日本国民は個人評価法の下に平等である

横浜青葉

第1話 入学初日

 父からの手紙


 すまない。父さんはどうやら嵌められたみたいだ。出来ることなら、優香ゆうかにはSランクとして不自由なく生活させてあげたかった。本当に申し訳ない。

 きっとこの先、優香には沢山の苦労や理不尽が待ち受けていることだろう。この国でCランクから這い上がるのは難しい。不可能と言ってもいい。でも、優しくて負けず嫌いな優香ならきっと、困難を乗り越えられると信じている。

 父さんからの最後のお願いだ。優香、ヒエラルキーを駆け上がれ。そして、覆せ。


 P.S.あのお金は本当に必要になった時に使うこと。理由は自分のためでも友達のためでも構わない。


◇◇◇


 二〇二二年四月四日、朝八時十五分。宮ヶ瀬みやがせ優香ゆうかは地下鉄の改札前にいた。スクールバッグに入れたはずのスマホが見当たらないのだ。

「あれ、おかしいな……?」

 がさごそと中を漁り、ようやく隙間に入り込んでいたスマホを見つけ出す。

「あった! 危ない危ない……」

 優香はなぜここまで焦っていたのか。それはスマホをかざさなければ改札を通過出来ないから。だけではない。今の時代、スマホが無ければまともに生活することが出来ないからだ。このスマホは国から支給された官製スマホで、財布や身分証明証も全てこの中に入っている。これさえあれば買い物の支払いから行政手続きまで行える優れ物。

 しかし、便利な道具には当然裏がある。国民の行動監視ツールとしての役割。能力や実績、更には性格や思想まで、収集したデータを人工知能によって解析。そして、それを元に国民を四つのランクに分ける。これが去年の国会で成立した個人評価法の階級システム。上から順にSランク、Aランク、Bランク、Cランク。上のランクほど毎月のベーシックインカム支給額が高く、最上位のSランクともなると税制優遇や免除などの特典まであるという。だから国民はSランクとは言わないまでも上のランクを目指して足掻くのである。

 もちろん優香も足掻く側の一人だ。最底辺のCランクに毎月支払われるのはたったの三万円。これでは健康で文化的な最低限度の生活すら送れない。切り詰めて切り詰めて、ギリギリ生きている状態だ。この惨めな生活から抜け出すためには、今日から始まる高校生活で実績を残す他ない。

 優香は人の流れに乗り、改札へと向けて歩き出す。ピピッ、ピピッと電子音が一定のリズムで響き渡る。他に物音は無く、人間が機械的に動いている様はかなり異質な光景であろう。とその時、ピンポーンと違う音が混じり、列がつっかえた。誰かが改札に止められたのだ。前にいた人たちが両サイドに散っていき、止められた人の姿が見える。その人は会社員風の男性で、イライラとした表情でスマホを操作している。そして、何かを確認すると急に声を荒らげた。

「おい駅員! 残高は足りてるだろ! 何で通れないんだ!」

 騒ぐ男性に、駅員が駆けつける。

「すみません。四月一日より運賃が値上げになっておりまして……」

「はぁ? 聞いてねぇぞ! とにかく俺は十八分の快速に乗らなきゃならないんだ。通してもらう」

「お客様、それは困ります!」

 強行突破しようとする男性と駅員が揉み合いになる。

 優香はため息を吐き、見て見ぬふりをして改札を通り抜ける。二月頃から駅には値上げを知らせるポスターが貼られていた。電車内のインフォメーションパネルでも、新聞の広告でも何度も告知されていた。鉄道会社はしっかりと告知義務を果たしており、それを読んでいなかった男性が百パーセント悪い。十八分の快速は男性を乗せることなく新有明しんありあけ駅を発車し、次の駅へと動き出す。

『本日も地下鉄羽田線をご利用頂きまして、誠にありがとうございます。この電車は、快速羽田空港行きです。次は海の森、お出口は左側です。停まらない令和島れいわじまをご利用のお客様は、後から参ります普通電車にお乗り換え下さい』

 自動放送が終わると、車内には電車の走行音だけが響く。優香は窓の外に目を遣り、真っ暗なトンネルを眺める。すると、窓にうっすらと自分の姿が反射して映った。肩につくくらいのミディアムヘアに、ぱっちりとした瞳。真新しいグレーのブレザーとネイビーのプリーツスカートはまだ少し着慣れない。

