第7話


 事務所近くのコインパーキングに愛車を停めて牟田は、沈んだ気持ちを奮い立たせようとコンビニで「ガツ盛り唐揚げ弁当」とスフレプリンを買った。


 そのままダラダラ歩いて雑居ビルへと向かう最中、ふと見上げると、三階事務所に明かりがついていて驚いた。


「……おいおい、何だよ、」


 スマホを見遣ると、既に午後九時を回っている。

 牟田の事務所の定時は午後五時であり、三條がこんな遅くまで残業しているとは考えにくい。


(そんな難しい案件は預けてないからな。)


 となると、不穏な事件の可能性も捨てきれない。


 下世話な探求心の塊である牟田は、何故かニヤニヤ笑いながら階段を一気に駆け上がった。


「誰だ!!」

「………」

「…何すか所長、大声出して恥ずかしい。」


 ドアを開け放ち、牟田は満面の笑みで開口一番叫んでみたが、事務所内にいたのは、嘲りを隠さない赤髪の三條と、なぜ居るのかはわからないが見覚えのある背の高いスーツ姿の男。


 その男は、牟田の幼馴染みで名を八反田克之はったんだ かつゆきという。


 八反田は牟田の奇行に慣れているため、開口一番叫ばれても驚きもしない。ただ縁のない眼鏡の奥の目は冷めていた。


 牟田はつまらなそうに目を細め、


「何でお前らまだ事務所にいるんだよ、特に八反田。」


 二人を交互に見た後に嘆息した。

 そして牟田は二人の横を通り抜けて自身のデスクの椅子を引く。鬱積した全ての苛立ちを込めてドスンとそれに腰掛けた。


「で、なんで八反田がここにいるんだ?そして三條君は何時間残業をつけるつもりなの?」

「きっちり四時間残業ですね。オーバーワーク分、寸志も欲しいくらいですよ。」

「いやいや、そんな難しい案件預けてないよ。俺の方眼紙をデータ化してくれるだけでよかったんだし、」


 牟田の言葉に、反応したのは八反田だった。


「『データ化してくれるだけでよかった』?…おいおい、なんだそれは。自分の仕事を押し付けておいて、時間がかかれば部下を咎める。立派なパワハラ発言だな。看過できんぞ。」


 高圧的に言い放って八反田が牟田を見遣る。

 その上等なスーツの胸に付く天秤の金バッチが、蛍光灯に照らされて無駄に目映く光った。


「………」


 牟田は面倒になったのか、そっぽを向いてコンビニで買ってきたガツ盛り唐揚げ弁当を開きはじめる。

 そして唐揚げを一つ頬張りながら手をヒラヒラさせた。


「まあなんでもいいけどさ、…三條君も早く帰りなさいよ。そのうるさいの連れて。」

「八反田先生は所長に用があるみたいですよ。」

「…えー、そうなの?俺は用がないから帰ってもらえないかなぁ」


 牟田の覇気のない言葉に、八反田が縁なし眼鏡をキラリと光らせた。


「相変わらずだな。まあ俺も暇ではないから牟田、単刀直入に言うがお前、この一件から手を引け。これはこんな寂れた町の一相談所が扱える代物ではないぞ。」

「はあ?」


 突然の展開に、呆気にとられた牟田はぽかんと口を開けた。そしてそのままの顔で三條を見遣る。


 三條はしれっと新しいチュッパチャップスを取り出し素知らぬ顔で開けていた。


「ちょっとちょっと三條君、我々には依頼人に対する守秘義務があるんだよ?」

「もちろん、知ってますよ?」


 三條はピンク色のチュッパチャップスをくわえながら、珍しくニヤけることなく牟田を見た。


「でも俺も職を失うわけにはいかないすからね。独断で弁護士の先生に相談しました。」

「いやいや、弁護士の先生に相談する前に、君の上司に相談してよ。…何が問題だと思ったの?」

「それは、」


 口を開きかけた三條の前に、背の高い八反田が立ちふさがる。

 牟田はあからさまに舌打ちをした。


「おい、いい加減にしろよ八反田」


 今日1日分の苛立ちが一気に噴出したようだ。

 牟田は顔から笑みを消し去り、地を這うような低い声で八反田を見据える。

 しかし、


「いい加減にするのはお前だ牟田。世の中にはな、触れてはならない事案というものが確かに存在するんだぞ。口外することさえ憚られることもな。…それぐらい、お前も承知してるだろ。」

「………」

「今回の案件は黙殺するのが得策だ。これは弁護士として言うんじゃねぇ。友達だから忠告してやってんだ。」


 八反田は、茨掻ばらがきだった頃の尖った目付きのまま、苦い顔をしている牟田を見下ろした。

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