第10話 デート③

 間もなくして館内が薄暗くなり、そして真っ暗になった。

 綾乃は眼前のスクリーンに釘付けになる。


 最初に流れている予告映画の中でもいくつか気になるものがあったが、本編が始まると綾乃は飲み物を飲むのも忘れて、夢中でスクリーンに見入っていた。クライマックスのシーンでは思わず涙がこぼれてくる。

 こんなにも、映像作品が心を揺さぶられるものだとは思ってもみなかった。


 綾乃はバッグの中からハンカチを取り出すと、目元を拭う。あっという間に2時間の上映時間が終わってしまう。

 館内が明るくなって、綾乃は映画が終わったことに気付いた。


「沓名さん、大丈夫ですか?」


 隣に座っていた楓が心配そうに綾乃の顔を覗き込んでいる。


「だ、大丈夫です……」


 鼻水をすすりながら綾乃は答えた。

 原作を読んでいて話の流れは分かっていたはずなのに、映像になるとまた違った感覚になっていた。


「とりあえず、出ましょうか」


 楓に優しく言われて、綾乃はこくりと頷いた。ほとんど減っていない飲み物を持って外へと出る。綾乃は気の抜けたコーラを一気に飲み干すと、外のゴミ箱へと捨てた。


「どうでしたか? 映画」


 楓の言葉に綾乃は最初言葉が出てこなかった。ただ人並みの言葉の、


「凄かったです」


 そう答えるので精一杯だ。

 綾乃の感想を聞いた楓はチラリと時計に目をやった。綾乃もつられて目をやると、まだ時間は16時前だった。


「もしまだお時間大丈夫でしたら、お茶でもどうですか?」


 楓からの思いもよらない誘いを受けて、綾乃は心が弾むのが分かった。


「是非!」


 返す言葉は短かったものの、その声は自然と弾んでいる。

 楓は綾乃の返事を聞いて、ほっとしたように微笑んだ。


「じゃあ、移動しましょうか」


 2人は映画館から駅の方へと移動を開始する。少し涼しくなった風が2人の間を縫っていく。駅に近付くにつれて町の喧騒が戻ってくるようだった。

 そして駅近くのカフェに2人は入った。


「何、飲みますか?」


 楓の言葉に、綾乃は季節のものを使ったフローズンな飲み物を頼んだ。楓はホットのコーヒーを注文している。

 楓が飲み物を注文している間に、綾乃は財布を準備していた。会計時、楓は当たり前のように綾乃の分の料金も払おうとする。綾乃は、その手を止めた。


「ここは、私に出させてください」

「え?」


 楓は綾乃の言葉に驚いているようだ。


「誘ったのは僕ですから……」

「いいんです、私に出させてください」


 綾乃の目を見た楓はその目を丸くし、そしてふっと和らげると困ったように笑った。

 綾乃はそのすきに会計を済ませてしまう。レジで押し問答をしていても後ろの客にも迷惑だ。


「やられました」


 楓は困ったように笑いながら言う。綾乃は何だか誇らしい気持ちになる。


「映画館では出してもらいましたから、ここはって、思ったんです」


 にっこりと笑う綾乃に、楓は参ったと言う風に笑っていた。そして用意された飲み物を持って、2人は空いている席へとついた。

 一息ついてから、綾乃はまだ頭の中を巡っていた映画の感想をぽつりぽつりと話し出した。


「映画、誘ってくださって、ありがとうございました。凄く、心が揺さぶられました」


 殺陣のシーンでは結果を知っていてもハラハラしてしまった。そして最後の家族愛は本当にリアルに描かれていた。


「思い出しただけで、こう、胸が暖かくなります」


 綾乃は胸に手を当てて話す。そんな綾乃の言葉を、楓はじっくりと聞いているようだった。


「天野さんは、どんな感想でしたか?」

「僕ですか?」


 突然話を振られた楓はん~、と唸っていた。綾乃はそんな楓の顔をじっと見つめながらその言葉を待った。


「事前の評判通り、良い映画だったと思います」


 楓は綾乃の瞳を見つめながら口を開いた。


「それだけ、ですか?」


 綾乃はそれから口を閉ざしてしまった楓に拍子抜けしてしまう。すると慌てたように楓が言い募る。


「僕としては、あの、本の方が好きと言いますか……」

「そうなんですか?」


 綾乃は本の中の世界がそのままスクリーンに映し出されたように感じられていたが、映画を良く観る楓からしたら、もしかしたら違う感想があるのかもしれないと納得する。


「本、良かったですか?」


 綾乃は本を買って行った日の楓の様子を思い返しながら聞いてみた。すると楓はぱっと顔を明るくする。


「それはもう! 文章の中に引き込まれました!」


 素直な楓の感想に綾乃はにっこりとしてしまう。自分が好きだった作品がこんな風に誰かの中にも入って行くのはなんだか、凄く嬉しかった。

 そのままにこにこと2人の時間を楽しんでいた時だった。楓がそうだ、と言ってスマホを取り出した。


「もし、もしよければなんですけど、連絡先、交換しませんか?」

「いいんですか?」


 楓の言葉を聞いた綾乃はバッグの中からいそいそとスマホを取り出した。

 そして2人は連絡先を交換する。


「何かあったら、連絡してください」


 笑顔の楓に、綾乃も自然と笑顔になるのだった。

 そんな話をしていると、あっという間に時間は過ぎてしまい、辺りが暗くなってしまう。楓は夕闇迫る外を眺めながら、


「名残惜しいですが、そろそろ解散しましょうか」


 その言葉に綾乃もこくんと頷いた。

 駅の改札まで送ってもらい、綾乃は電車で自宅へと向かう。胸には自然と、先ほど連絡先を交換したスマホを握りしめていた。


 帰ったらどんな文章を送ろう。

 どんな風にお礼を伝えよう。


 そんなことを考えていたらすぐに最寄り駅へと到着する。

 そのまま歩いて家に帰りついた綾乃は、とにかく無事に帰宅したことを楓に伝えようとスマホを開く。


 そして文章を打つ。

 無事に帰りついたことと、そして今日1日のお礼をしたためたメールを送信すると、綾乃はシャワーを浴びて就寝の準備に取り掛かるのだった。

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