 優香がこれから通うのは東京都大田区城南島じょうなんじまにある私立湾岸フロンティア女子高校。多様な生徒を集め、独自のカリキュラムやユニークな取り組みを行っていることで知られる有名校だ。優香はそんな学校の制服に袖を通しているのが未だに信じられなかった。成績はそこそこ、運動神経もさほど良くはない。そして何より、個人評価は最底辺のCランク。入試の選考基準は甚だ疑問に思うが、受かったのだから結果オーライだ。

 しばらくして、電車が駅に到着する。

『海の森、海の森。ご乗車ありがとうございました』

 優香は乗降客の邪魔にならないようドア横に一歩ずれる。数人が降りると、入れ替わるように一人の少女が乗り込んできた。その少女は長く伸びた前髪の下から鋭い目つきでこちらを一瞥した。

 怖っ。私、何かしたかな?

 少女は優香の向かい側のドア横にもたれ掛かり、スマホをいじり始める。よく見ると、少女も優香と同じ制服を着ていた。どうやら湾フロの生徒らしい。黒髪のショートヘアで、スカートは膝丈、ネイルやピアスといった類のものも無い。見た目からして不良生徒ではないと思われるが、その目つきは氷のように冷たく、人を寄せ付けないバリアを纏っている感じだ。先輩なのか同級生なのかについては判断がつかない。

 車両内には他にも湾フロの生徒であろう若者がちらほらといた。バチっとメイクを決めたギャル、静かに文庫本を読む文学少女、ゲームに必死になっているオタク系眼鏡っ娘、更には入学案内パンフレットに目を通している超真面目な優等生まで。最後の超真面目女子に関しては同級生で間違いないだろう。

『まもなく城南島、湾岸フロンティア女子高校前。お出口は左側です。城南島の次は、終点羽田空港です。停まらない京浜島けいひんじまつばさ公園をご利用のお客様はお乗り換え下さい』

 いよいよ学校の最寄駅。一気に心拍数が上がる。

 ドアが開くと、ホームは湾フロの制服を着た生徒たちで溢れかえった。一般客で降りた人はほぼいない。生徒専用という訳ではないだろうが、無関係の人間がこの中に飛び込むのはなかなかに勇気がいるのではなかろうか。

 確か学校に一番近いのはA4出口だったはず。周りを見回してみると、他の生徒も皆そちらへ向かって歩いていくので間違いない。改札を抜け、地上に繋がる階段を上る。すると目に飛び込んできたのは、立派なアーチ状の校門と二本の桜。そして、ガラス張りの巨大な校舎だった。

「これが、湾岸フロンティア女子高校……」

 その規模の大きさに、優香は驚きを隠せない。道のど真ん中でしばらくぼーっと突っ立っていると、突然背後から声を掛けられた。

「ちょっと、邪魔なのだけれど」

「ごめんなさい!」

 優香は慌てて後ろを振り返って謝る。と、そこにいたのは。

「あっ、海の森で乗ってきた人ですよね?」

 目つきが鋭いあの少女だった。

 少女は苛立たしげに腕を組み、前髪越しにこちらを睨みつける。

「ああ、さっきの地下鉄でドア横を占有していたあなたね。新入生のようだけれど、どうしてこんなにふわふわしている人を合格にしたのか、高校の採用基準を疑うわ」

「もしかして、あなたも新入生ですか?」

「そうよ。それが何か?」

 同級生だったんだ。

「私、宮ヶ瀬優香って言います。あなたは?」

 質問に対し、少女は深いため息を吐いた。そして、そのまま歩き出してしまった。

 どうして答えてくれないの⁉︎

 なぜだろう。ファーストコンタクトの時点から嫌われている気がする。

 ショックではあるが、まだ高校生活は始まっていないのだ。気を取り直し、校門をくぐる。

 さて、ここからが夢の高校生活のスタート。まずは昇降口で自分のクラスを確認する。

 一年生は一組から四組に分かれ、それぞれ能力が近い生徒で固められている。よって、必然的にクラスメイトは個人評価のランクが同じということになる。

 Cランクの優香は四組。たった七人しかいない少人数のクラスだった。恐らく、Cランクで合格ラインに達する人はそう居ないのだろう。

 下駄箱で上履きに履き替え、二階へ上がる。廊下を突き進み、一番奥の行き止まりに一年四組の教室はあった。中に入ると、机が横五列、縦七列に並べられていて、一番前の廊下側から四つの机と二列目の廊下側と窓際を除く三つの机にネームプレートが置かれていた。優香の席は二列目の窓際から二番目。席順からすれば端っこの場所だ。席に着き、教室を見回す。

