戸羽帆夏との再会

 長い旅路を経て、目的の駅に着いた。いつもは家族の車で着ていたから、こうして駅から降りるのは初めてだ。

 改札を通り抜けて、駅前の誰もいないロータリーへと出た。

 ここのロータリーは、二時間に一本だけバスがくる。当然降りた電車とバスの乗り継ぎは合致しなかった。何となく覚えている限りでは、この駅から祖父の家までは歩いて数十分程だ。


 ──歩いてみるのもいいかな。


 そんな事を考えながら、俺はスポーツバッグを背負い直して、田舎町を歩いた。

 潮風と山風がぶつかり合い、独特の空気が体内に吹き込ませる。とても懐かしい空気感だった。

 零賀町れいがちょうは、東南側は海によって、北西側は山によって挟まれている陵地帯だ。町も急な坂があったり、山林で占められ、自然が多い景観となっている。空気が綺麗で、大きく息を吸い込むだけで、肺が洗われた気分になる。

 祖父母・もとい桐谷家に行くには、海の方向とは逆方向に向かって坂を上らなければならない。それが億劫ではあったものの、風があって東京よりも随分涼しかったので、そんなに苦痛ではなかった。


 ──行こう。


 こうして俺は、誰もいない田舎道を歩き出した。

 夏雲から顔を出した太陽は、まだまだ高い場所から見下ろしていた。

 東京よりはマシだ──そんな事を数分前に思っていたが、とにかく暑かった。燦々さんさんと照り付ける日差しはじりじりと肌を焼き、体力を奪っていく。びーびーと喚く蝉の鳴き声も相まって、余計に暑く感じた。

 次から次へと噴き出す汗に抗う事を諦めて、俺はただ歩き続けた。

 ようやく祖父宅についた頃には、汗だくになっていた。都会でいかに体が鈍っていたかを身をもって痛感する。


「なーにが『そんなに苦痛ではなかった』だ。アホか。溶けるわ」


 バスを待たなかった自分に悪態を吐きつつ、祖父母宅──今は叔母の家──の玄関の前に立った。

 家は古い日本家屋で、かなりの広さがある二階建てだ。

 外観は全く五年前と変化がなかった。インターホンがなく、鍵がかかってないのも相変わらずだ。 

 そのままがらからと引き戸を開けて中を覗くと、懐かしくもあり古い日本家屋の匂いが嗅覚を刺激する。クーラーもかかっていないのに、ひんやりしていた。


 ──懐かしいな。


 そんな事思いながら、「お邪魔しまーす」と声をかけてみる。

 返事がなかったので、さっきより大きめに声を掛けてみると、奥の方から「はぁい!」と元気の良い女の子の声が聞こえてきた。聞き覚えのある声だ。その声の主のと思われる足音がバタバタと聞こえてきた。


「あー! お兄ちゃん! ほんとにきたぁ!」


 玄関に現れたのは、白い制服姿にエプロンをかけたショートカットの元気な女子高生だった。東京の女子高生にはない、元気よく眩しい表情をしている。

 誰だこの子は、と思ったが、この眩しい笑顔には記憶があった。


「お前……まさか、帆夏ほのかか?」


 この元気印な明るい笑顔は間違いない。戸羽帆夏とわほのかだ。いつも俺を『お兄ちゃん』と呼び、懐いてくれていた。

 俺の記憶の中では元気で男まさりな小学生だったのだが、見る影もなく可愛らしい高校生になっている。すらっとして程よく鍛えられた脚に加えて、女子高生にしては少し背も高めだ。ぱっと見では絶対に気付けない。


「帆夏だよー! え、なに? 気づかなかったとか?」


 帆夏は顔を緩ませて、俺をじろじろと見ている。


「いや、こんなに変わってるとは……高校生だもんな。大きくなったなー、帆夏!」


 ほんとに。背だけじゃなくて体も良い感じに……って、どこを見ているんだ、俺は。

 これだけ可愛ければ、学校でもさぞモテているのだろう。


「もう、お兄ちゃん。親戚のおじさんみたいなこと言ってー」

「似たようなもんだろ、五年も会ってなければ」

「そっかぁ、もう五年かぁ……その割にお兄ちゃんはそんなに変わってないね! ちょっと髪が伸びて茶髪になったくらい? 大学生って感じだねー」

「まぁな。どこにでもいるような大学生だよ」


 ほんとにどこにでもいるような大学生。このままいけば、フリーター秒読みの大学生……いや、やめよう。せっかくこうして遠くにまできてるのに、暗い事は考えてはいけない。


「まあまあ、こんなとこで立ち話もなんだから、お兄ちゃん荷物部屋において居間にきなよ! 部屋は、前泊まってたとこって美紀子さん言ってたよ」


 帆夏はくすっと微笑みかけてから奥へと戻っていき、俺は二階の客間へと向かった。

 戸羽帆夏とわほのか──彼女は、近所の家の娘さんだ。俺とはもちろん、桐谷家──即ち祖父母や叔母──とも血縁関係がない。本当にただのご近所さんだ。だが、ここ桐谷家にみんなが集まり、みんなで家族同然に食事をする……それが、ここらご近所の慣わしだった。

 俺と帆夏は年に一回会う兄妹みたいな関係だ。帆夏だけではない。ほかにも、帆夏と同い年の幼馴染・絃羽いとは武史たけしも一緒だ。

 だから、この三人は皆兄妹みたいな感じで育っている。都会ではめったに見られない光景だろう。ここが田舎の良さなのかもしれない。

 絃羽いとは武史たけしも、帆夏と同様に食事の時はこの家に来てみんなで食卓を囲んでいた。

 この三人はほんとに仲良しで、どんな遊びをしても結託して俺を倒そうとしてくるのだ。なに、ひとり年上の役割みたいなものだ。

 あれから五年経って思春期を迎え、人間関係も変わってしまったかもしれないが、出来れば今も仲良くしていてほしいものだ。

 そんなことを考えながら、手すりを掴んで古い階段を上がった。

 ここの階段は、段差の間が一つ一つ空洞になっており、下が見え且つ段差も高くて、結構怖い。俺が小学校くらいの頃、寝ぼけて階段を下りようとしたときに段差を踏み間違えて転げ落ちた記憶があるからだろう。トラウマというやつだ。

 階段を上り切り、客室の一つ(といっても障子扉なので鍵もない)に入ってみると、ご丁寧に布団まで引かれていて、部屋の窓も換気のためか空きっぱなしになっていた。

 五年前と何ら変わりがない。唯一違うところは、クーラーが設備されているということと、布団が一つしかないということ。

 以前は親も来ていたから、布団が三つあった。そう考えると、単独でここに来るのは人生初だ。親の目を気にせず、ここで自由に暮らせるのは気持ちいい。

 ふと窓の網戸を開いて、家の庭を見下ろす。庭の様子も少し木々が大きくなったくらいで左程変わっている様子はなかった。気になったところといえば、池の中の鯉の数が減っていたことぐらいだ。

 この家は、本当に古い日本家屋といった感じで、庭の中に池があるほど広い。部屋の数こそそれほど多くはないが、蔵もあるし、一つ一つの部屋も広い。

 この田舎特有の草木の香りと、古い家屋のにおい……今にして考えれば、とても良い匂いだ。

 そう感じるのは、俺がずっと東京で暮らしていたからかもしれない。昔は田舎なんて不便だし絶対に嫌だと思っていたが、田舎も案外悪くないと思うようになった。そう思うのは、都会に疲れてしまったからだろうか。

 そんな事を思いながら、俺は窓を閉めて、部屋を出た。

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