紐帯考察

「あれ?ちょっといつもと違う」


「…よく気付いたね…ばれない自信があったんだけど」


 広斗くんは口に入れかけた卵焼きをじっと見つめて言った。


「あ、ごめん。なんか失礼だよね」


 いつも美味しそうな広斗くんのお弁当。いつかお弁当や手料理を振舞いたいと企んでいる私は、ついつい彼のお弁当を盗み見るくせがついていた。

 今日の卵焼きは、焦げ目が多く、大きさもまちまちだ。


「いや、全然。これさ、自分で作ったんだ。他のおかずは冷食だけどさ」


「あ、そうなんだ、なんかごめん。別にダメだしとかそんなんじゃなくて、え、と、なんでって聞いてもいい?」


 料理人の道でも目指しているのだろうか、それとも先日のバレンタインチョコを市販品で済ませてしまった私への暗黙の抗議だろうか?


「母さんが入院したんで、自分で作ったんだよ」


 大変じゃないか。


「え、どうしたの?大丈夫?容態は?ここにいてもいいの?」


「落ち着いて。命が…危ないとかって話じゃないから」


「怪我でもしたの?」


「出産準備」


 は?

 いや、別に、驚くことはないのか、おいくつなのだろうか?


「相楽さん、すごく驚いた顔してるね」広斗くんはクスクスと笑う。


 私は感情がすぐに出てしまうのだ。


「う、うん。ごめん、ちょっと混乱した」


「無理も無い。僕だって数か月前に聞かされた時は本当に驚いたんだ。17歳で弟か妹ができるんだもんな。青天の霹靂ってやつ」


「そっか、私は一人っ子だから、そっか広斗くんにきょうだいができるんだね」


「ま、半分しか血は繋がってないきょうだいなんだけどな」


 は?


「あ~、言ってなかったけど、僕の母さんは、産みの親じゃないんだ」


 困ったような広斗くんの顔は、それでもやっと言えたみたいな安堵感も感じられる、何とも言えない優しい顔だった。


●○●○


 学校帰り、勢いで広斗くんにお願いして、お母さんが入院している産院にお見舞いに行くというので同行させてもらったけど、冷静になってみるとなんでそんな行動になっているのか、自分でもよくわからない。


「言わなかった、ていうより、言えなかったって方が強いかな。なんとなく自分の中でも気持ちってやつが整理されずに散らかってるんだ」


「…別に、それは、全然。私的には広斗くんに嘘をつかれていても全然気にしないというか、騙されていてもいいというか」


「いや、そんなことしてないから」


「私としては、きっとまだ遠慮っていうか、距離感がつかめないでいるところもあってさ、これを聞いたら失礼かな?とか、疑ってるみたいで悪いなとか、今まで何人くらいの女の子に告白されたのかな?とか、聞くに聞けなかったというか」


「…凪海なみって全然僕のプライベートに踏み込んでこないから、全然興味なんて持ってないのかと心配になるんだけど…」


「でもさ、親しき仲にも礼儀ありでしょ?それに、知るってことで広斗くんの自由を制限しちゃいそうな気もしたんだよね」


「自由を制限?」


「うん。行動とか嗜好、好きな物とか知るとさ、これ好きだったよねとか、あのアニメ見た?とか、先回りして行動を提案しちゃうというか、余計な事言っちゃって結果として私の事を疎ましく思うようになっちゃうかな?と」


「…つまり、干渉すんなとか、決めつけんなとか、僕が思うと?」


「あ~、私の過剰な想像力のせいで、思った疑問をとりあえず保留にするくせがついてるということです」


「僕は凪海の質問になら、何時間でも時間を割けるよ?そりゃもちろん生活する常識の中でだけど、その内容に対し答えを出さないなんてことはしないよ?」


 知ってる。だからこそそんな真摯な彼の時間を思考を費やすほどの質問なのか?って考えてしまうんだ。


「じゃあね、さっそく踏み込んだ質問してもいい?」重要課題だ。逆に重すぎて聞きづらいんだけど、避ける選択肢は無い。


「母さんのこと、だよね?」


「はい」


 彼の横を歩きながら、聞き漏らさないように集中する。


「僕の母さんが本当の母さんじゃないって聞いたのは、中学校の入学式の日だった。自他ともに活発な少年で、新品の学生服で、わくわくが止まらないって感じだった僕に、両親が大事な話があるって言ったのは、大量のごちそうを前にして目を輝かせていた時だったよ」