 教室にはすでに三人の生徒がいた。ギャルと文学少女と超真面目女子。全員先ほどの電車内で見かけた顔ではないか。

 優香の前の席に座る文学少女は、イメージの通り一人で静かに文庫本を読んでいる。内容は……ファンタジー系? 人見知りっぽいというか、コミュニケーションが苦手なタイプの人だろう。

 続いて超真面目女子。電車で入学案内を読むような人だし融通が利かないタイプかと思っていたが、意外とそうでもなさそうだ。メイクバッチリの金髪ギャルと普通に談笑している。正反対の性格であろう二人は、果たして会話が噛み合うのだろうか? 少し聞き耳を立ててみる。

「アタシは滝畑たきはた日奈子ひなこ! アンタの名前は? クラスメイトだし、仲良くしたいなって」

「私は浦山うらやま菜月なつき。こちらこそよろしく」

「じゃあさ、いきなりだけどLINE交換しよ!」

「いいよ。私が読み取ればいい?」

 早速連絡先を交換しているではないか。二人はこの短時間ですっかり友達になった様子だ。ギャルのコミュ力が高いのか、超真面目女子が案外誰とでも打ち解けられるタイプなのか。今のところは、あの二人がクラスの中心になりそうな感じがする。

 程なくして、四人目の生徒が教室に入ってきた。オタク系眼鏡っ娘。この人もまた電車で見かけた顔だ。ポータブルゲーム機の画面から目を離すことなく、教室に入ってすぐの一列目廊下側の机に鞄を置いてゲームを続行する。相当なゲーマー、というかゲーム依存か。

 優香も誰かに話しかけて友達を作っておかないと、この先の高校生活が悲惨なことになりかねない。しかし、ギャル改め日奈子と超真面目女子改め菜月の間に割って入る勇気は無いし、ましてや本やゲームの邪魔をするなんて大胆なことも出来ない。どうしたものかと困っていると、隣の席に気配を感じた。

 隣の人なら話しかけやすいかも。

 そう思って視線を向けると、またしてもあの鋭い目で睨まれた。

「はぁ、まさかクラスまで一緒だなんて。本当に最悪」

 最悪とは何だ。それはこちらのセリフだ。

 いやいや、いがみ合い続けてもしょうがない。親交を深める努力をしなければ。

「私たち、縁があるんですかね?」

 とりあえず笑顔で話を振ってみる。

 すると、少女は不愉快そうに顔を顰めてきっぱりと言った。

「絶対に無い。あなたと縁があるくらいなら死んだ方がマシよ」

 私のこと、そこまで嫌いですか? 私があなたに何をしたというのですか? 親の仇ですか?

「隣の席同士、仲良くしませんか?」

「嫌。放っておいて」

「せめて名前だけでも……」

「…………」

 取り付く島もない。少女はぶっきらぼうな態度で鞄から筆箱とメモ帳を取り出し、鉛筆で何かを書き始める。

 これはダメだ。諦めたその時、机に一枚のメモが置かれた。

黒部くろべ飛鳥あすか? もしかして、あなたの名前ですか?」

「ええそうよ」

 急に名前を教える気になったのか、飛鳥はこくりと頷く。

 おや? こいつツンデレか?

