デートのお誘い

 おれの妄想だから当然なのかもしれないが、夢の中の璃子はエロい。ものすごくスタイルが良いわけではないけれど、柔らかくていい匂いのする身体は、抱きしめているだけでも気持ち良い。欲望丸出しのおれのお願いにも恥ずかしがりながらも応えてくれるし、サービス精神旺盛だ。

 おれは正直エロい女の子が大好きだし、現実の璃子もそういうことに積極的だと嬉しいなと思っているが、実際そんなうまい話があるわけないと理解している。現実の璃子はおとなしくて清楚そのものだし、他の女子に比べて雰囲気も幼い。男子が大声で下ネタを話しているときなんかは、露骨に嫌そうな顔をしている。

 そんな璃子がもし、毎晩夢の中でおれにあんなことやこんなことをされていると知ったら、どう思うだろうか。軽蔑されて幻滅されて、もう二度と目も合わせてくれないに違いない。高梨くん最低、と涙ぐむ璃子の姿を想像して、おれはゾッとした。

 現実の璃子との距離が近付けば近付くほど、夢の中でもっとエロいことがしたくなる。夢の中でエロいことをすればするほど、現実の璃子への罪悪感が募る。申し訳ないとは思いつつも、おれはやっぱり毎晩のように彼女を抱いてしまう。



「ハルトハルト、浅倉さん今試合してんで」


 翼に腕を引っ張られて、ぼんやりと座っていたおれはぐるんと首を回す。体育館の中央を仕切る緑色のネットの向こうに、紺色のジャージを着た璃子の姿を見つけた。妙にへっぴり腰で卓球のラケットを構えている。

 今回の体育は男女混合授業で、卓球とバドミントンの選択である。おれはバドミントンを選んだものの、璃子がいるなら卓球にしておけばよかった。璃子のダブルスの相方は卓球部の男子で、サーブミスをした璃子に「ドンマイ! 大丈夫やでー」と笑いかけている。くそ、羨ましい。


「ハルト、浅倉さんと付き合わへんの?」

「……そんな簡単に言うなや」


 翼の問いに、おれは溜息混じりに答える。そんなの、付き合えるものならとっくに付き合っている。翼はラケットでシャトルをぽんぽんと打ち上げながら、小さく首を傾げた。


「オレ的に、結構脈アリに見えるんやけど。浅倉さんもハルトのこと好きなんちゃう?」

「おれも正直、そうなんかな? って思うときあるけど……おれもう、勝手に勘違いして撃沈したくない……」


 これまで女子の思わせぶりな態度に踊らされ、期待しては裏切られてきた記憶が蘇ってきて、胸の中に苦いものが広がる。「高梨くんって優しいね! 私優しい人好き!」と言っていた女子は、おれの先輩と付き合っていた。「あたし、高梨くんみたいな人と付き合えばよかったー」と言っていた女子は、他の男にも同じことを言っていた。

 勢いよく飛んできたオレンジ色の球が璃子の顔面に直撃して、思わずおれの口元は綻ぶ。考えたくはないことだが、あのどんくさくてかわいい璃子がとんでもない小悪魔で、おれを弄んでいる可能性だってあるのだ。


「……それに、無理に告って付き合わんでも、今のままで充分楽しいし」


 最近は毎日のように璃子と話しているし、部活が終わって家に帰ればLINEのやりとりだってする。下手に告白して振られて、今の関係が壊れてしまうことの方がずっと嫌だ。


「えー、でもヤりたくない?」

「……そりゃ、まあ……うん」


 翼の言葉に頷きながら、きもちいい、と切なげに囁いてくる昨夜の璃子の姿が頭に浮かぶ。璃子のあんな姿、見事に空振りをして一回転をしているところからはとても想像できない。

 結局璃子が盛大に足を引っ張った結果、璃子のチームが負けたらしい。璃子が「ごめんね」と眉を下げて謝っている。

 おれの視線に気がついたのか、璃子がこちらを向いて、ぱちりと目と目が合った。ひらひらと手を振ってみると、璃子が小走りにこちらに駆け寄ってきて、緑色のネット越しに声をかけてきた。