「お前の本当のお母さんはお前が産まれた時に死んだ。じゃあそこにいるお母さんは誰かっていうと、本当の母の妹で、泣き続ける僕をなんとかしたかったんだって。元々、父さんのことを憧れていたということもあって、数年後に籍を入れたんだそうだ」


「僕にしてみればさ、母さんってのは今の母さんで、本当のお母さんって言われても、じゃあどうすればいいんだろうって、しかも僕を産んだ際に命を落とした訳で、僕は本当の母の命と引き換えに生まれたのかって、もう、何が何だかわからなくてさ、最初の一週間くらい学校を休んだんだよ」


「親父に言わせると、広斗は聡明だから早い方がいいだろうって中学入学のタイミングでの報告は、こういう過去があるから知っておけってくらいの気持ちだったんだと思うけど、両親はずっと知ってたわけだからその年月でいろんな整理ができたんだと思うよ?それに、きっと僕もすんなり理解してくれると思ったみたいだ」


「僕はダメだった。自分が母を殺した。慕って生きてきた母は本当の母じゃなかった。親に嘘をつかれて生きていた。こんな感情がずっとぐるぐると頭を支配してさ、ろくに食事もできず引きこもっていたんだ」


「それでも、成長過程の子供らしく、それなりに折り合いをつけることができたんだ。母の作る食事は美味しかったし、両親はいつも真剣だったし、過ぎた事は、戻らないし、よく考えたら、僕は何も悪くない」


「よく「生んでくれなんて頼んでない」っていう子供から親への言葉があるでしょ?でもさ、親だって「子供は欲しいけど中身や結果は選べない」って思ってるかも知れないよね?だから、僕が産まれることと引き換えに母は死んでしまって、そこに罪悪感も感じたけど、少なくとも僕はそんなこと望んじゃいかった。だから僕は悪くないって、無理やり納得したんだ」


「それにさ、母が死ななかったら、今の母さんは僕の母さんじゃなかった。これはとても大きな問題だった。仮定すらしたくない、だって、恥ずかしいけど、母さん以外の母さんはいらないんだ」


 区切るように話し続けた広斗くんはそこまで話して、急に電池が切れたように押し黙る。


 私はどうすればいいのだろう。

 彼に訪れた出来事は、身近でもありえる話なのだろうと思う。

 でも、私に訪れていれば、私は乗り越えられるのだろうか?

 私が知らない事言われてもな~と軽く答えるだろうか?

 彼の辛さや葛藤に、慰めや同意なんて何の意味があるのだろうか?


「…ひょっとして、きょうだいが出来る事、複雑だったりする?」


 私の問いかけは、自分でも思っていなかった内容だった。


「…複雑、か」


「ごめん、そうじゃないよね、喜ばしいことなのに、なんだろう、ごめん…」


「凪海はなんでそう思った?」彼は優しく聞いてくる。


「…お母さんが、自分だけのお母さんじゃ無くなっちゃうって思ったら、寂しくなった、から」


 もし、私に今きょうだいができたと聞いたら、きっと恥ずかしさを感じるくらいは大人の知識があるつもりだ。でも、母に対する依存度は少なくなっている分、独占欲を刺激されるような苛立ちは感じはしないだろう。