「改めて、私は宮ヶ瀬優香。これからよろしくね、飛鳥」

 微笑みかけると、飛鳥は「宮ヶ瀬さん。一応頭に入れておくわ」と小さく呟いた。

 これで教室には六人の生徒が集まったことになる。あと一人、どんな人だろうか。

 前の入り口を見つめて到着を待っていると、飛鳥が呆れた様子で優香の肩を叩いた。

「宮ヶ瀬さん、まさかまだ一人来てないなんて思ってないでしょうね?」

「え? だってまだ六人しかいない……って、いた!」

 教室を再度見回してみると、飛鳥越しに眼鏡をかけた生徒が座っているのが見えた。背筋を伸ばし膝に手を置いたその姿勢はまるでお手本のような座り方だ。いや、もはやあれは椅子そのものだ。

 だから優香は、彼女を椅子と誤認して存在に気付かなかったのだ。

「全く、世話が焼けるわね。宮ヶ瀬さんの目は節穴なのかしら?」

「あはは、面倒おかけします……」

 頬を掻く優香に、飛鳥は大きなため息を吐いた。

 キーンコーンカーンコーン。チャイムが鳴り、教室にスーツ姿の女性が入ってきた。髪はぼさぼさで顔はノーメイク、目の下にははっきりとしたくまが出来ている。二十代後半くらいと思われるが、自分の見た目にまるで興味が無いといった雰囲気だ。先生は教壇に配布物を置き口を開く。

「えーと、一年四組副担任、綾北あやきた有希子ゆきこ、です……。入学式は、十時から、なので、資料を、読んでおいて、下さい……」

「はぁ? 何て言ってんのか聞こえないし」

 前列の廊下側から二番目、教壇の近くに座る日奈子が文句をつける。

 小声だし途切れ途切れだし、あの距離で聞こえないなら後列の優香に聞き取れるはずもない。

 しかし綾北先生は生徒の声に耳を傾けず、無言で資料を配布した。

 一枚目。学校の構内図と設備案内、カリキュラムの紹介、部活動や委員会の一覧。これは入学案内パンフレットと同じ内容。

 二枚目。校則及びルールについて。こちらは初見だ。遅刻欠席の連絡方法や懲戒処分の規定、休学や自主退学に関してといった手続き的なものと、服装や頭髪のセーフライン、帰宅時の寄り道についてなどの日常生活的なものがあるようだ。

 三枚目。A4のペラ一枚。これはワープロソフトで作った先生のプロフィールだろうか? 記載されている内容は以下の通り。

 一年四組副担任、綾北有希子。誕生日は五月十三日。趣味はネットサーフィン。好きな食べ物はカップラーメン。以後空白。

 よくこれで教師やってるなぁ。

 しばらくして、菜月が手を挙げた。

「綾北先生。最後の資料に副担任だって書いてありますけど、そしたら担任は誰なんですか?」

「あれ? 先生が担任じゃないんですか?」

「確かに気になるっすね。今日は担任休みっすか?」

 言われて気付いたのか、文学少女とオタク系眼鏡っ娘が質問を投げかける。

 すると、綾北先生は一瞬天井を見上げてからぼそっと答えた。

「最終調整中、です……。四月十八日から、担任が授業を、行います……。それまでは、綾北が、代理を務めます……」

 さっきよりは喋れてる? でも、この調子では担任の代理は全く務まらなさそうだ。

 それにしても、なぜ最初に一度天井を見上げたのだろうか? 別に何がある訳でもないのに。そして一人称綾北って。ちょっとツッコミどころが多いぞこの先生。

 優香としては『代理だしこんな人でも面白いかな』くらいに思っていたが、飛鳥は違った。

「綾北先生。担任代理である以上はしっかりしてもらえるかしら? これでは学校生活に支障が生じかねない。改善しないようなら副担任の変更を要求するわ」

 おいおい、新入生の分際で生意気な。と言うかあなたもCランクでしょう? 綾北先生のランクも知らないで、どうしてそんなに強気なの。

「ちょっと飛鳥? 落ち着きなって。たった二週間の辛抱だよ」

 優香が慌てて宥めると、飛鳥はふーっと息を吐いた。

「そうね。たった二週間と捉えることも出来るわね。だけど、成長途上の高校生にとって二週間は長い。長すぎる。私はこんなところで足踏みしている場合ではないの」

 飛鳥は焦っている? まだ高校生なんだし、そんなに生き急がなくていいと思うけれど。

 当の綾北先生は、ショックだったのか目が潤んでいるように見える。

「分かり、ました……。綾北からも、上に報告しておきます……」

 いくらなんでもメンタル弱すぎでは? 教師なんだから『もう、ワガママ言っちゃダメだぞ』とでも言って適当に聞き流したっていいんですよ。

「先生」

 次に手を挙げたのは椅子人間。いや、このあだ名はさすがに酷いな。後でちゃんと考えよう。

「ど、どうぞ……」

 すでにメンタルブレイク済みの綾北先生は、より一層小声になっている。

「資料の記載情報、先生分が不足気味です。追加説明を求めます」

 喋り方何だそれ、ロボットか。

 全く感情がこもっていない要求に対し、綾北先生は目を泳がせた。きっと綾北先生は自分を表現することが苦手なのだろう。だから人前で上手く喋れない、プロフィールの書き方が分からない。優香にはその気持ちが少し理解出来る。人には誰しも、隠したい部分がある。綾北先生はそのウエートが大きいだけ。

