第5章「爆ぜる闘志」

第15話 襲撃

二人が黒木組の管轄下のホテルに泊まってから三日が経過しようとしていた。

時刻は夕暮れ時。 指名手配される前に見ていたアニメの放送が終わって、宅配のピザも食べ終えた頃。


アリスに今後の行く末を決定付ける作戦の決行が明日ということを知らせなくてはならない。


「なぁ、アリス」


アリスも覚悟はできているだろうというのに、酷く緊張してしまって、適切に伝える言葉が思い浮かばない。


「なんですか?」


アリスは平生の調子で、ベッドの端から顔を向けた。


「そのだな……明日は、大事な作戦の日……なんだ。 俺らの運命が決まる大切な日なんだ」


違う、伝えたいことは、そういうことじゃない。

蓮の頭の中にある抽象的な感情が具体性を持てず、脳内を渦巻いている。


アリスは黙して、真面目な目線を蓮に向けている。


「だから、精一杯頑張ろう。 そして、俺に命を預けてくれ、結果は必ず残す」


「はい! 頑張りましょう」


アリスは自分の運命を決める戦いだというのに、至って平生の調子で受け止めた。 蓮はそんな彼女に憧憬とも、恐怖ともつかない感情を覚える。 しかし、その感情をなんと呼称していいものか分からない。


結局、蓮は本当は何を伝えたかったのか、分からないままに話を切り上げることとなった。



翌日の早朝、二人は槇原と他の黒木組の人間二名の計三人に先導されて、W.O.Uの計画を阻止せんと秋葉原駅前まで向かう。 早朝は秋葉原といえども閑散としていて、蓮がハンター業を始める前に住んでいた地方の実家付近を思い出させた。


戦いが終わったら、地元に戻ってアリスと二人で暮らそう。 蓮はこれから運命が決まるというのに、どこか愚鈍な様子であった。


閑散とした商店街を抜けて、駅前に続く裏道を通っていく。 蓮は追われる身なので、目立たない、監視カメラに映らない道を通らせようという、黒木の心遣いだろう。 蓮は心の中で黒木に感謝をする。


あと駅まで目と鼻の先というところで、かつという靴音。 蓮とアリスが警戒して構える動作を取ると、ボディーガードは二人の前に立ち、守りの姿勢を取る。


つかつか、と靴音が鳴るが、人影は見えない。


刹那、ひゅんと上から激しく空気を裂く音。


まさか、蓮は反射的に上を見上げると、そこには黒いスーツ姿の黒髪の男。

なんということだビルの屋上から路地裏に落下しようとしている。 普通に考えたら自殺者が妥当だが、蓮の頭にはもう一つ、妥当な可能性があった。


襲撃者━━自分を追跡するW.O.Uの人間……


ドンという激しいコンクリート地面の破砕音で蓮の思考は遮られる。


そして、戦慄した。


コンクリートの砂塵の中から、無傷でスーツの男が蓮を睥睨しているのが見える。 一歩でも動けば、命はないとばかりに。


「蓮さん! 後ろに下がっててください!」


槇原も目の前の男の生存に気付いたのか、そう叫ぶとホルスターに差していた拳銃を抜き取り、構える。


かちゃかちゃと銃を射撃可能にする音がする━━刹那、槇原の持っていた拳銃のバレルが大きく反れ、彼が「な━━」と声をあげると、彼は''壁に沈み込んでしまった''。


白目を剥き、血の混じった泡を吹いており、意識の有無はおろか生命すら危うい。


「らぁ━━!!」


スキンヘッドの男、半田が恐怖を押し殺す蛮声をあげると、スーツの男に肉薄━━次の瞬間、半田の首から上がパァンという破砕音を立てて、血飛沫を撒き散らして消滅する。 男は右手首をほんの少し、動かす動作を取っただけだというのに。


蓮は逃亡が頭を過ぎるが、これ以上、自分の戦いに黒木組の人間達を巻き込むわけにはいかないと、アリスと共に前に出る。


駆けながら、黒木組の事務所で手に入れた性質持ちの拳銃を構えると、男に向かって乱射する。


と━━男は目を見開き、全身に黒い瘴気を纏わせると、全弾命中したにも関わらず血を一滴も垂らさない。 先端が凹んだ銃弾が地面にぱらぱらと落ちていく。


これは……蓮の頭に電撃が走る。 これは、どこからどう見ても、悪魔の攻撃・防御の手段である生命力による「武装化」。


蓮の中で恐怖、退避の信号を送っている脳内に疑問符が何重にも重なる。 この男は一体……?


