第4話

「ちょ、待って待って! 顔を上げてよ!」

「頼む」

「いや、こっちから頼むよ! 僕だって迷ってるんだ、考える時間を――」

「頼む!」

「だから、僕はそんな非情なことはできないって!」

「頼む‼」


 先ほどとは異なる、気遣わし気な視線が集まるのを感じる。

 年端もゆかない少年に、嘆願するため頭を下げる四十周りの男。さぞ無様に、いや滑稽に見えたことだろう。


 だが、俺はここで退くわけにはいかなかった。こんな子供が戦っていると知ってしまった以上、放ってはおけない。店の再建のことを差し引いて考えても、だ。

 思えば、俺が最初にキリアに違和感を覚えたのも、そういった自身の考え方あってこそなのかもしれない。


 ギャングの酒場(兼秘密の集会場)を経営していた俺が言える筋ではない。それは分かっている。

 だが、子供に死地を歩いてほしいとは思えない。いや、逆に引き留めたいと思う。


 俺が相手をしてきたのは、子供ではない。もしかしたら俺が、無意識のうちに子供を避けていたからなのかもしれないが。

 どちらにせよ、俺はこのキリアなる少年を守らねばならない。いくら強いとはいえ、『闇の森』だの『闇の城』だのに行こうとするのは自殺行為だ。


 ふと、気づいた。自分の考えが変わってきていることに。

 最初はキリアの足手まといになるのを防ぐべく、自分を見捨てろと言った。

 だが今は違う。同行するのを拒むことで、彼の旅路を妨害しようとしている。


 黙り込んだキリアの前で、俺はずっと頭を下げ続ける。

 行くな。行くんじゃない。諦めると言ってくれ。


「んー、しょうがないな」


 その声に、俺はがばりと顔を上げた。


「あ、諦めてくれるのか?」

「違う人に頼むよ。悪かったね、マスター」

「えっ……」

「お店の再建代は、後でまたちゃんと払いにくるから。また会えればね。この街に住んでいてくれれば、すぐにこっちから見つけるよ」


 それじゃあ、また。そう言って立ち去ろうとするキリアの肩に、俺は手をかけた。


「だ、だったらパートナーは俺にしてくれ!」

「だって、僕を置き去りにできるほどの度胸はないんでしょう?」

「だからこそだ! 俺は仲間を見捨てない。それが、あ、相棒、ってもんだろう?」

「――相棒」


 舌の上で飴玉を転がすような調子で、キリアは言った。


「相棒、ね。道案内人じゃなくて、お互いに背中を預け合う仲、ってことか」

「そ、そうだ! 今の見てくれじゃあ想像しづらいだろうが、俺だって元は一流の怪物狩りだったんぞ! 森の中だって、俺にしてみりゃうちの庭みてぇなもんだ。それに、子供の相手は嫌いになれねぇし」

「……ロリコン?」

「ちっがーーーーーーーう‼」


 あーーーったく! 一体何なんだよコイツは! どういう思考回路をしていやがる⁉ 


「大人をからかうもんじゃねぇぞ、ガキ!」

「ガキ? じゃあそのガキを持て余すマスターは何者なんだい?」

「むきーーーーーーーっ‼」


 俺は頭を掻きむしった。


「ま、まあいい、俺はあんたに同行して、道案内をする。そこからは好きにしろ。これでいいな?」


 するとキリアは、にいっ、と口角を上げた。


「交渉成立だね、マスター」

 

 差し出された掌を、俺は勢いよく引っ叩くようにして握りしめた。子供らしくない、まめだらけの手だった。


         ※


 キリアの宿泊している宿は、この街では可もなく不可もなく、といったところ。

 朝夕の飯付きだが、建物自体はさして新しくはない。


 なるほど、平民や旅人はこの程度の宿を所望するのか。俺だったらとても泊まれない。こんな宿を寝床にしたが最後、怪物を無事狩ったとしても、大方宿代としてしょっぴかれる。

 

