第12話 わたしに、そんな趣味はない

「お祖母様の体調に障るというのに」

 ため息をつき、前髪を掻きむしりながら慶一郎けいいちろうが廊下を歩きだそうとしたときだ。


 すぱーん、と障子が開く音が響いてきた。


「慶一郎!」

 綺麗な高音の声で名前を呼ばれ、慶一郎の肩がわずかに跳ね上がる。

 たたたたた、と廊下を小走りに駆けてきたアメリアは、周囲の目などはばからずに、彼に抱き着いた。


「離せ、下がれっ」

 咄嗟に慶一郎が怒鳴る。


「あなたって人は、もう! 本当にこの国の男はシャイね!」


 アメリアは慶一郎に頬を押しあて、ちゅ、ちゅ、とリップ音だけ鳴らすが、驚きすぎた志乃は危うく鞄を取り落とすところだった。


 慶一郎は、これみよがしに大きく深い息を吐くと、あっさりと拘束を解いて歩きだす。


「お祖母様に迷惑をかけるな」

「迷惑なんてかけてないわ」


「さっさと帰れ。……お祖母様、ただいま戻りました」

 きゃっきゃ笑いながらつきまとうアメリアを連れ、慶一郎は廊下で礼をして、千代の居室に入る。


 するり、とアメリアの姿も居室に吸い込まれるのを見て、志乃はようやく我に返った。


 なんというか、すごいお嬢様だ、と思いながら、両手に持つ慶一郎の荷物をとりあえず居間の隅に置き、千代の居室に取って返した。


「どうして結婚したことを黙っていたの!」

 廊下に正座した時、アメリアの凛とした声が部屋に響いた。


「そうやって騒ぐからだろ」

 うんざりした様子で慶一郎が応じている。


 ふたりとも、立ったままだ。


 アメリアの背丈は志乃も見上げるほどだが、慶一郎はそんな彼女よりも少しだけ背が高い。


 畳に正座し、水雪を膝に乗せている千代を挟み、ふたりは対峙しているように見えた。


「いつしたのよ。結婚」

「昨日だ」


「はああああ!?」

 素っ頓狂な声を上げ、その後に続くのはやはり外国の言葉だ。


 慶一郎は鳶色の瞳を細め、眼鏡越しに睨みつける。


 彼の口から紡がれるのも、やはり外国の言葉で、志乃は呆気に取られてそんなふたりを交互に見る。


「とにかく、結婚の知らせを誰にもしていないなんて、信じられないわ!」

 ようやくアメリアが、志乃にもわかる言葉で話し出す。


「うちはお祖母様以外、親族がいないし、あちらの家もそれで構わん、と言っているんだからいいだろ」

 吐き捨てるように慶一郎が言う。


(……親族がいない……)


 志乃は、目をまたたかせた。

 そういえば、慶一郎はひとりで仕事を切り盛りしている、と聞いた。


 雪宮家もそうだが、事業を親族で成り立たせている家は多い。


 事業主を中心に、弟夫婦、妹の婿、その子どもたち。

 血族が一致団結して経営しているところは普通にある。


 だが。

 瀧川家には、そういえばそんな人物がいない。


「だけど、仕事関係に知らせるのは必要なんじゃないの?」

 アメリアが腕を組み、はすかいに慶一郎を見やる。

 

「……あとで、なんか考える。葉書でも出せば良いだろう」

 むすっと慶一郎は応じる。


「お披露目はどうするの。外国人が取引相手だと、妻を同伴する機会は多いわよ。いつまでも黙っておくことはできないわ」

 畳みかけるアメリアに、今度こそ慶一郎は押し黙る。


「ねぇ、二週間後にパパが取引先を集めてパーティーを開くの。あなた、そこに妻を連れていらっしゃい。そこでお披露目すればいいじゃない」

 組んでいた腕を解き、良い案を提案した、とばかりにアメリアは声を上げた。


「はあ?」

「まあ、それはいいわね」


 同調したのは、意外にも千代だった。

 水雪の背中を撫でながら、にこにこ笑っている。


「でしょう? おばあさま」

 アメリアは我が意を得たり、と、ばかりに千代の側に跪き、こくこくと上下に首を振る。


「あなたが祝言をしないのは勝手ですけど、それに近いことをしないでどうしますか。あまりに志乃さんが可哀そうですよ」

 声の位置で慶一郎の場所を把握しているらしい。千代はうっすらと瞳を開く。


「パーティーに行ってらっしゃい。そして、志乃さんをちゃんと皆様に紹介しておいで」

「シュウゲン? おばあさま。それはなに?」

 畳に手をついて小首を傾げるアメリアに、千代はにっこりと微笑む。


「神様の前でふたりが夫婦になることを誓い、親族たちや友人たちにお祝いをされることですよ。わたしは今でも、おじいさまとの祝言を思い出しては、心がときめきます。一生に一度の晴れ着を着て、みんなに『綺麗』と言ってもらえて……。とても素敵な一日だったわ」


「信じられない! あなたたち、結婚式もしていないの!?」

 がばり、と立ち上がり、アメリアは食って掛かかる。


「時間がなかったんだ」

 うるさそうに顔を背けて慶一郎が言うが、そのこと自体、アメリアには想像を絶することらしい。あんぐりと口を開き、それから、彼女が信じる神の名前を呼び、十字を切った。


「あなた……。こんな少女を妻に迎えた上に、粗末な格好をさせて……。そのうえ、こんな扱い……」

「少女じゃない。お前より三つほど下なだけだ」


「……え」

 再びアメリアは絶句し、廊下に控える志乃を見下ろす。


「なんてこと……。てっきり、まだ子どもだと」

「わたしにそんな趣味はない」


「じゃあ、彼女は二十歳なの?」

「そう聞いている」

 憮然と言う慶一郎をいまいち信じられないのだろう。くるりと顔を志乃に向けるから、慌てて首を縦に振った。


「そうです。はい」

「ごめんなさい、私、メイドだと思ったの。慶一郎が雇ったのだ、と」

 しょぼんと肩を落とすから慌てる。


「いえ、私もなんかこう……。使用人みたいなものですから」


「なんで、揃いも揃ってみんな、志乃のことを、メイドだの使用人だのと言うんだ」

 若干の戸惑いを含んだ慶一郎の声を、アメリアははねつける。


「だって、どう考えても彼女の服装は、あなたの妻のそれではないわ。どうして、彼女にふさわしい衣服を与えないの」

「慣れ親しんだ服の方がいいと思ったんだ」


 ちらり、と慶一郎が瞳を向けてきた。


「いきなり他人の家に連れて来られて、生活習慣だのなんだのがガラリと変わって……。それなのに、服も替えろ、仕事も覚えろはさすがに無理だ」

 

 慶一郎の言葉に、志乃はようやく自分が少なからず彼に気遣われていたのだと知る。


 だが、千代は、深い息を吐き、額に手を当て、うなだれていた。


「慶一郎。あなた、いったいどんな格好を志乃さんにさせているの」


 普通だ、と自分では思うのだが、千代の膝の上にいる水雪が「ぅなああ」と告げ口口調で鳴く。


「黙れ、水雪」

 慶一郎がぴしゃりと言うが、さらに千代は顔色を無くした。


 自分は、猫から見てもみすぼらしいのか、と志乃はちょっと落ち込んだ。

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