第13話


         ※


 森の中を進むのは、あまりにも容易だった。『先生』なる人物がどんな存在なのかは分からない。だが、彼女が鍛えたという二人の弟子、キリアとデッドは、この森に巣食う怪物に対してあまりにも強すぎた。


 キリアは魔術なしでも容易に怪物を駆逐できたし、デッドに至っては、キリアよりも早かった。

 多少キリアより年上だからとはいえ、彼を上回る戦力を易々と発揮するとは。とんでもない女だ。


「あたいは魔術の素養がなかったからな。身体一つで食っていくしかなかったんだ」


 とはデッドの言葉。俺は今度こそ、高みの見物と洒落込んだ。


 道を進んでいくと、ゾンビもグールも、ただの死体に戻ってしまっていた。あの骸骨の活動停止によるものだろう。

 それはいい。だが問題は、キリアとデッドの連携が、あまりにも見事だということだった。俺もまた、三人目のパーティメンバーとして尽力せねばなるまい。

『危なくなったらしゃがめ』――そのくらいしかできないのだが。


 俺は持ち前の地理的把握能力を頼りに、前衛の二人に指示を出しながら進んでいった。

 進行方向は、森に入ったのと反対側。ちょうど城を挟んで向こう側だ。

 朝日が差している。今日丸一日かければ、一気に森を出ることが可能だろう。


 日光には弱いのか、怪物たちは随分大人しくなっていた。もしかしたら、この森を暗く見せていたのも、骸骨の作戦だったのかもしれない。

 いつの間にか、俺たちは一際日差しのある、やや開けた場所に出ていた。


 デッドが周辺を見張ってくれると言うので、俺とキリアは遠慮なく飯にありつくことにした。


「ところでさ、マスター」

「んあ?」


 猪の干し肉を噛みちぎる俺に、キリアが問うてきた。


「どうしてあんなこと言ったの? お金はいらない、だなんて。お店、建て直さなくていいの?」

「ああ、店か。すっかり忘れてた」

「マスター……。よくそれでお店の経営できたね」

「余計なお世話だ!」


 俺は軽くキリアを小突いた。ふふっ、と笑みを見せるキリア。

 そう、店のことよりも、俺には重要な事項があったのだ。子供をこれ以上、危険に晒すわけにはいかない。強大な敵が現れ、キリアが窮地に陥ったら、せめて一矢報いてやる。


「マスター、それは何?」

「ん、どれだ?」

「その、首から掛けてるやつ」

「え? ああ」


 キリアが指差したものを見て、俺はそれを取り上げた。宿で開いて見ていたロケットだ。

 

「見てみるか?」


 尋ねると、キリアはうんうんと大きく頷いた。

 俺は心持ち、声が震えないようにしながら、すっと息を吸った。かちり、と開いて一言。


「俺の妻子だ」

「マスター、結婚してたの?」

「一時期な」


 キリアは察しがいい。俺の顔とロケットを交互に見て、首を引っ込めた。深入りすべき話題ではないとでも思ったのだろう。

 だが実際、俺の本音は逆だった。誰かに――今も懸命に戦ってる若者に、この話を聞いてほしかったのだ。


「あれは十五年前かな。女房が悪い流行り病に罹って、あっという間にあの世へ逝っちまった」


 突然独白を始めた俺の顔を、キリアは不思議そうに覗き込む。


「ご、ごめんマスター、これって、赤の他人は聞かない方がいいよね……」

「いや、いいんだ。第一てめぇ、赤の他人じゃねぇだろうが」


 再び小突いてみたが、キリアの表情は晴れない。

 それをフォローしてやりたくて、俺は笑みを浮かべた。下手な芝居じみた笑み。それは分かっている。だが、そうしないではいられない。


『笑顔は人を救う』――かつて、街で花屋を営んでいた女房の言葉だ。


 するとキリアは顔を引き、俺のそばに体育座りでしゃがみ込んだ。俺の話を聞いてくれる気になったらしい。


「俺たちには一人娘がいてな、お前に近い年頃なんだ。もちろん、生きていてくれたら、の話だが」


 ごくり、と唾を飲むキリア。妻子を亡くしたという俺の語りに、惹き込まれてしまったようだ。


「また流行り病が……?」

「いんや、違う。事故だ。交通事故。馬車に轢かれた」


 俺は顔を上げ、ぼんやりと木々の向こうに視線を遣った。これで酒でもあれば、もしかしたら妻の、娘の幻覚が見えるかもしれない。二人はそんなこと、願っちゃいないだろうが。


「だから俺は、他人の寄り付かない森のそばで酒屋を始めた。人混みってのが、どうにも肌に合わなくなってな。流行り病は人から感染するし、馬車も人がいるからこそ走る。だったら、人のいないところで食って行けばいい。ま、店が悪党共の巣窟になっちまったのは、良かれ悪かれ誤算だったけどな」