銃弾が切れ、生命力が銃弾に転換、リロードされんとするや否や、男が右手に拳を形作ると、目にも止まらぬ速度で迫ってきて━━体が浮く。


「は━━━━ぁ」


かたという着地音でようやく状況の理解に追いつく。

アリスの「紫電一閃」の応用技だ。 間一髪で回避することができた。


男の後方でアリスは逃走するでもなく止まる。

これ以上、黒木組の人間に被害を出すわけにはいかない。 考えていることはアリスも蓮も同じだった。


「あんたらは仲間を連れて黒木さんにこの状況を伝えに行け!」


リュックサックから黒艶の日本刀を取り出し、構えると蓮は黒木組の人間達に叫ぶ。


「は、はいぃ!」


男達は答えると蜘蛛の子を散らすように退散━━しかし男はそれを許さなかった。


狭い路地裏に身を削るような、激しい風が吹き荒ぶ。


いつの間にか男達の前に移動していた男は静止の予備動作を取ると、手刀を作った両手で激しい曲線を何重にも描く動作を取る、と━━男達は一人残らず、体のありとあらゆるところを切断されて肉塊へと変えられた。 ある者は首と四肢を切り離され、またある者は十余りに解体され━━


蓮の思考回路が灼熱に当てられる。


「━━てめぇぇええ!!」


日本刀を男に向かって勢いよく振り下ろす━━━━と、男は宙で一回転して大きく後退した。 日本刀でのダメージは致命傷に値すると判断した様子。


蓮は男に斬撃が効果的であると踏むと、駆け、灼熱の感情の成すままに大きく踏み込み大きな斬撃を加えんとする。


しかし━━━━


男は蓮の斬撃を容易に避けると、横に移動。

右手に生命力を集中させ、黒艶の刀身の樋(ひ)の部分を裏拳で殴打、粉々に破壊した。


「な━━━━」


砕け散った刀身の欠片が蓮の頬を掠め取っていく。


「早見 蓮、上から警戒するように言われていたが、この程度か」


言って、男は間髪入れずに拳を形作った右手を蓮の腹部に目掛けて伸ばす。

あまりにも早計だった……! 遅すぎる後悔をした蓮は思わず目を瞑る。


その刹那、ばちと焚き火が爆ぜるような音が路地裏に響く。


恐る恐る目を開けると、男の拳と蓮の腹の間にアリスが挟まっていた。 「紫電一閃」の応用で咄嗟に移動、身代わりになったのだろう。


こふっと乾咳をするような音を立てて、血を吐く。 地面に喀血で日の丸ができる。


「アリス!」


喀血をするということは、臓器に損傷があったということだろう。 十分、致命傷に成りうる。


早々に片付けて、早く血を与えなければ……

蓮は苦痛に呻き声をあげるアリスを見て、自分の浅慮さを憎む。


地面に膝から崩れ落ちそうになっていたアリスを両手で掴んで大きく後退、男と距離を取る。


「大丈夫か?」


蓮はアリスを後ろにやると、心配の声をかけた。


「なんとか……気をつけてください、来ます……」


その言葉を合図にしたように男は丹田に力を込め、地面を大きく踏み込むと、両手に黒い瘴気を纏わせ、二人に向かって駆ける。


「公安ハンター第一課隊長「宮坂 一郎」参る━━」


三人だけになった血痕だらけの路地裏に宮坂と言った男の寂寥なる声が響く。

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