文化祭①

 歓声と拍手に包まれながらステージを下りると、「おつかれー!」という声とともに無差別なハイタッチの嵐が巻き起こった。大きなミスもなく本番をやり遂げたことに、ホッと胸を撫で下ろす。璃子ほどではないにせよ、おれだってダンスはそんなに得意ではないのだ。

 我が校の文化祭は十月の半ばに丸一日かけて行われる。開催日は平日だし、他校生の来場は禁止されているので、そこまでスケールが大きいわけではない。完全に内輪だけの祭ではあるものの、それなりに盛り上がる。

 今日はまさしく文化祭に相応しい秋晴れで、青く澄み切った空は高く、降り注ぐ太陽の光も柔らかで暖く、清々しい空気に満ちている。グラウンドに設置された特設ステージの周りには、大勢の生徒たちが集まっていた。おれたちの後は、三年生がステージ発表をするらしい。


「みんなで写真撮ろー! 河嶋かわしま先生、お願い!」


 塚原さんがスマホを担任教師に渡して、クラス全員で写真を撮る。そのあと女子が集まって写真を撮り合っているのを、おれは少し離れたところから眺めていた。


「チンピラ軍団、一緒に写真撮ってー」


 クラスの目立つ女子グループに声をかけられて、翼が「オッケー!」と浮かれた声をあげる。

 おれたちのクラスのステージ衣装は、女子はノースリーブのドレス、男子は黒のスーツなのだが、どういうことかおれたちのグループは全員チンピラ風味に統一されてしまった。自分で言うのもなんだが、人相の悪いおれはものすごく似合っている。こんな格好でウロウロしていたら、ガラの悪い先輩に因縁をつけられてしまうかもしれない。出番も終わったことだし、すぐに制服に着替えよう。


「高梨くん」


 名前を呼ばれて振り向くと、水色のドレスを着た璃子が立っていた。

 ノースリーブの袖から覗く肩は細く華奢で、スカートは膝が隠れるくらいの丈でひらひらと揺れている。セミロングの黒髪は、後ろで編み込んでまとめられていた。今朝塚原さんにやってもらったらしい。ほんのり化粧をしているのか、まぶたのあたりがキラキラとラメで光っていて、睫毛がくるんとカールしていた。声をかけてくれたことが嬉しくて、おれの声は弾む。


「おつかれ! ちゃんと踊れた?」

「たぶん上手には踊れてへんけど、あんまり目立たへんようにがんばった!」


 璃子がそう言って、得意げにピースサインをする。目立たなかったことを誇っているところがおかしくてかわいい。同じステージに立っていると、踊っている璃子を見られないのが残念だ。冷やかしに来ていた男バスの連中が動画を撮っているようだったから、後で見せてもらうことにしよう。


「浅倉、今から茶道部戻るんやろ?」

「うん。そろそろ着替えて戻らな」


 璃子は午前中から茶道部に顔を出していたらしく、なかなか忙しそうだ。ドレス姿が見れなくなるのは残念だが、浴衣もそれはそれで楽しみだ。今のうちにドレス姿の璃子をしっかりと網膜に焼きつけておくことにする。できればおれの脳内だけではなく、データとしても残しておきたい。


「……写真撮ってもいい?」


 そう言ってスマホを取り出すと、璃子が頰を染めて「ちょっと待って!」と慌てふためく。アワアワと落ち着きなく前髪を引っ張っている。


「わ、私大丈夫? 歯に海苔とかついてへん? さっきおにぎり食べたし……」

「歯に海苔ついたままステージで踊ってたんなら、そっちの方が問題やろ」

「鏡見てきてもいい?」

「海苔ついてへんから大丈夫。こっち向いて」


 カメラを向けると、璃子は恥ずかしそうにしながらもポーズをとってくれた。かわいい璃子の姿がおれのスマホに保存されて、おれは満足する。別に変なことに使ったりはしないので安心して欲しい。たまに眺めてニヤニヤするだけだ、たぶん。


「ハルトー! そろそろオレら着替えてくるー!」


 遠くから翼が叫んでくるのに、「おれももう行く!」と答える。璃子は「あっ……」と何か言いたげに口を開いて、おれのジャケットの裾をきゅっと掴んだ。引き留めるような仕草に、どきりと心臓が跳ねる。


「え? あ、何? どしたん?」

「……ご、ごめん! なんもない」


 璃子はぱっと手を離すと、ぶんぶんと首を横に振った。


「私、行ってくる。よかったら遊びに来てな。お茶菓子も食べれるから……」

「絶対行く!」


 はっきり言って茶室のマナーも作法も何も知らないが、璃子がいるなら行くしかない。璃子は嬉しそうににっこり微笑むと、「待ってる!」と手を振ってから走っていった。



「いやー、ハルトがそんなに茶道に興味あるなんて知らんかったなー」


 翼がわざとらしい棒読みでニヤニヤと言うのを、おれはギロリと睨みつける。おれの思惑はわかっているくせに、意地の悪い奴だ。蹴りのひとつでも入れたくなったが、なんだかんだ言いつつ付き合ってくれるようなので我慢する。