「回答を。副担任の交代を要請する場合、多くの判断材料が必要です」

 英語を自動翻訳したみたいな日本語でプレッシャーをかけるロボット少女。彼女もまた、飛鳥と同じリコール要求派か。

 綾北先生、無理しないで。逃げてもいいのよ。優香は温かい目で訴えかける。

 しかし、綾北先生は逃げなかった。胸の前でぎゅっと拳を握り、ぽつりぽつりと話し始めた。

「あの、綾北には、発達障害が、あります……。だから、人付き合いは、よく分かりません……。でも、皆さんと一緒に、頑張りたいって、思ってるので、二週間だけ、綾北を受け入れて、くれませんか……?」

 カミングアウト。これは相当な勇気がいることだ。素直に称賛したい。

 優香は初めから何となく、綾北先生はただのコミュ障ではないと気付いていた。さすがに普通じゃなかった。じゃあ飛鳥が文句をつけた時点でフォローしてあげれば良かったのに、と思うかもしれないが、それはベストな選択ではない。綾北先生本人がそれを自覚していなかった場合、一個人の所見で傷つけてしまう恐れがあるからだ。

「そうだったの。さっきは悪かったわ……」

 隣で反省する飛鳥。

「いえ、気にしないで、下さい……」

 綾北先生の言う通り、別に飛鳥が責任を感じる必要はない。発達障害をぱっと見で判断するのは専門家でもない限り非常に難しい。それに、高い学費を払って通学する生徒として飛鳥の意見は正しかった。

 とりあえず無事に綾北先生の担任代理続投が決まったのは喜ばしいが、教室は暗い空気になってしまった。他に質問のある生徒もいなさそうだし、誰かがアクションを起こさなければ入学式までお葬式状態になりかねない。その状況を読み取ったのだろう、菜月がぱんと手を叩いた。

「みんな資料には目を通したよね? じゃあさ、私たちも自己紹介しようよ」

 すると、生徒から一斉に声が上がった。

「おっ、いいねぇ〜!」

「ナイスアイディアっす!」

「恥ずかしいけど、私もやらないとだよね?」

「クラスメイトの把握は高校生活において重要です」

 盛り上がる教室。だが、隣を見ると飛鳥は黙って目を閉じていた。

 まさか寝たふりでやり過ごすつもりか? 飛鳥ならあり得そうで怖い。

「後ろの二人も、自己紹介に参加してくれるよね?」

 その時、菜月がこちらを振り向いて話しかけてきた。

「えっ? うん、もちろんだよ」

 優香は慌てて頷く。

 まずいまずい。隣に気を取られて私もレスポンスをしてなかった。

「分かってる。順番になったらやるわ」

 飛鳥はダルそうに片目だけを開いてそう答える。

 全員の同意を得た菜月は、そのまま自分の自己紹介を始めた。

「まずは私から。私の名前は浦山菜月。趣味は家庭菜園で、最近はキュウリとかミニトマトを育ててます。友達は沢山欲しいので、気軽に話しかけて下さいね。よろしくお願いします!」

 パチパチと拍手が起こる。

 菜月は真面目な優等生タイプだし、クラスのまとめ役になりそうだ。

「じゃあ次アタシ! アタシは滝畑日奈子。ファッションとかメイクが好きで、たま〜に読者モデルもやってるんだ。お洒落に困った時は相談してくれれば超絶可愛くしてあげる! みんなヨロシク〜!」

 パチパチパチ。

 日奈子は圧倒的な陽キャだから、場を盛り上げるムードメーカー的存在かな?

