第29話 閑話 赤と灰

 △


「本当に、申し訳ありませんでした…」


 目の前では、私を嵌めようとした犯人の御陰が頭を下げている。深々と腰を折って、全身全霊で謝っているのが雰囲気からでも伝わる。そこに今まで痕跡から感じていた狡猾さは感じられず、夏休みに見かけた時と同じ物静かな印象しか抱けない。


 鏡花の事情を知る私は事件を起こした理由を聞いている。納得もしているし鏡花の言葉もある故、そこまで大事にする気は無い。だが、目の前の無害そうな女が今までの事件を起こしたなんて、正直信じられない。

 事情を知らない姫大路には私への私怨だと伝えているが、この場で見てもやはり信じられないようだ。曰く、悪意があるようには見えないとか。実際悪意は無いどころか、彼女なりの正義感で動いていたのだろうし間違ってないのだろう。


「二人が許せないなら、退学でもなんでもするつもりです…。私はそれほどの事をしましたから…。手を出すのも、悪口も甘んじて受けます…。だから、どうか命だけは…」


「命!?そんなことしないよ、それに私はそこまで怒ってないし!勿論あの時は悲しかったけど、お陰でチサと仲良くなれたから」


 物騒な事を言う御陰に対し、大げさにジェスチャーしながら宥める姫大路。

 なるほど、休み明けから髪永井が大人しいのは、彼女の尻に敷かれているからだろう。さしずめ、私との取っ組み合いの後に恋も燃え上がって、そのまま一線でも越えたのだろう。


 事実私が赤穂を経由して協力を申し込んだ際も、髪永井は初め反発していた。しかし事情を聞き私の真剣さを理解した姫大路に何やら吹き込まれた後、おとなしく提案を呑んだのだ。あの髪永井が顔を赤らめながら。

 今日この場にも現れると思いきや姫大路に窘められてたし、上下関係ははっきりしているようだ。


「御陰さんがちゃんと謝ってる事、私にはわかってるから。勇気を持って謝りにきてくれて、もう悪い事はしないって約束してくれるなら、私はそれで十分」


「姫大路さん……ええ、必ず約束する…。もう、誰も傷つけたりしないよ…」


「うん、わかった!じゃあ、あんまり待たせるとチサが可愛く拗ねちゃうから、私はもう行くね」


 御陰の言葉に満足したのか、姫大路は軽い足取りでその場を去っていく。後に残るのは申し訳無さそうにする御陰と、釈然としない私。


「白清水さんは、やっぱり許せない…?」


「いいえ、別に気にしてないわ。元々解決に乗り出したのも鏡花との時間を確保するためだし、今回の騒動のお陰で交友関係も広がったし。そもそもその他の生徒に何言われようが眼中に無いわ。鏡花が私を信用してるなら、それだけで満足だもの」


 御陰はその言葉に肩の力を抜いて、緊張を緩めている。だが私が気にしていないのは結果だけだ。その過程には未だ不可解な所もあるし、個人的に聞きたい事もある。

 胸に手を当てて安心してる瞬間を見計らって、疑問を投げかける。


「ねぇ、なんで証拠を残したのか教えて頂戴」


 切れ長の瞳を微かに開いて。御陰は不思議そうに首を傾げる。聞こえていないのではない、何を言ってるのか理解できないといった様子だ。


「事情、知らない…?嫌がらせするのが耐えられなくなったから…」


「どうせ自白するなら他にやり様があったんじゃない?わざわざあの時間に、あんな物を用意するなんて」




 私が考えた作戦は、鏡花に教えてもらったゲーム内の私の姿を演じて、犯人を誘き出すことだった。

 変化に油断して接触してくればそれでよし。怯えて不用意な動きをすれば特定が楽になるし、共犯者が名乗り出てくるかもしれない。

 ついでに取り巻きを作る事で物理的な目と手足を増やして、あらゆる状況で見逃さないようにしていたのだが、結局見つけることは出来なかった。


 犯人に頼まれて私物を傷つけた生徒や、噂を流し始めた生徒に辿り着いても口を揃えて覚えていないと言う。正直手詰まりだった。姫大路と一芝居打つ事で被害自体は無くなりはしたが、犯人が見つからなければ解決とは言えない。


 そうして膠着している状況に起きた、突然の出来事。

 私のクラスは放課後、出し物の練習のために体育館へと移動する。その移動中に見えた、無人のクラスに出入りする人影。慌てたようなその姿を不審に思い教室に戻れば、そこには変化があった。

 何かで傷つけられた姫大路の机に置かれた、割れた鏡の破片とガラスの靴を模したストラップ。


 それは夏休みにお揃いで買ったストラップで、ガラスの靴は御陰の買ったものだった。

 不審な人影の正体は恐らく御陰。ならば鏡の破片は何の意味があるのかと考え、一つの予測が浮かんだ。


(鏡花に何かがあったのかもしれない…)


 鏡花は御陰を慕っているし、放課後は二人きりで過ごしている。もしも一連の犯人が御陰なら、追い詰められて鏡花に何か手を出すのかもしれない。

 私は急いで鏡花の無事を確認するために電話をして、あの時に繋がるわけだ。結局鏡花には何も起きていなくて、寧ろ御陰を説得して見せた。


 だが、ただ鏡花に来て欲しいだけならわざわざ私に危機感を抱かせる必要は無い。私の電話で鏡花が思い留まってしまったら、二人は話をすることすら出来ないのだから。

 これではまるで、来て欲しくなかったようではないか。鏡花の話ではそんな事は無いのだろうし、寧ろ喜んでいたと聞いている。

 ならばどうして引き止めさせようと……。


 待て、引き止めさせる?私に態と引き止めさせたのか?

