第2話


 赤髪の派手な三條の後ろからおずおずと現れたのは、この地域からは少し離れた私立高校の制服を着た少女。黒く艶やかな髪を後ろにひっつめた大人しそうな印象だった。


(こう見ると、三條君のガラの悪さが引き立つなぁ。)


 三條は、そんな牟田の心情を察したのか、退出する際にくわえていたチュッパチャップスを口から出して舌をちらつかせ、ニヤニヤと笑った。


「………」


 牟田は呆れたように口角を下げつつも、息を一つ吐き捨てて身を正し、改めて少女に向き合う。


「えっと、じゃあ、ちょっとそこに座ってもらってもいい?」

「あ、…はい。」


 牟田に促されて、古ぼけたソファーに少女は浅く腰掛けた。


「じゃあ改めまして、僕は『止まり木』所長、牟田暁雅です。」


 よれよれのスーツの内ポケットから名刺入れを取り出して、一枚名刺を少女の前に差し出した。


 少女は慣れない手付きでそれを受け取ると、見るでもなくその名刺に視線を落とす。


 牟田はそんな少女を見つめたまま、向かいの一人掛けソファーに深く腰かけた。


「それで早速だけど、相談の内容を聞かせてもらってもいいかな?」


 今年で38歳の牟田は、努めて明るいトーンでそう言うと、可能な限りの微笑みをその顔に浮かべる。

 少女はそんな牟田を見ることもなく、名刺をテーブルの上に置き、小さな手を太股の上に戻して固く握った。


「………」


 その追い込まれた姿に、牟田は癖の強い黒髪をガシガシと掻きむしり、気づかれぬようにそっと嘆息する。


(これは、…骨が折れるかもしれねぇな。)


 牟田は少女の話し出すのを待って、息を殺す。


 相談室の壁にかかった時計の秒針が時を刻む音だけが、室内に静かに響きわたった。


 そして時間にして10分くらいが経過した頃、徐に俯いていた少女が小さく肩を揺らした。

 牟田はその様子をじっと伺う。


「…あ、あの、」


 ようやく口を開いた少女は相変わらず俯いたまま。その、意を決したような少女の声は震えていた。


「…………」


 牟田は何も言わずにただ少女を見守る。


「あの、」


 やがて少女はゆっくりと顔をあげ、揺れる瞳で牟田の黒い眼を上目遣いで見据えた。


 そして心の奥底から勇気を絞り出すように大きく息を吸い込んだ。


「あの、…母を、探してくれませんか?」

「……っ」


 一瞬、心が動揺しかけて、しかし牟田は微笑みを崩さない。


「お母さんを探す?お母さん、いなくなったの?」

「いえ。母はいます。でも、…その母は、…私の母は、いつの間にか私の母ではなくなったみたいなんです。」

「………」


 要領を得ない事を話していると、少女自身は自覚があるのだろう。声は終始力弱かった。

 だからこそ牟田は表情を動かさなかった。


 すると途端に、少女の大きな瞳からは大粒の涙がいくつもいくつも溢れては落ちた。


「なぜそう思ったのか、聞いても?」

「はい。…あの、母はいつもと同じように毎日ご飯を作ったり仕事に行ったりしてるけど、…なんだか、雰囲気が違うんです。どうしても別人のように見えて。その、…なんとなく、なんですけど。」

「…うん。…うん、そうか。」


 わかったと、偽りの理解を示して少女の信を得ることは牟田もしたくはなかった。だが、彼女の心が抱く違和感を頭ごなしに否定もできない。


「それはつまり、お母さんが突然別人になったと?」

「見た目は変わりません。見た目は母なんです。でも、たぶん、母の中身が変わったんじゃないかって。でも、父も祖母も、そんなことに気がついていないから、きっと話しても信じてもらえない。だけど、」


 少女の訴えを、牟田は正面から受け止めながら、一瞬、牟田の脳はプライベートと仕事を混同した。


 自分の別れた妻に引き取られた娘も、この少女と同じ年頃。その子が、たった一人で誰にも言えない不確かな不安に怯えている。


「そうか。…なるほど。なら少しこちらで調べてみましょう。本格捜査に移行するまでは料金は発生しないから、後日、引き受けるかどうかは、こっちから連絡する形でもいいかな?」

「……はい。ありがとうございます。」

「じゃあ、まずお母さんの普段の足取りから教えてもらえる?」


 牟田はテーブルに置いていた黒い本革の手帳を開き、嗚咽を堪えきれなくなった少女が落ち着くのをじっと待った。

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