知り合いだった、という事実に、話すうえでの安心感は覚えたものの、重要なのは、先生が霊能者として本当に頼りになる人物かどうか、ということだ。本物なのかどうか。先生が詐欺師と糾弾されてもおかしくないほど高額な報酬を取ることは除霊を頼む前から知っていて、実際、窓口代わりとして何度か事前にやり取りを交わしていたコウさんから提示された金額を見た時には、詐欺師と思われるのも仕方のないような額に驚いてしまった。いままでに何人かの霊能者に頼ってきたが、その中で、もっとも高かった。


 先生は多忙なので除霊の時にしか会えない。そんな風に聞かされながら、先生、なんて実は存在しないのでは、と不安に思っていたところもある。成功報酬しか要らない、と言われていなかったら、途中で断っていたはずだ。


 もうひとつ理由があるとしたら、オカルト系雑誌の編集者をしていた知り合いから教えてもらった、というのも大きい。彼女は、それなりに業界に精通しているので、変なひとは紹介しないだろう、とも思ったのだ。姉が無類のオカルト好きだった影響で心霊関係に興味を持った、という人物なのだが、その子の年齢の離れた姉は不審な死を遂げているらしく、その死の原因をいまも探っている、と聞いたことがある。そういう子の前にこそ、幽霊も現れてあげればいいのに……。


 いつもより信頼はできそう。……でも、やっぱり疑ってしまう。


 だっていまも下を向けば、そいつがにやけた顔であたしを見ているのに、先生が気にする素振りはひとつもないのだから。ふたりは本当に何も感じないのだろうか。やっぱり、この先生も名ばかりの存在なのか。


 先生と話しながらも、あたしはときおり後ろのコウさんに目を向ける。静けさを保ったままだが、どうもあたしは彼から好かれていないような気がする。


「実は、マンションに近付くうちに、嫌な気がどんどんと高まっていくのには気付いていたの。いえ、実は事前に彼を通じて話を聞かされた時から急いだほうがいいかもしれない、という思いはあったのだけれど、私のほうも抱えている仕事が溜まっていたもので……」


「いえ、そんな」


「よく我慢しましたね。長い間、こんな恐怖に曝されながらも耐えてきたあなたの精神力が私には信じられないくらい」


 そう言った先生の目は、あたしではなく、床へと、そしてそいつの顔へと向けられていた。


 いままでお願いした霊能者の中には、彼女と同じくらい名のある人物もその顔の位置を指し示せるひとさえも稀だった。


 あっ、このひとは本物かもしれない。信用できるかもしれない。


 そう思った途端、


「怖かった……」


 あたしは情けなく言葉を漏らしていた。


 先生があたしに近付く。先生の伸ばされた手が、あたしの頬に触れる。その手のひらはひんやりとしていて、だけど心地よく、指のお腹の部分があたしの目じりを撫でた。


「泣かなくても大丈夫。よく頑張りましたね」


「ありがとうございます……」


「除霊ももちろん行いますが、私どもは、依頼主の心のケアをそれ以上に大切に思っています。何より私はカウンセラーでもありますから、ね」


 抱きしめられている、と気付いたのは、抱きしめられてすこし経ったあとだった。先生の手があたしの頭を触り、それがとても心地よかった。まるで幼い頃に戻ったかのように心が落ち着いていく。そんなあたしたちの姿を見ながら、コウさんは表情ひとつ変えない。


「先生は、彼がどこにいるか分かっているんですよね?」


「もちろん。その低い怨嗟の声まではっきりと聞き取ることができる。引っ越しても追い掛けてくる、と聞いたけれど――」そこで先生は背後のコウさんをちらりと見た。あたしがコウさんに話したことはすべて事前に聞いているのだろう。「彼にとって、建物なんてどうでもいいんでしょうね。夜中の部屋が一番あなたとふたりきりになれる、と思って、そうしているのかもしれない。理由までは本人にしか分からないことだし、残念ながら彼の真意まで聞き取ることはできないけど、ね。とにかく重要なのは、あなたへの執着心のみで現世に留まり続けている、ということ。まったく厄介な相手に」


 先生の温もりがあたしから離れていき、それがとても名残り惜しい。


「執着心……、やっぱりあたしは恨まれているんですね」


 それはそうだろう。


 あたしに憑き続けるそいつはあたしの人生で、誰よりもあたしを愛した男だ、と断言できる。腹の立つほど一方的なその愛は、あたしにとって迷惑以外の何物でもなかった。


「ただの逆恨み。そうですよね?」


 それは、いままで沈黙を貫いていたコウさんの言葉だ。


「は、はい……」


「まぁ、とりあえずコウが聞いたことは私の耳にもちろん入っているけれど、もう一度、ちゃんとあなたの口から聞きたいな。伝聞と直接聞くので、印象もまったく変わってくるから」


 まだ床に染み付くそいつはあたしたちを見ながら歪んだ笑みを浮かべていて、本音を言えば急いでこっちを何とかして欲しいのだけれど、先生はこういう相手に慣れているのか気にした風もなかった。


「分かりました……」


「あぁ、ただ嘘だけはつかないでね。私は幽霊の存在だけじゃなく、ひとの嘘だって見抜きますし、私はこの仕事において一番大事なのはお互いの信頼関係だと思っているの。ごめんね。正直、私の覚えているカウンセリングに来ていた時のあなたって、本心を隠しがちな子、って印象だったから。たとえ何を聞いてもあなたを責めたりしないから、お願いね」


 あたしはその言葉にどきりとしつつも、頷き、


「嘘はつきませんし、全部ちゃんと話します」


 と答えた。


 あたしはカウンセリングの時に隠していたことも含めて先生に伝えようと、あの日の光景を頭に浮かべる。

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