稔と紫苑

ここで間違いなく最悪となるであろうパターンは、彩花が捕らわれ、稔が殺され…

自分が煌牙と紫苑の手に落ちること、その三点に尽きる。


しかもそのうちの一点である、彩花が捕らわれてしまうこと。

これはまさしく今の現況であり、こうなった今ではむしろ、残りの二点の被害に遭わないことだけが、こちらの最低限の譲歩策にも当たっている。


だからこそ稔は自分を下がらせた。

これ以上悪い方へと転がるような事になれば、間違いなく自分が稔の足手纏いになるから。


「…分かったよ、父さん」


それを思い返した梁は、素直に頷くと、すぐに稔の背中全体が見える位置まで退いた。

それによって紫苑には何か思う所があったのか、黙ったまま、動きによって流れたらしい自らのその美しい銀髪に、そっと指を埋める。


それを無言のままに下までとかし梳いた時。


紫苑の持つ雰囲気が、明らかに変わった。


龍のような唸りをあげて、その足元からは凄まじい勢いで突風が舞い上がる。

これによって、梁は兄である紫苑の能力を、それこそ充分過ぎるほど知っているものの、それでもその当の紫苑が、風の超能力までをも持っているのではないかと思える程の、奇妙な錯覚を起こす。


一方の稔は、その紫苑の力の規模を見て、その瞳を鋭く細めた。



…自らの息子である紫苑。

その特徴のある、輝くような銀髪は、間違いなく自分譲り──


だが、その己が息子は、今までの経過が齎す闇に捕らわれ、これ程までに歪み、曲がっている。



「…緋藤、稔…」


不意に紫苑が、その特徴のある、低くも艶やかな声で、父親の名を呟いた。

その膨大な力によって起きた風に、かき消されそうになるその呟きは、それでも稔の耳にはしっかりと届く。


「……」


確かにその声が聞こえていただろうに、稔は無言のまま、その手に己が力の源となる、炎を纏わせる。

瞬間、風が唸るような音をあげて、その炎の規模がますます増大した。



…稔の美しい黒銀の瞳は、成長した息子を測るように…

そして、裁くように見据えている。

そこに軽視や侮蔑の感情は、まるっきり存在していない。



この時点で稔は、目の前に立ちふさがる紫苑を、息子であるという以前に、ひとりの特異な能力を持つ、超能力者であると認識していた。


それだけでも充分に厄介だというのに、更にその背後には煌牙が控えている。


元より二人とも、舐めてかかれる相手ではない。



すると、そんな稔の張り詰めた空気を意識したのか、紫苑は緩やかにその右手を上げた。


「!」


何かに気付いた稔が、反射的に後方へと地を蹴るのと、その、たった今まで稔が存在していた床から、凄まじい威力の火柱が立つのは、ほぼ同時だった。


「…、紫苑…!」


結果的に梁と並ぶ形になった稔。

その移動に際して動いた銀髪が、本来あるべき所に還元するかしないかの、その刹那のタイミングで。


稔は、ただのひと睨みでその火柱を、元々なかったもののように鎮めると、炎を纏ったままの右腕を軽く横に振り、手のひらを上へと向ける。

瞬時にそこからは、見ただけで恐怖に冷や汗が流れる程の、複数の威力ある炎が出現した。


稔は躊躇うことなく、すぐさまその腕を前方へと捻り、手のひらを紫苑に向けることで勢いをつけ、その煉獄の炎を放つ。

対して紫苑は、その強大な稔の能力を見極めたのか、一瞬にしてその手のひらに、実父の出したものと同じ炎を複数出現させると、次にはそれをすぐさま稔のそれへと向けてぶつけた。


二人の中央で衝突し、拮抗したそれは、次の瞬間…

耳をつんざくような激しい轟音と、目も眩むような眩い光と共に相殺された。


「…っ!」


その途方もない規模に、梁は身をその場に留めることもろくに叶わず、打ち付ける波に預けるかの如き感覚をその両足に覚えながらも、自らの知らぬ間に、確実に後ろへと退かされる。


一方、爆発と同時に双方が深く踏み込んだのか、その中央では、稔と紫苑が拮抗した力を見せながらも、互いの出方を探っていた。


…不意に紫苑が喉を鳴らして嘲笑う。


「さすがは我が父。かの煌牙と比べても、何ら遜色ないとは…

聞きしに勝る、大した能力だ」

「…、下らない賛辞は後にしろ」


ぴしゃりと冷酷に呟いた稔は、それと対ともなる自らの炎の力を、更に引き出す。

瞬間、吹き荒ぶにも近い刹那の風の唸りと共に、稔が先程よりも更に強力、かつ、肥大した力を作り出した。


だが、紫苑はそんな稔の能力を見て、その瞳に何故か確信めいた光を湛えた。



「…“父親”…か。この男が…」



「…?」


これを聞きつけた梁は、不思議そうに首を捻る。

そんなことは今さっき分かったことではない。

少なくとも自分より年上の紫苑は、既にそう認識していて当然だ。



…今更、何を繰り返し、何を反芻し、何を意識する必要があるのだろう。



「戯(ギ)にも近い現(ウツツ)か…

下らぬ真似をしたものだ」



言葉の最後に恐ろしい程の威圧感を込めた紫苑は、鋭利な瞳も露わに、引き続き攻勢に回った。


開いた右手を、流すように横に振る。

するとそれだけで、紫苑の扱う炎が、その能力が、更なる唸りをあげて稔を襲った。


…常人が目にすれば畏怖に凍るような、凄まじい威力の炎が、荒れ狂う龍の姿さながらに、今まさに稔を呑み込もうとした時。


…稔はふと…

初めて憐れみを含んだ瞳で、紫苑を見つめた。



「…!?」


その瞳に同時に宿る、あまりにも深い悲しみの影に…

紫苑は一瞬、その息を詰まらせた。


…稔は紫苑から放たれた、己の眼前にまで迫った攻撃を、無言のまま、空気を流すかのように凪ぎ払う。

すると、それまで炎の龍と化していた紫苑の力が、溶け込むように稔の腕に吸収された。


さすがに稔は、炎を扱うことで超能力者の間でも名高い、緋藤の直系。

いわば、炎のスペシャリストだ。


雷と炎の能力を持つ紫苑や梁と違って、稔は複数の属性を持つことはない。

“ただ一種”。だが、その一種そのものが、生半可な超能力者が持つものとは全く異なる、絶対的な能力──

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