「そしたら次はあなた」

 菜月がオタク系眼鏡っ娘を指名する。

 ここからはまだ名前を知らない生徒の自己紹介だ。しっかり覚えなければ。と言うかそもそも、菜月と日奈子の名前も盗み聞いただけで知らないに等しかったが。

「ジブンは小河内おごうち美里みさとっす。趣味はアニメとゲームで、特に好きなのはデスゲーム系の作品っすかね。その中でも一推ししたいのはネクストフロンティアオンラインっす。アニメは既に四期放送されていて二期と三期の間に劇場版があるんすけどやっぱり一期が本当に素晴らしくて第十四話のヒロインのセリフは思い出しただけでも泣きそうに」

 オタク特有の早口。途中から何を言っているのか分からない。これ日本語か?

 他の生徒にも困惑の色が広がる。

「うん、もう大丈夫。愛は伝わった。美里、よろしくね」

「ああすみません。話しすぎたっす」

 遮ってくれて良かった。菜月、グッジョブ。

「次はあなた。緊張しなくていいからね」

「はっ、はい!」

 お次は文学少女。文庫本で顔を隠しながら、伏し目がちに話し始める。

「あのっ、四万川しまがわ花音かのんです。本が好きです。よろしくお願いします」

 パチパチと優しい拍手が送られる。

 あなたはもっと喋ってもいいんだよ。限界オタクムーブをかまさなければ。

 これで前列の自己紹介は終わった。

「今度は後ろの列。廊下側から順番にでいいかな?」

 菜月の言葉に、ロボット少女が「承知しました」と答える。

「私の名前は矢木沢やぎさわかえでです。趣味は特にありません。比較的勉強は得意です。よろしくお願いします」

 言い終わると、生徒は真顔でパチ、パチとまばらな拍手を送った。全く盛り上がっていない。

 それはそうだ。だって言葉に心がこもってないんだもの。感情は家に忘れてきたんですか?

 そして次は飛鳥の番な訳だが……。

「おーい、飛鳥? もしもーし?」

 優香は身体を揺さぶってみるが、飛鳥が目を開ける気配はない。彼女は寝ているのではなく、強い意志をもって目を瞑っているのだ。

 そこまでして自己紹介を拒否する理由って何だろう。

「いいよ、寝かせてあげな。あなた、最後になっちゃってごめんね」

 菜月は飛鳥が寝ていると判断し、優香に自己紹介を促した。

 さて、何言おう。

「私は宮ヶ瀬優香。趣味は音楽を聴くことで、好きな食べ物はお寿司です。みんなと仲良くしたいなって思ってるので、よろしくお願いします!」

「よろしくね、優香」

 パチパチパチと盛大な拍手が起こる。

 これは優香の自己紹介が成功したというより、全員(飛鳥を除く)の自己紹介が終わったからだろう。

 でも、即興にしてはなかなか良かったんじゃない?

 自画自賛しつつ、飛鳥の方を見遣る。

 すると飛鳥は片目でこちらを見て、したり顔を浮かべていた。


「えっと、そろそろ時間、なので、体育館に、移動しましょう………」

 綾北先生の指示で、優香たち四組は入学式が行われる体育館へと移動した。

 そこにはすでに一組から三組の生徒と、教職員全員が集まっていた。

 一組の生徒はSランクとだけあって少々いけ好かない雰囲気。

 二組の生徒はAランク。見た目からして優等生の集まりといった感じだ。

 三組はBランク。良くも悪くも普通の人たち。

 上のランクの人ほどプライドが高く底辺の人間を下に見る傾向があるので、優香たちが交流出来るとすれば三組の生徒くらいだろう。

 時計の針が十時を指したと同時に、一人の生徒がステージに上がり演台に立った。

「新入生の諸君、入学おめでとう。私は生徒会長の有間ありま奈央なおだ。生徒代表として、僭越ながらスピーチをさせて頂く。ただ、私は偉そうなことを言える立場ではない。だから一つだけ、皆にアドバイスをしようと思う。湾岸フロンティア女子高校、この学校に通えるのはたったの三年間だ。今しかないこの瞬間を、全力で楽しんでほしい。勉強も部活も趣味も、やりきってほしい。皆の高校生活が有意義なものとなるよう、生徒会もサポートしていく所存だ。これにて私のスピーチは以上とする」