「……高梨くん、もしかして見てた?」

「見てた見てた。顔面にスマッシュ食らってたな」

「ぎゃー! めっちゃ見てるやん……」


 璃子はラケットで顔を隠した。おれはネットの隙間から手を伸ばして、ひょいとラケットを奪い取る。真っ赤になっておれを睨みつける璃子の顔が現れて、おれはにやけてしまった。


「痛くなかった?」

「……バスケットボールよりは」

「うわ、根に持ってる」

「あれ、ほんまに怖かったし恥ずかしかったんやから」

「はは、ごめんごめん」


 おれは笑って、璃子の小さな鼻をぎゅっとつまんだ。「ふぎゃ」と変な声を出す璃子がかわいくて、間を隔てているネットが憎たらしい。もしネットがなかったところで、現実のおれはこれ以上彼女に触れることはできないのだけれど。


「ハルトー! 翼ー! 次おまえら試合やでー」

「おー」


 おれがぱっと手を離すと、璃子が赤くなった鼻を押さえながら「がんばってね」とはにかんだ。おれがラケットを持ち上げて「見てて」と言うと、笑って頷いてくれる。そんな無垢な笑顔にすら欲情しているおれは最低だ、と胸の奥からまた罪悪感が湧き上がってきた。



「ハルト、今度の土曜ひま?」


 部活を終えて着替えていると、翔真が話しかけてきた。おれは汗でびしょびしょになったTシャツを脱ぎながら、「それって部活終わった後の話?」と尋ねる。今週の土曜は午前中は部活で、その後は何の予定もなかった。


「そう。Bリーグのチケット買ってたんやけど、俺その日行けんくなったから。よかったらハルト行かへん?」

「え、行く行く! チケット買うたるわ」


 魅力的な申し出に、おれははしゃいだ。日本のプロバスケットボールリーグであるBリーグは、九月末に開幕したばかりだ。おれは当然、地元京都のチームのファンである。


「チケット二枚あるんやけど、一枚分にまけといたる」

「まじ? ラッキー」


 おれは半裸のまま財布を出して、翔真に千円札を渡した。代わりにチケットを二枚受け取る。今日はもう木曜だし、今週の土曜というのはやや急だ。誰を誘おうかと思案していると、おれの思考を読んだかのように翔真が言った。


「璃子と行ってきたら?」

「え!? はあ!? え、な、なんで浅倉!?」


 予想外の名前が飛び出してきて、おれは財布を取り落としてしまった。もしやおれの気持ちは翔真にまでバレていたかと危惧したものの、奴はのんびりと続ける。


「璃子、バスケ好きって言うてたやん」

「あ、そ、そうやな……」


 特に他意はなさそうだったので、おれはほっと胸を撫で下ろす。天然記念物並に鈍感な翔真に気付かれるくらいなら、おれの気持ちはおそらく全人類にダダ漏れになっているだろう。別に殊更に隠しているつもりもないのだが、さすがにそれはちょっと困る。


「……浅倉、土曜日暇かなー」

「あいつ、いつも暇そうにウロウロしてるで。部活もあんましてへんし、友達少ないからな」


 幼馴染の気安さなのだろうが、結構酷い言い草だ。

 休日に璃子と二人で出かけることを想像して、おれの心は浮き立った。かわいい彼女とバスケ観戦デートをすることは、おれの数ある夢のひとつである。その相手が璃子なら、最高以外の何者でもない。


「は!? ハルト、土曜女と遊びに行くん!?」

「翔真! オレにそのチケット売ってくれ! 倍の値段出すから!」


 おれたちの会話を聞いていた奴らが、ここぞとばかりに横槍を入れてくる。おれは慌てて財布を拾い上げると、「おれが買ったんやからな!」と二枚のチケットを大切にしまいこんだ。



 チケットとスマホをベッドの上に並べて、おれはうーんと腕組みをしていた。土曜日はもう明後日に迫っているのだから、璃子を誘うなら早い方がいいだろう。LINEを送ろうと思ったのだが、万が一既読スルーでもされてしまったら、もう生きていけない。少し悩んだ後、逃げ道を断つために電話をすることにした。


 ――今暇? 電話してもいい?


