第25話 悪魔の誘い

夕方の5時を回ったころ、再びチャイムが鳴った。

「丸越の長谷川です」

営業から帰ってきたさゆりがみんなに大きな声で尋ねた。

「丸越さんが見えたけど、納品する商品はどこにあるの?」

「え?丸越さんだったら、さっき見えて商品を渡しましたけど。」

みほが答えた。

「申し訳ありませんが、今日は忙しかったんで遅くなりました」

担当の長谷川が汗を拭き答えた。

「さっき、ほかの人が見えてお渡ししましたよ」

「商品担当は私ですから。ほかの人なんていないですけど。」

長谷川は憮然として言い張った。それを聞いていた、さゆりの顔色がみるみる変わった。


「もしかして」

「みほ、110番して!」

みんな一瞬にして凍りついた。丸腰社員を装った誰かに商品を持ち逃げされたのだ。


直ちに警察が駆けつけた。全員が事情聴取され、朝からの状況が細かく尋問された。

「被害総額2億円ですね。」

「2億円!!」

「どうしよう!」

「皆、とにかく落ち着いて」

「それで、ここにいる人以外で今日納品があることを知っていた人は?」


その夜ルビは世田谷にあるマンションの一室に向かっていた。辞めたチーフデザイナーの下条を尋ねていたのだ。部屋を訪ねるが彼はいない。気になって屋上にいくと彼は酔っ払ってフェンスの近くで空をみつめている。


「下條さん、お久しぶりです。」

「ああ、お前か、すっかり一人前になって、チーフデザイナーになったそうじゃないか。」

「はい。」

「落ちぶれた俺になんか用事か?」

下条は、ルビの顔も見ないで投げやりに行った。


「今日、うちに丸越デパートを名乗る男が来て、商品を全部持っていってしまったんです。」

「なに?」

一瞬ぎょっとした下条だったが、再び元に戻って続けた。

「それで、なんで俺のところに来た」

「警察に今日納品することを知っている人はいないかって聞かれました。・・・デパートに毎年この日に納品することは社員以外で先輩しか知りません。」

「お前、俺が泥棒のカタボを担いだとでも言いたいのか」

「誰かに話したことはないですか」

「知らない、俺は知らないぞ。えらそうな口を利くようになって。だいちどこに証拠があるんだ。」


「奥さん、お気の毒でした」

「・・・」

「先輩、奥さんを大事にされてたから。看病のために会社も辞めたってお聞きしています。そんなこと、何にも知らなくて。申し訳ありません。」

「お前なんかに何がわかる」

酔っ払ってふらつく足で、屋上の手すりから空を見上げて下條は続けた。

「長い間わずらって、退職金もすっかり使い果たして。あいつは、ごめんなさい、ごめんなさいって謝ってばかりいた。何も悪いことはしていないのに。だけど、入院費も無くなって、最後はサラ金に手をだしてしまったんた。あいつさえ助かれば何とかなると思って。だが、あいつは逝ってしまった。なんの希望も無くなって、でも借金だけが残った。」

「やっぱり..下條さんだったのですね。」

「あいつら、返せないなら丸越の納品日を教えろって脅されたんだ。だけどまさか、そこまでやるとは。もう、俺なんか、死んだほうがマシだ。最低の男だからな」

山下はふらふらとフェンスに足をかけ飛び降りようとした。

「近づくな。来たら飛び降りるぞ。」

「先輩、やめてっ」

ルビは声の限りに叫んだ。


「先輩は、アルバイトに来たばかりのころ私に三面図の描き方を教えてくれました。あの時、先輩に教えてもらえなかったら、私デザイナーになんかなれなかった。先輩がいたから、私の夢を叶えてくれたんです!」

「お前は俺なんかいなくてもデザイナーになってたさ。そんなお慰めはいらないぞ。」

「先輩がいなくなって櫻子先生はため息ばかりついていました。いつも陰で支えてくれた、本当の戦友だったって。櫻子先生も先輩を頼りにしてるんです!」


「櫻子が? 学生時代、俺と櫻子はクラスメートだった。いつも大きなスケッチブックを持って元気に飛び込んでくるあいつに、おれは惹かれていたんだ。あいつはいつも負けん気で、輝いていた。病気のお母さんを抱えて生活は苦しかったらしいが、いつでも絶対負けないしぶといやつだった。男から見てもカッコいいやつだと思ったよ。だけど、あいつには好きなやつがいた。到底かなわない相手だった。だから俺は裏方に回って、ずっとあいつのことを守ってきたんだ。でもそんなことを全て知っていながら、俺を好きになってくれる女が現れた。いつも俺のことばかり考えてて、優しくて俺を包んでくれた。苦労ばっかりかけたけど、いつも俺を許してくれた。だからあいつが治らない病気だと知った時、本当に苦しかった。どんなことでもして助けてやろうと。だがどんどんひどくなって。借金ばかりがどんどん膨らんでどうしようもなくなったんだ。あいつが言った最後の言葉は「ごめんなさい、ごめんなさいって・・何も出来なかった俺のほうがずっと謝らなくちゃいけないのに。あいつのところに行って今度は俺があやまるんだ」

「そんな、それ、奥さんは喜ぶんですか!

奥さんはきっとやめて!やめて!ってさけんでるんだと思います。」

「・・」

「先輩が死んで、一番悲しむのは奥さんじゃないんですか!誰よりも、先輩を好きだったら、きっと先輩が生きて幸せになってくれることを望んでると思います」

「・・」

「先輩、私の良心は借金を苦に自殺しました。私は一人ぼっちで生き残って。

一人で生きるのは悲しくて。苦しくて。死ぬ人よりも、生きて残されるほうが辛い。先輩、死ぬほどの気持ちがあるなら、生きて、償ってください。死なないで生きて償って、櫻子先生をもう一度助けて下さい!。どんな苦しいことがあっても生きてさえいてくれれば・・・」


ルビの目からは涙が溢れた。溢れても溢れてもとどまることを知らない深い湖が瞳の奥にあるかのように。下条はルビの涙を見ると、がっくりとうな垂れながらもフェンスから手をはなし、屋上の床の上に座り込んだ。


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