第3話




「じゃあ、会場に戻りましょうか」

「あ。私はもう少しここにいるわ」


 どうせ戻ってもあの光景を見続けることになるだけだし。と言うと、ココナはそれもそうねと納得して去っていった。

 それを見送って、クラリスはふう、と溜め息を吐いた。


(恋なんかしていないんだから、恋の願いなんかないわ)


 クラリスは植え込みの陰にしゃがみ込んで小瓶をみつめた。


 こういう可愛らしいおまじないに胸を弾ませたり出来ないから、自分は可愛いげがないのだろうか。自分より二つ年上のココナは人妻になっても可愛いままだ。


(でも、願い事なんて何も……)


 その時、誰かが庭に入ってくる気配がして、クラリスはハッと息を詰めた。別に悪いことをしているわけではないが、こんなところで一人でいたとバレたら「婚約者に相手にされていないから庭に一人でいた」と思われてまたぞろ憐れまれることになる。

 そう思って身を竦ませたのだが、次の瞬間、もう一つの足音が庭に近付いてきて高い声を響かせた。


「アスラン樣! こんなところで何をしていらっしゃるの?」


 クラリスは眉をひそめた。

 よりにもよって、庭に入ってきたのはアスランと、彼を追いかけてきたらしきどこかの令嬢だ。


「ああ。俺の婚約者がどこかに行ってしまってな。まったく、一人で勝手に行動するとは」


 アスランの苛立たしげな声を聞いて、クラリスは眉間にしわを刻んだ。どの口が言う。


「まあ、アスラン樣をないがしろになさるだなんて。やはり、シスケン子爵令嬢ではアスラン樣にはふさわしくなのでは? 向こうから無理にせがまれて婚約されたのでしょう? お気の毒に」


 令嬢が声を震わせる。クラリスは拳を震わせた。


(なんだって?)


 まさか、アスランはクラリスが無理矢理アスランとの婚約を望んだとでも言いふらしているのだろうか。

 冗談じゃない。侯爵家からの強い申し出だったではないか。

 クラリスの父が「しかし、我が家では家格が〜」とのらりくらりとかわそうとしたのを遮って圧してきたのはそちらではないか。

 父も母も兄も、「クラリスには好きな相手に嫁いでいいと言っていたのに、こんなことになって……すまない」と肩を落としていたのだ。それを、まるでクラリスとその家族が権力欲のために侯爵家にすり寄ったみたいな嘘偽りを広めているのか。

 それは絶対に許せない。


「いや……ないがしろにされている訳ではないが、彼女はこういう夜会は嫌いなようで」

「あら、そうですの。まあ、アスラン様のお隣ではどうしたって比べられてしまいますものね。地味令嬢ですもの」

「……まったく。いつもつまらなそうに壁に張り付いているくせに、どこに行ったのか」

「もしかしたら、他の殿方に誘われて二人で抜け出したのかもしれませんわよ」

「それは絶対にあり得ない! あんな地味な奴、誰が誘ったりするもんか!」


 そこまで聞いてクラリスは立ち上がった。これ以上聞いていたら、アスランをそこの池に沈めてしまいそうだ。


「では、そんな地味な奴とはさっさと婚約解消してちょうだい」


 立ち上がってそう言うと、アスランはばっと振り向いて顔を青くした。



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