第13話 邂逅②

 そして、1度くらいなら会っても大丈夫だろうと思った楓は翌日、昼休憩の間にメールの返信を書くことにした。

 ただし、綾乃の気持ちが全く分からない今、素直に予定を合わせて会う気も起きなかった。だから楓は、『今夜』と限定条件をつけたのだった。

 いつもの綾乃だと、メール自体に気付くのも遅かったはずだ。きっとすぐに返信は来ず、翌日にメールが来るのではないか。そんなことを考えていたら、楓の携帯電話が震える。

 まさか、と思って開いたメールは沓名綾乃からのものだった。


 今夜でも時間はある。だから会いたい。


 そんな内容の返信に、楓は震えた。綾乃は何を考えているのだろうかと不安にもなるが、それ以上に楓の中で会いたい気持ちが上回っていく。

 楓は綾乃と会うことに腹をくくる。

 そして、場所と時間を指定して返信を返すのだった。




 そして約束の時間になった。

 楓は約束の時間ピッタリに書店へ到着していた。店の前には既に綾乃の姿があるように見える。

 店の明かりで薄暗い中佇んでいるその影に足早に近づいていく。


「お待たせしました」

「大丈夫です。私が早くに着きすぎてしまっただけなので……」


 久々に会った綾乃の様子は以前と全く変わらない雰囲気だった。楓はこれから何を話されるのか気が気ではなかった。


「とりあえず、場所を変えましょうか?」

「そうですね」


 楓の申し出に柔らかく微笑む綾乃の表情に、この子を手放したくはないと言う思いに楓は駆られる。

 そうして2人は、以前行ったことのある公園へと足を向ける。その道中はお互い何も話さなかった。無言の中公園へと到着する。

 楓は以前と同様にベンチの埃を払うと、綾乃に座るように促した。綾乃は気恥ずかしそうにそこへ腰を下ろす。

 それを見て、楓もその横へと腰を下ろした。辺りは真っ暗で、公園の外灯だけが2人を照らしている。重苦しい沈黙を破ったのは綾乃の小さな声だった。


「呼び出したりして、ごめんなさい」


 小さく縮こまっている様子の綾乃は何かに怯えているようにも見えた。そんな綾乃を怖がらせたくないと思った楓も、咄嗟に言葉を口にする。


「こちらこそ、急に指定してしまって……ご迷惑ではなかったですか?」

「迷惑だなんて、そんなこと!」


 綾乃は慌てたように顔を上げている。

 思えば、綾乃にとっては突然の紅葉へのキャンセルになっているのだ。自分に何が起きているのか、把握できていないのは当然なのである。

 楓がそこに気付いた時、綾乃は何やらメモのようなものを取り出して暗闇の中目を凝らしている。


「どうしたんですか?」


 疑問に思って楓が声をかけると、綾乃は、あの……、と小さく呟いた。


「私たち、きっとお互いのことを、何も知らないのかもしれないって思いまして……」


 綾乃の言葉に楓もはっとする。

 言われてみれば、楓は綾乃の住んでいる場所や、それこそ彼氏の有無も知らなかったのだ。


「天野さんは、何故電話に出てはくれなかったんですか?」

「それは……」


 あまりにも直球の質問に楓は答えを窮する。なんと答えたら良いのだろうか。しかし楓にも綾乃に聞きたいことがあった。


「沓名さんは、何故彼氏がいることを黙っていたんですか?」

「彼氏……?」


 楓の質問に綾乃は目をぱちくりとさせている。本当に心当たりがないようなその様子に、楓は言いつのった。


「ショッピングモールで、イベントとサイン会があった日。あの日、沓名さんもショッピングモールに来ていましたよね?」


 言われた綾乃はゆっくりと視線を彷徨わせている。


「あの日、一緒に居た男性は沓名さんの彼氏さんではないのですか?」


 楓の言葉に綾乃はゆっくりと楓の目を見つめた。そしてはっきりした声で言い切る。


「違います」

「え?」


 今度は楓が目をぱちくりさせる番になる。


「あの日、一緒に居たのは職場の先輩と、その彼氏さんなんです」


 きっぱりと言い切る綾乃のその瞳に嘘は感じられない。


(勘違い……?)


 楓は急におかしくなってきてクツクツと喉で笑ってしまう。


「……?」


 そんな楓の様子を不思議そうに綾乃が見つめている。


「ごめんなさい。自分が、馬鹿馬鹿しくて、おかしくて……」


 楓の笑いはなかなか収まらなかった。

 なんだ。自分の早とちりだったのか。良かった。これなら、誘いをそのままにしておけば良かった。

 そんなことを考えていると、綾乃が恐る恐る声をかけてくる。


「天野さん……?」

「ごめんなさい……。僕、おかしいですよね……」


 笑っていたことで乱れた呼吸を整えながら、楓は言葉を紡ぐ。そして深呼吸をしてから、


「さっき、僕が何故電話に出なかったのかと聞いてくれましたよね?」


 楓の言葉に綾乃はこくりと頷いた。そんな綾乃を見ていると、楓は自然と笑顔になってしまう。

 そう、今なら言える気がする。


 ひどく勘違いをしていた、愚かで滑稽な自分の気持ち。そんな自分を見ても、綾乃は笑わずに聞いてくれるだろうか?

 そんなことを考えながら、楓はゆっくりと口を開いた。


「実は、怖かったんです。沓名さんには彼氏がいると思っていたので……」


 恥ずかしさから自嘲気味に笑ってしまう楓の言葉を、綾乃は真剣に笑わずに聞いている。そんな綾乃の真っ直ぐな視線を受けながら、


「本当に、僕たちはお互いのことを何も知らないんですね」


 そう言って、綾乃へと柔らかく微笑む。楓の表情を受けた綾乃は俯いてしまった。自分が取り出したメモをくしゃりと握ってしまっている。そんな綾乃の様子を不思議に思った楓が声をかける。


「沓名さん……?」

「ズルイです……」


 綾乃は俯いたまま、消え入りそうな声でぽつりと言葉を落とした。


「ズルイ?」


 楓は綾乃が何を言いたいのか分からずにオウム返しをしてしまう。

 2人の間を秋の涼やかな夜風が吹き抜けていった。


「私は、私は天野さんのことを知りたいです。この気持ちがなんなのか、自分でも分からないのですが……」


 綾乃からのその言葉を聞いた楓の胸が熱くなる。今まで沈んでいた気持ちが嘘のように心が軽くなっていくのが分かる。

 楓はこの思いのまま、賭けに出ることにした。

 すっと息を吸うと、俯いたままの綾乃を真っ直ぐに見つめて言う。


「僕は、沓名さんのことが好きです。真剣にお付き合いしたいって、そう思っています」


 真っ直ぐに向けられた言葉に、綾乃が弾かれたように顔を上げる。楓はその綾乃の目をじっと見つめながら言葉を続けた。


「もし、沓名さんも同じように思ってくれているのなら、来週のこの時間に、ここへ、来てください」


 本当はすぐにでも返事を知りたかった。しかしそれは自分勝手な感情だと楓も分かっていた。だから、1週間。

 綾乃は大きな目を更に丸くしている。そんな綾乃に、楓はゆっくりと笑顔を返す。


「今日はこの辺りで帰りましょう。もし、よろしければ、家まで送らせてください」


 楓の申し出に、綾乃は小さく頷く。

 2人は公園のベンチから立ち上がると、綾乃の家に向かって歩き出すのだった。

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