 有間生徒会長が頭を下げると、体育館に拍手が響き渡った。

 生徒会長って高圧的なイメージあったけど、今の人は謙虚だったな。しかもSランクだろうに。

 続けて、校長先生の言葉。校長先生は六十代ほどの男性で、白髪混じりの七三分けが特徴的なイケオジだ。

「えー、校長の鳴子なるこ智昭ともあきです。今年も沢山の素敵な新入生が入学してくれたこと、大変喜ばしく思います。潮風を感じられるこの学校で、皆さんがどんな成長を遂げてくれるのか、僕は今から楽しみで仕方ありません。そして、先ほども有間君が言っていたように、高校生活はたった三年です。恥ずかしながら、僕は何もしないうちに高校生活を終えてしまいました。皆さんは悔いのないように、この三年を過ごして下さいね」

 パチパチパチパチ。

 校長先生は総じて話が長いものだと思っていたが、鳴子校長は案外あっさりしていた。

 その後は生徒による部活動と委員会の紹介があり、入学式は無事に終了した。

「では、教室に、戻りましょう……」

 綾北先生の指示で教室に戻る。

 時刻はまだ十一時。下校時刻まであと三十分あるが、残り時間は何をやるのだろうか。

「綾北センセー、もう解散でいいんじゃない?」

「やることも無いっすよね?」

 日奈子と美里は帰る気満々のようだが、絶対に解散にはならないはずだ。

 しばらくして、綾北先生は少し言いにくそうな様子で口を開いた。

「やること、あります……」

「何をするんですか?」

 花音が首を傾げる。

「委員会、どれに入るか、決めて下さい……」

 なるほど、ここで委員会決めか。

 委員会は学級委員、風紀委員、図書委員、保健委員、美化委員、選挙管理委員、放送委員の全七つ。入学式でそれぞれの活動内容は説明されている。

「被りは無しで、お願いします……」

 つまり、四組はちょうど七人なので全員が違う委員になる必要があるらしい。

「そしたら、やりたいのがある人は手を挙げてもらっていいかな?」

 仕切り始めた菜月の言葉に、楓がピシッと挙手した。

「じゃあ楓。どれがやりたい?」

「風紀委員です」

 即答。

 うん、そんな感じはする。

 他に風紀委員をやりたい人はいなかったので、そのまま楓が風紀委員に決定した。

 次に手を挙げたのは花音。

「花音はどれやりたい?」

「私は図書委員がやりたいです」

 文学少女だもんね。四組の中じゃ他に務まる人はいないだろう。

 これも競合すること無く決定。

 その後も日奈子が放送委員、美里が選挙管理委員に決まり、残すは優香と菜月、そして飛鳥の三人となった。

「後は優香と……あなたか。二人は希望ある?」

 問いかけられたので、そろそろ私も答えよう。

 優香は右手を持ち上げて口を開く。

「私は保健委員にしようかな」

 菜月は飛鳥を一瞥し、こくりと頷いた。

「うん、優香は保健委員で決まりだね」

 これで学級委員と美化委員の二択になった訳だが、飛鳥は何を考えているのだろうか。未だに無言を貫いている。

「あなたは学級委員と美化委員ならどっちがいい?」

 菜月が気遣うように飛鳥に話しかける。

 すると、飛鳥はもう逃れられないと思ったのか、ようやく言葉を発した。

「別にどちらでも構わないわ。まずはあなたが選びなさい。私は残った方でいいから」

 地味にこれが飛鳥と菜月の初会話では?

「そ、そう。分かった。じゃあ私は学級委員やるから、あなたは美化委員で大丈夫?」

「ええ」

 一悶着ありそうな気配がしたが、ギリギリ平和に解決した。

 いきなりあの態度で来られたら、そりゃ菜月も引くよね。

 委員会決めが終わったと同時に、綾北先生が姿勢を正す。

「決まった、みたい、ですね……。では、帰りのホームルームを、始めましょう……」

 黒板にはすでに明日のスケジュールが書かれていた。委員会決めの間に書いておいたのだろう。

 明日も午前登校で、健康診断とその待ち時間にオリエンテーションを行う。

 隙間時間を利用して、まずはクラスの親睦を深めようということか。

 って、これ絶対飛鳥が嫌がるやつじゃん。

 隣をチラ見すると、飛鳥は面倒臭そうにため息を吐いていた。

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