言葉少ない世界の淵で

千羽はる

1ーシネーの窓

 ルウは、ここが好きだ。


森の淵にある『穂先』から見る風景。


青い瞳が見上げる空には、虹が見え隠れする暗色の中に、無限の白い粒々が輝いている。


見下ろせば、もっと細かく輝く雪の大地を踏みしめる自分の足と一緒に、『底なし』の深い深い奥にゆらりと不穏に揺れる『夕陽』がある。


 もしも、ルウが『穂先』から落ちてしまったら。


『底なし』の『夕陽』に吸い込まれる。


その揺らぐことのない事実は、森に棲む誰よりも小さな体に耐えきれない恐怖を与える。


けれど、『穂先』から見える、心を押し広げるような感動をもたらす広大さは、ルウの青い目をどうしようもなく惹きつけた。


恐怖はある。けれど、それ以上に見たいものが、ここにある。


 だから、生きるためにするべき一日を終えた時、この世界でたった一人の人間の子供はそこに立つ。


少女のような愛らしさを持ち、少年のような勇敢さを持つ小さな狩人。


 夢のように美しい星空と、強者である大熊でさえ震えあがる恐ろしい『夕陽』に挟まれる銀と灰の森。


 そこでルウは生かされる。今日の獲物は、真っ白な兎。


 水晶の矢が吸い込まれるように毛皮に刺さったのを、青い目はしっかりと見守った。


滑らかな白さを持つ命を奪う。


そして、肉が、皮が、奪い去った温かさが、今日と明日のルウを生かす。


背中にある森が、風もないのにざわざわと葉を擦れさせる。


お前は眠る時間だよ、と、愛し子に言葉ではない意志を伝える。


この景色を名残惜しくは思わない。


今日も、明日も、ずっとその先も、この風景は一切変わることはないのだから。


ルウは蔦のブーツに包まれた足を、銀と灰の森へと踏み出した。


けれど、ふっ、と。


梟のささやき、栗鼠の笑い声、草のうわさ話、鳥たちの羽ばたき―――。

かき消える。




 その代わり、たった一つの「音」が、巨大な羽音と共に降ってくる。


初めて聞いたその「音」に、ルウは青い目を瞬かせて、再び『穂先』の美しい景色が待つはずの場所へと目を向ける。


ふくよかな膨らみを包み込んだ、するりと長い、ローブがなびく。


風もないのに。


ルウよりはるかに背が高いのに、佇む地面を覆うほど長い黒髪が流れる。


まるで滝のように。


背中にある森はその擦れる葉の音で囁いている。


銀と灰の森に突然訪れる者、賢者がきた。


「人間」という形をしているけれど、頭は別の生き物の形をしているよ。


フードの下からは、鋭利なくちばしがにょっきりと出てきていた。少しだけ間をあけたくちばしから、「音」が出ている。


さわさわと、うるさいぐらいの葉の音をかき消す強い音が。


ルウに向かって、放たれる。兎に放った矢のように、風を切るようにまっすぐ。


「はじめまして」


不思議そうなルウの顔を見て、楽しそうに、『カラス』は笑った。








――1の窓は閉じられた――




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