 運動部のおれたちにとってはピンとこないが、文化部の生徒にとって文化祭は一年に一度の見せ場であるらしい。普段は閑散としている特別棟は、展示や発表で大いに賑わっていた。中には「こんな部活あったんや」と驚いてしまうような部活もある。ラーメン研究会の展示では京都のおすすめラーメン屋が紹介されており、おれはかなり心惹かれた。


「やっぱ一乗寺はラーメン激戦区やな。翼、今度行こうや」

「オレ、味噌ラーメンがいいな」

「アホか、京都ラーメンのスタンダードはとんこつ醤油やぞ」


 廊下を歩きながらダラダラとそんな話をしていると、「たーかなーしくんっ!」という声と共に背後から背中を叩かれる。

 驚いて振り向くと、色素の薄い茶色の瞳が間近にあった。テニス部の佐々岡さんだ。何故か赤いチャイナドレスを着ており、ぴったりとした布地が身体のラインを強調している。かなり目のやり場に困る格好だ。


「さっ……佐々岡さん」

「ひっさしぶりー! 元気やった?」


 フレンドリーに話しかけてくる佐々岡さんからは、気まずさなどは微塵も感じられない。おれとしては、こちらとしては、正直居心地が悪いのだが。


「あっ、男テニの綿貫くんや」


 隣にいる翼に気付いた佐々岡さんは、にっこりと笑いかける。美女に話しかけられて、翼は目に見えてデレデレと眉を下げた。


「佐々岡さん! ミスコン出るんやろ?」

「せやねん、なんか選ばれちゃって……今選挙活動中」

「オレ、佐々岡さんに投票するわ」

「またまたー! 四組の代表、陽奈ちゃんやろー? 陽奈ちゃんには絶対勝てへんわ」


 ほとんどお遊びのようなものだが、うちの高校にも一応ミスコンがある。各クラスから代表が一人選出されて、文化祭当日に投票によりナンバーワンが決められるのだ。華やかなチャイナドレスはミスコンの衣装なのだろう。少し離れたところで、立て看板を掲げた男子が「佐々岡美桜に清き一票をー!」と叫びながら闊歩しているのが見えた。


「高梨くんら、今からどっか行くとこ?」

「あ、茶道部行こかなって……」

「茶道部? あ、もしかして前に言うてた本命ちゃんのとこ?」


 察しの良い佐々岡さんがニヤリと唇の端を上げる。おれが止める間もなく、「茶道部って誰がおったっけ?」と翼に尋ねていた。


「ハルトの本命はうちのクラスの浅倉さん」

「あー、あの子か! 背ちっちゃくて、いつもハーフアップにしてる」

「そうそう、おとなしめで小動物系の」

「把握した! なるほど、ああいう感じが好きなんやー」


 佐々岡さんはうんうんと頷いている。おれは今すぐこの場から立ち去りたくて仕方がない。居心地悪そうにしているおれに気付いたのか、佐々岡さんは「ごめんごめん」と悪びれずに笑った。


「ほんなら、あたし行くわー。もしよかったら投票してなー」

「するする!」


 翼がだらしなく頰を緩めながら答える。今朝は「絶対塚原さんに投票する!」と言っていたくせに調子のいい奴だ。まあ、あれだけの美人に頼まれたら安請け合いもしたくなるだろう。少し前までは、おれだってそうだった。


「はー、佐々岡さんやっぱめっちゃかわいいしエロいな……チャイナドレス最高」

「……まあ、おおむね同意する」

「てか! さっきの感じからして、もしかしてハルトの方が佐々岡さんのことフッたん?」


 翼がおれの両肩を掴んで、ガクガクと揺さぶってきた。そう言われるとちょっと人聞きが悪い。おれがあんな美女を振るなんて、おこがましいにもほどがある。


「いや、別に佐々岡さんも本気じゃなかったみたいやし……」

「でも、本命おるって言ったんやろ? ハルト、よくあのおっぱいの誘惑振り切れたなー」


 翼がやや呆れたような目をおれに向けてくる。馬鹿にするなと言いたかったが、多少心が揺らいだのも事実なので、何も言えなかった。


「てか、あのおっぱい振り切っていくとこが浅倉さんなんや……」

「……おまえ、今めっちゃ浅倉に失礼なこと考えてへん?」

「いや、そういうわけちゃうけど! でも何であえての浅倉さんなん? 今までハルトが好きやった女の子とは違う感じちゃう?」


 翼に問われて、おれは迷わず「かわいいから」と答えた。翼はあまり納得していないような表情を浮かべている。佐々岡さんの方がかわいいやんけ、とでも考えているのだろう。

 実際のところ、璃子を好きな理由をおれはうまく説明できない。けれど、突き詰めると「かわいいから」に尽きるのだ。もちろん顔もかわいいけれど、それだけじゃなく性格とか仕草とか喋り方とか、璃子を形成するものすべてがかわいい。璃子のかわいさは塚原さんや佐々岡さんのような、華やかで目立つものではないから、一見わかりにくいけれど。