 メッセージを送ると、数分ののちに既読がついて「いいよ!」と返信がきた。心臓が口から飛び出してくるような思いをしながら、発信ボタンをタップする。


『もしもし』


 耳に押し当てたスマホから、璃子のかわいい声が聞こえてくる。おれは声が震えないように腹に力をこめながら、「いきなりごめん」と切り出した。


「あの、浅倉。めっちゃ急なんやけど、今週の土曜暇?」


 言ってから、用件も言わずに暇かどうか訊くのはずるかったかな、と考える。しかし璃子は『めちゃめちゃ暇!』と即答してくれた。おれは乾いた唇を湿らせるように舐める。


「……翔真からBリーグのチケットもろたんやけど、一緒に行かへん? その……二人で」

『えっ、行きたい! 行く!』


 電話の向こうで璃子がはしゃいだ声を出したので、おれは相手から見えないのをいいことにガッツポーズをした。よくがんばった、おれ。


「ほんまに? 二時から試合やから、一時半くらいに待ち合わせでいい? おれ午前中部活やねん」


 そう尋ねるおれの声も、璃子に負けないくらいはしゃいでいる。璃子が構わないと答えたので、最寄である西京極駅で待ち合わせすることにした。


『楽しみやなあ。私、Bリーグ生で見たことない』

「ほんまに? めっちゃおもろいで。二階席やからちょっと遠いけど」

『全然いいよ! あ、お昼ごはん食べてから行ったほうがいいやんね?』

「あ、せやな……浅倉、門限とかあんの?」


 おれが何気なく問いかけると、璃子は狼狽した様子で『えっ、門限!?』と訊き返してくる。


『そ、そんなに夜遅くなる感じ……?』

「え? 晩飯とか食って帰るかなって……」


 そう言ってから、はっとした。門限を訊くなんて、夜まで一緒にいたいという下心丸出しではないか。璃子が警戒するのも無理はない。おれも彼女につられて慌てふためいた。


「いや、別にそういう意味じゃなくて! そんな遅くならんようにするし! 何も変なことせーへんから!」


 フォローのつもりで言ったのだが、余計に深みにはまっている気がする。変なことってなんやねん。動揺のあまり、隠しきれない下心がボロボロと発露してしまう。だんだん情けなくなってきたおれは、「変なことばっか言ってごめん」とスマホを片手に項垂れてしまった。


『ううん。高梨くんがそんな人ちゃうって信じてるから大丈夫……高梨くんが、私に変なことするわけないもん』


 きっぱりとそう言った璃子の言葉が、おれの胸にぐさりと突き刺さった。おれ、璃子にそう言ってもらえるような清廉潔白な男じゃない。おれを信じてくれている璃子のことを夢の中で全裸にひん剥いて、毎晩毎晩好きなだけ犯している最低な男だ。


『うち、門限ないから大丈夫。よかったら、晩ごはん食べて帰ろ』

「うん……またLINEする。おやすみ」

『おやすみなさい』


 通話を切って、おれはそのままごろんとベッドに寝転がった。信じてるから大丈夫、と言った璃子の声が頭に響いて、ちくちくと針で突かれたように良心が痛む。

 ……おれが夢の中で璃子にしていることを知ったら、やっぱり彼女は泣いてしまうだろうか。

 泣かせたくはないなあと思うけれど、腹の底から湧き上がってくる欲望は抑えきれない。門限がないと言っていた彼女の言葉を思い出して、一応ゴム買っといた方がいいのかな、と下衆なことを考えてしまった。

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