それとも別の何かなのか。絃羽や武史とこの場所で色々遊びながら見て回ったけれど、全く答えが見えてこなかった。

 俺は、どうすればこの町で生活できるようになるのだろうか。


「この町に住みたいの?」

「はい」

「それは、あなたの為? それとも、絃羽の為?」


 美紀子さんが手を止めて、重ねて質問した。

 おそらく彼女は俺と絃羽の関係を、昨日の段階で察している。そして、普段のからかいからも、交際に反対もしないのではないかとも思っている。

 だが、一方で美紀子さんにとって絃羽は娘も同然だ。将来の道に悩んだところにふらっと遊びにきた男が、ここに居着く理由にされては堪らないだろう。

 実際に、そう見られても仕方ない一面も確かにある。というか、俺が彼女の立場だったならば、間違いなくそう思う。


「……自分の選択を正解にする為、です」


 俺は彼女の方を見ないで、草むしりを続けた。

 俺の為と答えてはダメだと思った。もちろん、絃羽の為と答えてもダメだ。

 自分が楽をする為にここに来たいと言うようでは、将来の道に悩んだところにふらっと遊びにきた男がそのまま居付くのとそう大差ない。それに、ここで絃羽の為にと言うと、嘘臭いようにも思うのだ。


「ほう? それで、悠真くんがした選択って何?」


 意外そうな顔で美紀子さんはこちらを見ていた。想像していなかった答えなのだろう。


「全部です」

「全部?」

「はい。俺が大学で何も見つけられずに人生に迷って、大学最後の夏にここに来て、絃羽と再会して、それで……絃羽と付き合うと決めたところまでの選択、その全てです」


 口にするには、結構勇気のいる言葉だった。親代わりのような人に、これを言うのはもう割と賭けだ。

 だが、ここで怖気づくわけにはいかない。俺はその気持ちと覚悟を持って絃羽と付き合っている。昨日付き合い始めたばかりなのに何を言っているのだと思うのだけれど、本気だ。

 何人かの女性と付き合ったからこそわかるものがある。絃羽に抱いた感情は、これまで付き合った女性に抱いていたものとは全く違っていたのだ。

 言うならば──この人しかいない、と思えるような直観。それを昨日、〝旅立ちの岬〟で抱き締めた時に感じてしまったのだ。

 五年……いや、もっと長い間、絃羽は俺をずっと想い続けていた。俺が来るこの夏を楽しみにしていてくれた。そんなものを生きる糧にしてくれていたのだ。

 それはもしかすると、絃羽にとっては辛い日々だったのかもしれない。俺が寂しそうにしていた小さな絃羽に声を掛けてしまったが為に、そんな日々を送らせてしまったとも言える。

 しかしそれでも、彼女の想いは変わらず、それを初めて本心として言ってくれた。

 その時、思ったのだ。俺は、この子を一生大切にしたい、と。


「なる、ほど、ねえ……」


 美紀子さんは俺の言葉に手を止めて、唖然としているのか、感心しているのかわからない様子でそう言った。


「絃羽の事、本気なのね?」

「本気じゃなきゃこんな事言えません」


 じっと、美紀子さんの目を見ていう。

 美紀子さんは、そんな俺の真意を確かめるかのように瞳を覗き込んでいた。

 すると、破顔して、噴き出すように笑い始めた。


「やっぱり親子ねー、悠真くん! お義兄さんにそっくりよ」

「え?」

「お義兄さんがうちに結婚挨拶に来た時、私も立ち会ってたんだけど……今のあなたと同じ目をしていたわ」

「うっ……まじ、ですか」


 父親と比べられるのは恥ずかしい。しかも結婚挨拶って、大分話がすっ飛んでいるけれども、いや、でも似たようなものかもしれない。


「まあ、前も言ったけど、私は親代わりみたいなもんで親じゃないからさ。絃羽が幸せなら、それが一番良いって思ってるわ」


 でも、と付け加えて、美紀子さんは続けた。


「ここに住むっていうのは……あんまりお勧めしないかな」

「え? どうしてですか?」

「夕食に集まる人の年齢見てわからない? ほとんど私より年上のおじさんおばさんばっかりでしょ?」


 ──少子高齢化。

 美紀子さんが言うには、武史達の親世代や美紀子さん世代がもうこの地では若い部類に入るそうだ。小中学校は一クラスしかなく、少子化はこれからも進んでいく事も予測される。そんな場所に住んでも、働き口は大したものではなく、あったとしても給与は大した事もない。

 これからどんどん住みにくい町になっていく上に、働き甲斐のある職などないのではないか、というのが美紀子さんの私見だった。


「なるほど……」


 ただ、それでいうなら働き口さえクリアできるなら、ここでも問題ないという事になる。今のご時世だ。むしろそれはクリアしやすいのではないだろうか。


「ありがとうございます。参考になりました。でも俺、ここに住みたいです。この町も風景も、潮の香りも、あの家も……俺、自分ちより好きですから」

「悠真くん……もう。姉さんにそれ言ったら怒られるわよ?」

「内緒にしておいて下さい」


 そう言って、お互いに笑い合う。

 それから仕事を早めに切り上げて、今日は外に食べに行こうと美紀子さんが提案してくれた。美味しい店があるから、俺にも知っておいて欲しいそうだ。それは、俺がこの場所に住む事を承諾してくれたと受け取って良いのかもしれない。

 ただ、この時は言わなかったが、俺がこの場所に拘るのにはもう一つ理由がある。

 絃羽が高校を卒業してからどこかに移り住むのは、可能と言えば可能だ。全然問題はない。

 でも、そうすると、美紀子さんが独りになってしまう。近所にはおっさん達がいるが、それでも寝食を共にする家族がいるのといないのとでは、違うと思うのだ。

 美紀子さんは自分を絃羽の親ではないと言っているが、前にそうなりたいと言っていた。それに、彼女は農家だ。ずっとここで暮らすだろう。それならば、絃羽をここから離したくないとも思うのだ。もちろん、この事は美紀子さんには内緒だ。絃羽にも言うつもりはない。


 ──でも、ヒントはあったな。


 場所に拘らない働き方をできる職であれば、全てをクリアできる。俺が目指すべき道はそこなのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る