 おれだって彼女が夢に出てこなければ、璃子がかわいいことに一生気がつかなかっただろう。塚原さんや佐々岡さんが購買で一番人気のカレーパンやコロッケパンならば、璃子はいつもひっそりと売れ残っている塩パンだ。うちの購買の塩パンは、実はかなり美味い。


「わからんなら、別にいい」


 璃子がかわいいことを知っているのも、購買の塩パンが美味いことを知っているのも、世界におれ一人だけでいい。おれは「はよ茶道部行くで!」と言って、翼の背中をぐいぐいと押した。



 おれが茶道部の部室に来るのは、泣いている璃子を慰めたあの日以来だ。「美味しいお茶とお菓子あります」と書かれたカラフルなポスターは意外とポップで、お茶を飲んでいる犬のイラストが描かれてた。璃子の絵や、とおれはこっそり頰を緩める。

 受付に座っていた女子がおれたちに気付いて、「よろしければ中にどうぞー」と声をかけてくれる。お菓子とお茶代として百円を支払い、促されるがままにスニーカーを脱いで茶室に入った。思っていたよりも堅苦しい雰囲気ではなかったので、おれはほっとする。中では部員がお茶を立てているようだったが、璃子の姿は見えなかった。


「……あの、浅倉さん、いますか?」


 おれは勇気を出して、受付にいた紫色の浴衣を着た女子に尋ねてみる。彼女はおれの顔をまじまじと見つめた後、「あっ」と小さく叫んで口を押さえた。まるでおれのことを知っているような反応だが、とんと見覚えがない。おれが戸惑っていると、彼女は茶室に向かって大きな声をあげた。


「璃子ちゃーん、ダーリン来たよー」


 予想だにしない単語が耳に飛び込んできて、おれは慌てふためいた。「ぎゃーっ」という叫び声と共に、ついたての向こうから璃子が飛び出してくる。


「な、なっちゃん先輩! 何言ってるんですか! やめてくださいよ、もう!」


 璃子は真っ赤になって、ぽかぽかと先輩らしき女性の背中を叩いた。隣にいる翼が肩を震わせて笑いを堪えているのが見える。おれの顔も璃子に負けないくらい赤くなっていることだろう。


「ご、ご、ごめんね高梨くん! 綿貫くんも、来てくれてありがとう!」

「あ、いや、大丈夫……」


 璃子は白に近いピンク色の浴衣を身につけていた。華やかなドレスもかわいかったけれど、落ち着いた浴衣も清楚でとてもかわいい。ここでスマホを取り出してシャッターを押すのは気が引けたので、おれは今度こそ己の網膜にしっかりと焼きつけておくことにした。


「足崩しててもいいから、ゆっくりしてってな」


 おれと翼が並んで座ると、璃子はきりっと真剣な表情になって、「よろしくお願いします」と三つ指立ててお辞儀をする。

 ぴんと背筋を伸ばした璃子が、お茶を立ててくれる。正しい作法はよくわからないが、所作のひとつひとつが丁寧できれいだ。おれたちはぎこちなくも茶菓子と抹茶を口に運んだ。抹茶は苦いものだと思っていたが、茶菓子と一緒に飲むとそうでもなかった。

 しばらく雑談を交わした後(本当は茶室は私語厳禁らしいが)、璃子が見送りに来てくれる。名残惜しそうに「またね」と手を振っている璃子に、先輩が声をかけた。


「璃子ちゃん、今から抜けてもいいよー。文化祭回ってきたら?」

「えっ、いいんですか?」


 璃子は目を丸くしたのち、チラリと窺うようにおれの方を見る。チャンスだと思ったおれは、すかさず口を開く。


「……ほんなら、一緒に回る?」


 おれが言うと、璃子はこくこくと何度も頷いた。先輩の両手をがしりと握って「片付けまでには絶対戻ってきます!」と頭を下げている。


「あ、じゃあオレ用事あるから、ハルトと浅倉さん二人で回ってきたら?」


 翼はそう言って、おれに向かってこっそり親指を立てる。おれは感動に打ち震えていた。翼、おまえはなんていい奴なんだ。これがマルだったら、絶対全力で邪魔をしてきたはずだ。持つべきものは親友やな……とガラでもないことを考えながら、心の中で翼を拝み倒す。


「……じゃ、行こか」


 おれが言うと、璃子は「うん!」と言って笑いかけてくれる。どきどきとはしゃぎだす心臓を必死で押さえ込みながら、おれは彼女と二人並んで文化祭の喧騒へと飛び出していった。

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