 キリアは二言三言、その宿の受付で話をし、やがて俺に手招きをして二階へといざなった。

 木製の扉を押し開ける。やや狭いが、清潔的な部屋だ。ベッドと机が一つずつ。風呂とトイレは共用だろう。


「マスター、先にお風呂、入って来てよ」

「ん?」

「今日はだいぶ身体を使ったからね。マッサージしておかないと、明日からの行動に支障が出るかもしれないんだ。それにマスター、酒臭いし」

「へいへい」


 悪かったな、酒臭くて。

 俺は持参した外泊用の道具を詰めた袋を担ぎ、部屋を出て風呂場へと向かった。

 やや広めの浴場で湯をすくい、頭から被った。今は夏場ということもあって、湯加減はぬるめ。酔い覚ましには向かないが、まあ、快適だから良しとしよう。


 それにしても――。


「行動に支障が出る、か」


 キリアの言葉である。だが、その『行動』の意味するところは何か。

 ふん、考えるまでもない。戦闘だ。明日からは『闇の森』に本格的に踏み込む予定。だからこそ、ああ見えてキリアも意外と気が立っているのかもしれない。


 俺は湯舟に浸かり、顔を拭いながら深いため息をついた。


「まさかまた狩りに出る羽目になるとはな……」


 自分でキリアに同行を申し出ておいて難だが、酔いが冷めれば冷静にもなる。

 

「これじゃあ、『彼女』との約束、破ることになっちまうなあ」


 俺は両の掌で顔を覆った。別に泣いているわけではない。ただ、自分の境遇を嘆いている節はあった。

 俺はキリアを守ってやりたい。だが、『一度しくじった』俺に、それができるだろうか?


「あ」


 そう言えば。さっきのギャング殲滅の件だが、俺もキリアも、事情聴取を受けていないことに気づいた。

 何故だろう? あんな賞金首を仕留めたというのに。

 それに、キリアはやけにあっさりと保安官から賞金を受け取っていた。


 そうだ。眼帯だ。

 あれを一瞬外してから、保安官の態度が変わった。


「あれって魔術の一種なのか……?」


 俺以外の利用者のいない浴場に、呟きが柔らかく反響する。

 ふと、俺は自分が、随分と長風呂をしていたことに気づいた。さっさと上がって、キリアにも風呂に入るよう促さねば。


 俺はざぶざぶと首から上を掌で拭い、浴場を出た。


         ※


「遅かったね、マスター」

「ああ、まあな」


 椅子に座り、こちらに背を向けているキリア。


 未だに俺は、キリアにマスター呼ばわりされている。店が壊滅した以上、マスターでも何でもないのだが。

 それとも、これはキリアなりの嫌味なのだろうか? いや、コイツは俺を認めはしても、敵対しようとは思っていないはず。

 

「その『マスター』っての、止めてくれねえか?」

「何で?」

「俺は今は文無しの厄介者だ。『マスター』ってのは、あー……。あまりにも大仰じゃねえかと思ってな」

「いいじゃん、別に。僕はもう、あなたのことは認識しちゃったんだ。『マスター』ってね」


 雇い主はお前だろうが。そう言おうと思った俺の耳朶を、かしゃり、という音が打った。


「何してるんだ、キリア?」

「ショットガンの分解掃除」


 机の上を覗き込むと、見事にバラされたショットガンの部品がずらり、と並んでいた。


「随分と几帳面なんだな」


 さっきの戦闘で見せたような、大雑把な印象が揺らぐ。自分の身体をマッサージするとも言っていたし、元来几帳面な性格なのだろうか。


「今は風呂が空いてるぞ。さっさと入ってきたらどうだ?」

「あ、そうなんだ。じゃあ、遠慮なく」


 椅子からするり、と下りたキリアは、自分の背嚢を担いですたすたと歩き、扉の向こうに消えた。


 ことんことんと、木製の床をブーツの足裏で打つ音が遠ざかる。

 俺は手を触れずに、ショットガンの部品に見入った。


「子供が持てるもんじゃねえぞ、こりゃあ」


 ああ、そうだ。俺も自分の武装を確認しなければ。

 リボルバーが一丁、短刀が三本。


 一応の動作確認をしていると、再びことんことんと音がした。近づいてくる。

 そして、ギィッ、と扉が開けられた。


「おう、随分と早い――」


 随分と早いお帰りだな、と言いかけて、俺はその場で固まった。

 そこには、黒いフードを羽織った謎の人物が立っていたのだ。背格好からして、明らかにキリアではない。

 しかし、性別までも分からないほどぼんやりとした輪郭をしている。


 まさか、俺は幻術に惑わされているのか? いずれにせよ、相手の外見に呑まれていては、死亡リスクが高まる。


「なっ、何だてめぇ!」


 俺は瞬時にリボルバーを抜き、素早く二連射。相手の胸に二発。

 それらは確実に、精確に相手の胸を穿つ――はずだった。まさか、吸い込まれてしまうとは。


「くっ!」


 コイツ、間違いなく怪物か魔術師の一種だ。

 すっ、という微かな擦過音がする。目だけ動かして見ると、相手の右手に手裏剣が握られていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る