「そう、だったんだ……」


 俺はため息を漏らした。いや、声にならなかった息が中途半端に流れただけだ。

 今更涙など出やしない。泣いていれば二人が帰ってきてくれるというのなら、話は別なのかもしれないが。


 すると、俺の手の甲に不思議な感覚が走った。柔らかな温もり。キリアが、俺の手に自分の手を重ねていたのだ。

 まめだらけのはずの彼の手は、しかし、とても繊細で優しく、俺の心を捉えている。


「あなたの気持ちが分かるとは言わないよ、マスター。でも、僕はあなたの味方だ。信じてほしい」


 驚くほどの深みのこもった声で、キリアはそう言った。


「確かに、今の僕とあなたは、雇用関係にあるかもしれないけど……。でも、お互いがお互いを必要としていることは間違いないよね。お金の問題を抜きにしても」

「まあ、な」

「それじゃ、マスターへの分け前はチャラにして、全部僕が貰っちゃおうかな、賞金」

「構わねぇぞ、俺は」

「えーーーっ?」


 キリアは手を離し、勢いよく立ち上がった。


「なっ、何だよぅ、マスター! ツッコミ期待してたのに!」

「悪いな、俺は行商人でも、祭りのピエロでもねぇんだ。娘が生きていたら、そんな未来も少しは考えたかもしれねぇがな」

「そう、か」


 キリアが肩を落とし、そう呟いた次の直後。


「あたいの分け前、ちゃんと用意できてるんだろうな?」

 

 俺が背を預けていた大木の枝から、人影が降ってきた。デッドだ。


「この森を出たら、まずは保安所に報告だ。『闇の城』の吸血鬼を駆逐した、とな。がっぽり賞金が入る。ここは仲良く三等分といこうじゃねえか」

「デッド! 君はマスターを誤射しただけだろう?」

「いや、そうでもないぜ? 今こうやってお前らが仲良くお話できているのも、あたいが見張りに付いてるからだ。働かざる者食うべからず、だからな」

「じゃあさっさと見張りに戻れよ!」

「カッカすんな、キリア。半径二百メートルに、怪物の痕跡はない。安心しろ。それからあたいに感謝しろ」

「現れたと言えば次から次へと……!」

「賞金の件、よく検討しておいてくれよ」


 こちらに背を向けるデッド。


「デッド、君はそんなんだから先生に迷惑をかけてるんだぞ! 自覚はないのか?」


 キリアの言葉に、ぴたり、とデッドの足が止まる。


「今何て言った、キリア?」

「君が口を開けば、賞金、賞金、賞金! よくもそんな利己的でいられるもんだな! 感心するよ!」


 その時、俺は気づいた。デッドの口元が、微かに痙攣していることに。


「そのへんにしとけよ、二人共」

「部外者は口出しするな!」


 唐突にムキになるデッド。だが、俺はそれを受け流すことにした。


「へいへい、俺ぁただの案内人、口出し失礼いたしやした、へぇ」


 しかしながら、デッドの豹変振りは凄まじかった。青筋を立て、歯を鳴らし、血が出るほどの勢いで手を握りしめている。


「おい、案内人!」

「ドンだよ。まあ、好きに呼んでくれ」

「てんめえ……」


 俺は一発貰うつもりで立ち上がった。しかし、


「うおっ⁉」


 デッドが、コケた。盛大に、ばさりと下草を鳴らしながら。

 見れば、キリアが自分の足をデッドに引っ掛けているところだった。


 普段なら、ざまぁみろとでも言ってやるところだろう。

 しかし俺には、そんなつもりは毛頭ない。デッドの怒りの眼差しから、コイツもまた、只ならぬ過去を持っていると察せられたからだ。


「野郎!」


 デッドは両腕で上半身を跳ね飛ばし、勢いよく立ち上がる。だが、


「ッ!」


 顔を上げた先には、キリアの短刀が待ち構えていた。


「正直言う。僕は昔から、君のことが嫌いだったんだ、デッド。兄弟子として尊敬しようにも、君の頭には金儲けのことしかない。絶望したよ」

「ッ!」


 デッドは素早くキリアの腕を捻り、短刀を封じる。しかし今度は脇腹に、キリアの長剣が宛がわれていた。勝負あったな。

 怒りと興奮で我を忘れた結果がこれだ。デッドの方が基本的に強いが、冷静であることに関してはキリアの方が長けている。

 冷静でいられるということは、実に大きなアドバンテージだ。


「行こう。今日中に森を出なきゃならねぇ。二人共、得物を仕舞いな」


 大人しく従う少年と女を見つつ、俺はゆっくりと前進を再開した。

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