辞めていく仲間

 焼き鳥の事件から数日が経ち、完全にほーむ新宿店は日常を取り戻していた。“暇な時はフロアを見回ること”という仕事内容も正式に消え、入店人数も少ないことを良いことに靖国通りをぼんやり眺めながら次の舞台のことを考えている時だった。

「慎君聞いた?」

 五階から降りてきた倉柳さんが頭を掻きながら尋ねてきた。

「何をですか?」

「そっかあ。まだ聞いてないんだ。実は昨日、本人から直接言われんだけど、星君が辞めるんだってさ。しかも今回のシフトで辞めさせて欲しいと」

 突然の倉柳さんの言葉に戸惑いを隠せなかった。ほーむ新宿店では半月毎にシフトが決まっているので、今回のシフトまでとなると十二月十二日が星君の最後の勤務となり、一緒に働くのも残り僅かだ。

「ええ、もしかしたらこの前の早退と何か関係あるんですか?」

「俺もそう思って訊いたんだけど、それは関係ないってさ。体調が悪いとかではなくて家庭の事情らしい」

「そうなんですね。残念ですがそれを聞いて安心しました」

「うん。新しく採用するまで他店からヘルプ回してもらうよう統括に言ってみるよ。真鍋の時は運良くオガが入ってきてくれたから助かったけど」

 倉柳さんが腕を組んで言った。

 頭に浮かんだのはハルさん、比嘉君を始めとした高田馬場店の面々。久々にシロアリ詐欺事件を思い出した。

「うちからも慎君とかに行ってもらったからね、あの時の借りは返してもらわないと」

 星くんが今月半ばで退職する。本人からそれらしい話を全く聞いていなかったので驚き以外の何物でもない。

 家庭の事情というとなんだろう?親の体調か何かだろうか?それとも何かしらのトラブル?いずれにせよこちらから訊けるものではない。

 再び見た靖国通りでは強風で街路樹が大きく揺れていた。


 翌日中番で現れた星君にさっそく昨日倉柳さんが言っていたことを尋ねてみた。

「実はそうなんですよ。ちょっと家庭の事情で」

 事情を知らなかったオガが声を上げた。

「えー星さん辞めちゃうんですか?」

「うん、突然で申し訳ないんだけど」

「寂しいなー」莉奈がいじらしい顔を見せた。

「ありがとうございます。近くに来たら顔を出したいと思います」

「絶対だよー」

「送別会もやらなきゃね。日程を決めるから後で予定をラインしてくれない?」

「はい、ありがとうございます」

 星君はタイムカードを打つと更衣室へ向かった。

「真鍋に続いて、星君も辞めるのかあ。莉奈、慎さんまで辞めたら嫌ですよ」

 莉奈がため息を付いた。

 僕はいつになったらここを辞められる日が来るのかと心の中でため息を付いた。


 倉柳さんから星君が辞めることを聞かされ、そして実際に星君がほーむ新宿店を去るまではあっという間だった。

 最終日の勤務を終えた星君は「本当にありがとうございました」と何度も頭を下げていた。

 受付時に星君とよく談笑していた常連の一人浪速も今日が最終日ということを聞きつけ「今までホンマご苦労さん」とマカロンをプレゼントしてくれた。

 浪速がいつも通りコーンポタージュとスポーツ新聞を手に三階へ降りると、大西さんが「なんでマカロン?似合わないな」と高級そうなパッケージを見つめながら言うと、川島さんが「これすごい人気のお店ので、本当に美味しいんです」と反応した。

 星君の提案で浪速からのマカロンをみんなで食べていると、さすがに倉柳さんが店長としての立場からか「近いうちに星君の送別会はやるし今日はこの辺にしましょう。遅番の皆さんもちゃんと仕事して」と僕たち中番の退店を促した。

「じゃあそろそろ今日はこの辺りで失礼します。では皆さんありがとうございました。また送別会で」と星君は再び頭を下げて僕と大西さんと共にエレベーターに乗り込んだ。

「いやー浪速がマカロンくれるとはねえ。星君、ご馳走さん」

 大西さんが軽く頭を下げた。

「僕もびっくりしました。川島さんの言う通り美味しかったですね」

「うんうん。こういう店を知ってるようなタイプに見えなかったけど、案外分からないもんだね」

 僕もカラフルな色のマカロンを思い出しながら答えた。

「素直にありがたいです。浪速さんにあったらお礼伝えといて下さい」

 大西さんが親指を立てた。

「倉柳さんの許可出たらラブ、本当に歌うつもりだったのかな?でもあいつそもそもバンドだとギターだろ、確か」大西さんがマスク越しに続ける。

「そう言われればそうですね」ラブが所属しているバンド、魔球のライブを記憶を遡ったが、コーラスはやっていたかどうかまでは思い出せなかった。

「でもラブさん歌もめちゃくちゃ上手いですよ。慎さんと大西さんいなかったですけど、前真鍋さんとかほーむのみんなでカラオケ行った時、上手くてビビりましたもん」

 星君の口からラブの知られざる歌唱力が語られた。

「へえ、それは知らんかった。てかなんで俺誘ってくれないのよ〜」

「いや大西さんも誘いましたよ、そしたらメンチカツの相方が辞める辞めないの時で断られたんですよ。慎さんもちょうど舞台で」

 久々に大西さんの解散してしまったコンビ名を聞いた。僕は誘われたが舞台の稽古があったため断ったことを覚えている。

「ああ、あの時か」大西さんも思い出したようだ。

「『歌唱力という点だけで言えば俺の方がうちのボーカルより上手い』とかなんか言ってましよ」

「言いそう〜。何歌うの、あいつ?」星君に尋ねた。

「普通にJ-POP歌ってましたよ。あんな感じだけどラブさんってけっこう場の空気読むじゃないですか?」

「確かに確かに」大西さんも頷いた。

 ラブの歌唱力の話をしているうちに改札が目の前にやってきた。何か運行トラブルがあったのか窓口には数人の列ができている。

「では星君、今日までお疲れさん。次は送別会で」

 大西さんが軽く手を上げて言った。

「はい、ありがとうございました」

 星君の言葉を最後に三人がそれぞれのホームに向かった。

 ほーむで働き始めてちょうど三年になるが、仲間が辞めていくのはいつだって寂しいものだ。とりわけ星君とはプライベートでも遊んだりした間柄だったのでそうした想いを一層強く感じる。星君や過去辞めていったスタッフ、そして自分の今後を考えると少しだけ感傷的になったので帰路は明るい音楽が聴きたい。スマホでSpotifyを立ち上げ、少し迷った挙句ちょうどいい音楽が思い付いた。先日ラブからしつこくリリースを教えられた魔球のニューミニアルバム「アーモンド」だ。一曲目を再生するとラブが弾いてるであろうクリーントーンのギターが流れてきた。ただ予想に反し一曲目からバラードだったことは誤算だった。感傷的な気分はあまり晴れぬまま埼京線のホームへと向かった。

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