第2話 ”異”生物の腹のうち

 目の前にいる『怪物』の見掛けはまるでキツネの獣人だ。その背中から、悪魔のような翼が広がっている。


 そのざわざわした大きな手が、俺の口から頭の後ろまですっぽり覆っている。


 そこまで理解が及んで、また混乱へと陥る。

 人知の域を超えた何か。いびつな獣の大きな図体、刺さる毛の感覚、そして鼻孔をつんざくような臭気。シグナルは正確に受け取っているはずなのに、処理する脳が受け付けないでいる。

 俺の身体を拘束しているのは、きっとコイツにしがみつかれているだけが理由ではない、反応できないでいるんだ。


 不思議なことばかり起こると思っていた。

 突然閉じ込められたり、外界の時間が止まっているように見えたり、人がいなくなっていたり。

 でもこんな――わかりやすい形で現れてくるなんて。



『おい』



 喉の奥から唸るような声だった。大きな手で俺の身体を握る怪物は、物珍しそうに俺をじろじろと見てくる。


『吾輩のことは他言無用じゃ。そして、騒ぎ立てることも、反抗することも許さない。分かったか?』


 その脅迫に、俺はできる限り首を縦に振ることしかできなかった。とはいっても、頭をほとんど手で固定されているようなものだったから、振るほど動かせたわけではないが。

 しかしそれをちゃんと首肯と捉えて貰えたのか、キツネの怪物は俺の口を覆っていた方の手だけ解放してくれた。左手は、いまだに俺の上半身をしっかりと覆って拘束している。


「な、……………………なんで、すか。あなた、は」


 ようやく絞り出せたのは、水分をうしなった声だった。キツネは狂気的とも思える笑みを浮かべる。


『ああ、ああ、ああァ、このくらいビビってもらわねば困る。あやつらは驚かしがいがなかったからのう』


「……な、だ、誰のことですか?」


『それは貴様が見破るものじゃよ』


 こうして意思疎通できることが奇跡のようだ。だが段々と、ようやく現実味を帯びてくる。

 俺はいま、どういう状態にある? コイツはなんだ? コイツの目的は?


『ようやくここからが本番といったところか。貴様には、首謀者探しだとかにうつつを抜かさず、条件達成を目指してほしいのじゃがな』


「……! 条件って、あの……!」


『吾輩はな、わけあってこのゲームに力を貸しとるモンじゃ。悪魔だとか言われたが……まあ、それでいい。貴様らヒトが一般に認知し得ない存在じゃ』


 悪魔……そんなものが、本当に存在して……!


『理解に苦しむか』


「……いや、不思議なことは、いくつも体験してきました。ようやくお出ましって感じです」


『やっと喋れるようになってきたな。ともあれ、条件をクリアせぬことにはここからの脱出は叶わぬぞ』


「どうして……こんなことを?」


『悪魔に理由を尋ねるか』


「それは――逆に、人間には理由が必要だとおっしゃっているんですね」


『ほう』


 キツネの怪物は顔を近づける。『この状況でよく頭の回ること。なんじゃ、慌て喚く時間はもう終わりか』


 つまらなそうに、キツネは俺の身体を解放した。それはきっと、俺が逃げ出さないと確信してのことだろう。

 一方で俺も、この怪物が俺に危害を加えないとどこかで確信していた。他言無用などの条件を提示したり、それなりの知性がある。事実、俺はそこから逃げ出さなかった。聞きたいことは山ほどある。


『このゲームを仕組んだ首謀者が、誰なのか分かってそうな顔じゃな』


「……少なくとも、あなたではないということだけは」


『よせ。吾輩から聞き出しても無駄じゃ。貴様とは協力関係を築きたいとは思わんし、主従も上下もない』


「では、何故接触してきたんですか」


『吾輩の遊び心じゃな。ずっと見てるだけのゲームは、ときに手を出したくなるからの――そろそろか』


 怪物はそのいびつな翼を、俺の視界が覆われるほどに大きく広げた。


『つまらんゲームオーバーは見たくない。貴様、?』


 それは果たして問いだったのか――次の瞬間、怪物は目の前からいなくなっていた。残ったのは、身体を締め付けていた獣の手の感覚だけ。


 俺はその場にガクリと膝から崩れ落ちる。

 こんな体験、二度としたくはない。




「樫村くん? ――え!? 樫村くん、どうしたの!?」


 ひょこりと防災センターから出てきた東堂さんが、床にへたり込んでしまった俺を心配して駆けつけてきた。

 俺は必死に冷静さを装う。


「いえ、ちょっとその、地面の冷たさと俺の心の冷たさを比べてみたくなっただけで。俺はいたって冷静です」


「それ冷静な時の言葉じゃないよね!?」

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