第10話


 この日、三條は朝から不機嫌だった。

 何故なら、


「ほらほら三條君、手が止まってるよぉ」

「………」


 背後霊のように、上司である牟田が引っ付いて離れなかったためだ。油断すればトイレにも付いてきかねなかった。


「…………」


 どうしてこのような事態を招いているのか。

 心当たりがあるだけに、三條は牟田を無視すると決め込んでいるようだ。


     ※ ※ ※


 今朝、三條が事務所に出社したとき、珍しく事務所ドアの鍵が開いていた。


「……えぇ、マジでっ」


 ゆえに三條は小さく呟いた。

 そしてくわえていたチュッパチャプスを口内で右から左に転がし、再び右に転がして溜め息を吐く。


 甘いキャンディーを舐めながら苦虫を噛み潰したような面持ちでドアを開ける。すると案の定、そこには牟田の姿があった。しかも待ち構えていたようにこちらを向いて立っている。


「やあおはよう!三條君!」

「…おはよう、ございます。」


 窓から射し込む太陽光が後光となり、牟田の表情を必要以上に爽やかに演出している。三條は赤みがかった目を細めた。胸には嫌な予感にしか去来しない。


「…何すか、…なんかあったんすか?聞きたくないけど。」

「あったとも。君と、お節介八反田の目論み通り、今回の依頼は反古になったよ。君らの勝ちだね。」

「勝ちって。…俺らはただ、」

「そう!君らはただ俺の身を案じてくれたんだろう?それはわかる。」

「いえ、俺は俺の定職を案じただけです。」

「そうだろうとも!」

「………」


 芝居がかっている上に妙なハイテンションの牟田だったが、その細い目は全く笑っていない。むしろいつもよりも黒みが差して鋭かった。


 牟田の怒りに近い感情を感じ取って、三條はチュッパチャップスを口から取り出し盛大に溜め息を吐いた。


     ※ ※ ※


 スッポンのように引っ付いて離れない牟田に心底嫌気が差してきた頃には、時計の針は午後三時を回っていた。


「え、なになに?おやつタイムに入っちゃう?いいね、コーヒー入れてあげようか?」

「所長の入れたインスタントコーヒーは尋常じゃないくらい不味いんでいいっす。自分でやるんで。」


 そのままスタスタと事務所奥の喫茶スペースに向かい、自身の青磁のマグカップにコーヒーを入れる。すると、そっとその傍らに、過去100均一で買ったと自慢していた重たい陶器のカップを置かれた。


「ついでにお願いしてもいいかな?」

「パワハラですよ。」

「え!嘘でしょ!これもダメなの!?」

「あんたの今日の一連の行動全てが駄目っすね。」


 怒りのボルテージがMAXに来ていた三條は、濃いめのコーヒーが好きな牟田のカップに、ティースプーンでごくごく小盛りに一杯、インスタントコーヒーを入れた。



「……はぁ、」


 背後霊を伴い、三條はマグカップ片手に自分のデスクに戻る。高価なゲーミングチェアに座ると、嘆息しつつ、新たなチュッパチャプスをデスクの引き出しから取り出した。最近、チュッパチャプスを舐める頻度が上がっている。明らかに過度なストレスがかかっている証拠だ。


「………」


 いちごミルク味のチュッパチャプスを咥えながら、三條は徐にパソコンの閲覧履歴を開き、とあるサイトへとアクセスする。


 読み込み終えると、途端にパスワード入力を求められた。一度入力する。するとすぐさま先程とは違うパスワードを入力するよう促される。


 これを計五回繰り返し、ようやくログイン完了となった。


「これは?」


 背後の牟田がほぼ白湯に近い薄味のコーヒーを口にしながら三條に問う。


 すると三條は画面の上の方を指差した。


 そこには【クゥクーシカへようこそ】の文字。


「クゥクーシカ?」

「完全招待制のサイトっす。メンバーの招待でしか加入できないシステムなんで、友達の少ない所長は存在さえ知らないと思いますけど。」

「…あれ?三條君怒ってる?」


 今更なことを聞かれ、三條の額に血管が浮く。


「これが、この間、八反田先生を呼んだ理由っす」

「………」


 牟田は三條の肩を軽く押し退け、その椅子を奪うと、デスクトップを睨み付けた。






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