 まさか、この女は…




「貴方、鏡花を試したわね……?」


 この女は、鏡花に姉と自分を天秤に掛けさせようとしたのか?


「…白清水さん、何のこと……?」


 御陰は表情を変えない。けれど、瞳の光が陰ったような気がする。何も知らないみたいに惚けているが、この女は確実に仕組んだのだ。

 私の忠告を鏡花が聞いて、それでも御陰を探しに行くのか。危険があるかもしれないのに、説得をしに来てくれるのか。自分の命をぶら下げて、鏡花の心を試したのだ。

 そんな女が鏡花に何もしなかったのだろうか。鏡花は二人で泣いただけと言っていたが、その程度でこの女が済ませるだろうか。


 もしも鏡花を傷つけるなら、私はコイツを許しはしない…!


「鏡花に何をしたの…?」


「何も、してない…」


「本当に?もしも鏡花を悲しませたり、傷つけたりなんかしてみなさい。その時は必ず、貴方に地獄を見せてあげるから」


 怒りを乗せた威圧的な言葉にも、御陰は一切動揺しない。何処までも穏やかに、まるでそよ風が吹いてるみたいに気にもせず、頭を少し下げてこの場を去ろうとする。


「失礼するね…。まだ学院祭のための本が、完成してないから…」


 ゆっくりと遠ざかる背中。その姿を睨みつけていると、不意に歩みが止まった。何事かと様子を見ていると、御陰はポツリと言葉を発した。


「…あっ、鏡花さんの唇は、小さくてとっても甘い果実みたいだよね…。ね、お姉さん…?」


 ピキリ。

 こめかみに青筋が浮かぶ。この女は、やはり鏡花に手を出したのだ。

 この泥棒猫は、鏡花の優しさにつけこんでその唇を奪ったのだ。愛しい妹の唇を。

 その思いあがった後姿を蹴りつけてやろうと思い、動き出そうとして……


「お待たせしました。お姉様帰りましょうか」


 鏡花の手が袖を引いた。反射的に鏡花に振り向くと、妹は怯えたように縮こまる。


「えっ?…ごめんなさい、待たせすぎてしまいました?」


「…ううん、なんでもないの。少し劇の練習をしていただけよ」


「あ、なるほど。いきなり怒られるのかとびっくりしました…」


 ゴメンねなんて謝りながらもう一度あの女の方を向けば、既に去ってしまったようで。

 その日は諦めて鏡花と校舎を後にするのだった。


 ▽








 ◆


 見つけてくれた見つけてくれた見つけてくれたっ!

 あの子はやっぱり運命の相手だった。私に唯一の幸せを運んでくれる、この世界に生れ落ちた天使なのだ。あの子の髪が瞳が手が匂いが唇が、私の頭を満たして溶かして仕方が無い。


 姉という大きな愛の中から、私という小さな愛を見つけてくれた。

 あの屋上に彼女の声が響いた瞬間、私の世界は色鮮やかに染まったのだ。あんなに悲しそうに見る姿が、あんなに勇ましく見詰める姿が、あんなにも愛おしそうに近付く姿が!

 今も脳裏に浮かんでは消えて、幸福という脳内麻薬でおかしくなりそう。


 甘いキスの感触が今も消えなくて、上せるほどの興奮が胸を満たしている。

 ああ、お姫様。こんなに私を幸せにして、どうしたいというのだろうか。彼女の笑顔を思い出すたびに、鼓動がとくとくと喜びの振動を伝えてくる。


 さあ、続きを書こう。私からあの子へと送る、恋文のような甘く幸せに満ちた物語の結末を。

 

 さらさらとペンが流れてゆき、物語を紡ぐ手が止まらない。私の想いを込めるように、あの子との未来に臨むように、一文字一文字を慈しむように並べていけば、あっという間に紙面は文字でいっぱいだ。完成した物語を読み返せば、その中にあの子の姿が浮かんで見えるようで、思わずうっとりと笑みを零してしまう。


ここに漸く完成したのだ。私がこの世界で見つけた幸せと、私をこの世界で見つけ出した最愛の人との、夢のような結末の予想図が。


これを見てあの子は喜ぶだろうか、悲しむだろうか、怒るだろうか。けれどどんな感情を抱こうと、きっと私を見捨てたりはしないだろう。あの時のキスが私にそれを信じさせてくれる


「愛しい…私のお姫様…。必ず幸せにしてあげるから…、どんな貴女でも、私は受け入れてあげるから」 


 お話を書き終えて、内ポケットから宝物を取り出す。

 銀色の糸が何本も入ったそのガラスケースを夕日に照らせば、七色の光が透けて見える。これは私の宝物、この二人のお城で集めた彼女の欠片。


 光を見詰める少女の姿は、美しくも酷く歪に見えたのだった。


 ◆


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