 でも、広斗くんはどうだろう。

 彼の中で折り合いをつけた親子関係の中に新しい要素が加わる。

 お母さんの実子という現実は、彼の疎外感に繋がると、そんな気がした。


「…なるほど、そうか、血のつながりっていうこだわりか…」


 広斗くんは腑に落ちたって表情をして、何度か頷いた。


「ありがとう凪海、自分の気持ちが理解できた」と笑った。


●○●○


 まるで高級ホテルのような産院のロビーで、高級そうなソファーにちょこんと腰掛けながら広斗くんのお母さんを待つ。

 わざわざ身重の妊婦さんに出向いてもらうという現実に、なんとも言えない申し訳なさが湧く。


「緊張してる?」


 広斗くんは、さっきからずっとリラックスして、ときおり私に現実を知らしめてくる。思えば彼のお母さんに対面するのは初めてなのだ。

 彼がお見舞いに行くと言うので同行を申し出たのは、広斗くんを一人にしたくなかったからで、お母さんに会う可能性なんて、想像から抜け落ちていたんだ。


「手土産も無いし、制服だし、挨拶の練習もしてないし」


「病人って訳じゃないから大丈夫だよ。出産予定日までまだあるけど、その、なんだ、初産だから念の為なんだって」


 そっか、妊娠がわかるまでは、広斗くんにとってはマリア様と同じってことか。などと失礼な妄想も浮かぶ。


「お待たせ」


 涼やかな声と共に、パジャマ姿の綺麗な女性が現れた。

 実は近づいている人は視界に入っていたけど、いやだって、二十代くらいにしか見えない。


「体調はどう?あ、こちら、僕の交際相手の相楽凪海さん」


「は、初めまして!私、相楽凪海と申します。よろしくお願いします」


「ご丁寧にどうもね。それにこんな格好でごめんなさいね。広斗の母の黒田祥子って言います。あ、どうぞ座って」


 私もお母さんも頭を下げ合った後ソファーに座る。

 それにしても、広斗くんに36歳と聞いていたけど、お姉さんでも通じるんじゃ?


「広ちゃんの噂の彼女さんに会えて良かったわ~もう全然紹介してくれないんだもの」


「言っただろ?ウチの環境を話してからって」


「という事は、広斗から聞いたのかな?」


 お母さんは柔らかな笑みを私に向ける。


「あ、はい。私が無理を言って聞いてしまいました」


「あら、僕がちゃんと話す!なんて意気込んでたのに」


「なかなか機会がなかったんだ」


 バツの悪そうな広斗くんの表情は新鮮だ。

 それから、お母さんを中心にした雑談は、出産までのスケジュールや、どんな懸念があるかといったお母さんの状況と、広斗くんとお父さんの生活に対する心配といった内容から始まった。

 その後、私たちの学校生活の話題が一番多く、広斗くんや私への気遣いが随所に感じられ、ああ、子供を見守るお母さんの視点なんだな、と思った。

 

「凪海ちゃん、うちは色々あるけど、広斗は広斗だからね。凪海ちゃんはそこを一番に考えてね」


 面会を終えて帰るタイミングでお母さんはそう言って微笑んだ。

 家庭環境ってのは、周りが思う以上に、当事者は気にするのだろうかと思うと同時に、少しだけ疎外感を感じてしまった。


●○●○


「私は広斗くんのお母さんが好き。産んでくれたお母さんにも感謝してる。お父さんだって、会った事ないけど、広斗くんの言葉だけだけど、立派な人ってわかるし、えっと、つまり、それじゃダメ?」


 産院からの帰り道、私たちはなんとなく沈黙が続いていて、私はそれを終わりにしたけど、なんだか子供っぽい言い方になってしまった。


「凪海がそういった事を気にしないでいてくれる、そう言ってくれるって事は本当に嬉しいし、その、ありがとう」


「…でも、広斗くんの中に、やっぱり整理できてない領域があるんだよね?」


「そうだね。今日まではさ、ウチの家庭環境を凪海に伝えてないことがモヤモヤだと思ってたんだけど、どうやら他にもあったみたい」


「…ひょっとして、血のつながり?」


「そうみたい。僕にとって母さんは母さんだ。それは揺るぎないんだけど、僕と母さんの血はつながってないのに、生まれてくる弟か妹は、正真正銘、母さんの子供なんだなって、その事実が、思った以上に重いみたい」


「…でも」


「うん。仕方がないことなんだ。事実なんだから。僕が折り合いをつけなくちゃいけないだけなんだけど、かといって、母さんを母さんじゃないって思えるわけもなく、いや、ごめん。情けない話だよな」


「全然そんなことない。逆にそこを悩む広斗くんを嬉しく思う」


「…僕が凪海を好きになった理由がわかるよ」…頬を緩めるな不謹慎だぞ私!


「わ、私はいいから…えっと、それより私にできること、ある?」


「時間が解決してくれるまで待つかな?家族って関係自体は、何も変わらないんだからさ」


 家族関係のいいところだよね。どんなにケンカしても、何があっても、その関係性は変わらない、変えることができない。友人や恋人っていう関係とは一線を画す。


「私も、何があっても揺るがない関係がほしいな…」無意識にぽつりと出た言葉は小さく、彼に聞こえることはなかった。


●○●○


 広斗くんのお母さんが無事に出産を終え、退院したので遊びにおいでと誘われたのは、四月に入った春休み、桜も咲き終わる頃だった。


 初めてのお父さんとの挨拶も無事に済ませ、誠実そうなそれでいて頑固そうな印象を抱いたが、仕事があると言って出かける前に愛娘をあやしていた表情は、少年のような笑顔だった。

 そう、広斗くんには妹が出来た。


紐帯ちゅうたいってわかる?人と人の強い繋がりを意味する言葉で、使いたかったんだけど、ヒモとか帯じゃね…なので、結月って名前にしたのよ。お兄ちゃんが、広斗、由来はね、宇宙のような広大な人になってほしいって、お姉ちゃん…もう一人のお母さんが名付けたの。でね、あの子のことだから、きっと飛んでっちゃうでしょ?広い宇宙に。だから月に結んでおこうと思って」


 お母さんは、私にこっそりそう言った。

 もちろん半分は冗談なんだろうけど、お母さんなりに広斗くんとの繋がりを感じていたい気持ちが伝わった。


 私は、結月ちゃんを抱かせてもらった。

 怖かったけど、なんとなくこれが私の役割だと強く思えた。


「上手よ。広ちゃんなんか、怖がって触れもしないのよ」


 ちょうど飲み物を運んできた広斗くんが反応する。


「仕方ないだろ?だって、壊れそうなんだ…」


 彼は自分の心に折り合いがついたのだろうか。

 そんな風に思っていると、私の指が暖かいものに包まれる。

 結月ちゃんが私の指を握っている。


「産まれたての赤ちゃんの反応ね。原始反射とか把握反射だったかな?」


 お母さんが教えてくれる。

 と、同時に私の本能が教えてくれる。


「広斗くん、こっち来て」


 結月ちゃんが驚かないように、小さな声だけど有無を言わせない声。私にしてみれば本当に珍しい行動だった。

 

 そんな私に何かを感じたのか、広斗くんは素直に近づく。


「指、出して」


 私の指と入れ替わるように、彼は人差し指を妹に差し出す。恐る恐る、と。

 私が抱いている、結月ちゃんの小さな五指に包まれた、広斗くんの大きな人差し指は、本人と共にとても居心地が悪そうだった。


「私、他人かも知れないけど、結月ちゃんが好きだよ」可愛いは正義!という冗談はともかく、彼にはこれで伝わるだろうなと思う。


 気付けば、不思議そうな顔で結月ちゃんを見つめる広斗くん。


「…ああ、そうだな…血だのなんだのって、僕はバカか…」


 しばらくじっとしていた広斗くんはそんな風に呟いて、私を見る。

 そこには初めて見る、泣き笑いの表情が浮かんでいた。

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