愛しきリーアンジェに捧ぐ

志稀

第1話

 吊り下げられたスポットライトは、太陽よりも眩しく見えた。自分だけの光。この身のみを照らす、最高の光。

 端から端までよく見える程度の舞台だが、それでも広大な大地のように感じた。ありとあらゆる万物が一気に集まり、取り囲む。そんな雄大な気持ちにさせてくれる。

 舞台上は小さな世界だ。だが大きな世界でもある。中心に立った自分は、世界で唯一生きている命。そして太陽よりも眩しい光に愛された命。

 音楽が鳴る。体の奥底にまで響く重低音がテンポを刻む。始まりの合図。命が騒ぎ出す瞬間。世界の外側で、無数の歓声が飛び交っていく。

 動け。

 舞え。

 頭が叫ぶように命ずるよりも先に体が動く。アップテンポの音に合わせて足がステップを踏む。踵を浮かし、つま先で地面を打ち付け、軽やかに。それに合わせて手も宙を舞い、一つ一つ、体を踊りに合わせていく。

 歓声が響く。言葉にならない声が聞こえる。全てが集まって舞台の上で回りだす。この声達も、響くリズムと一体化するのだ。

 眩しい光が照らす。輝かしい大地の上でステップを踏み、笑い、仄かに汗を滲ませつつも決してその動きを止めない。

 リズムに合わせて腰を揺らし、捻らせ、時に軽快に飛び跳ねる。激しく腕を振るっては形を作り、体を床に打ち付けて足を高く突き上げる。テンポに合わせたその動きは、新たな歓声を呼ぶ。

 手足の先までこの舞台で踊ることを楽しんでいた。腕を揺らし、足でステップを踏み、頭を軽く振って体全体で表現する。

 心が叫んでいた。この一つ一つの時間が最高で、歓声を上げた一人一人の顔が最高で、永遠に続いてしまえばいいとさえ思ってしまう。

 この小さくて大きな世界が唯一だった。ここで自分は呼吸をして、初めて生きていると実感できる。世界の外で歓声を上げる人たちもみんな、この場所で息づいているのだ。

 音楽のボリュームが上がる。テンポが速くなる。置いていかれるものかとそのステップを止めることなく。

 笑って、

 叫んで、

 舞台も観客席を巻き込んだ大きな世界を築き上げていく。熱い。熱い。これほど心地良い熱気があるものか。

 あぁこのまま、光の向こうへ、熱の彼方へ……。

 

 ◇◆

 

 三杯目のシャンディガフはもうすぐ空っぽになる。もう炭酸が抜けているそれは全く美味しくない。早く新しいものが飲みたい。

 暗い照明が漂う半地下のバーでは下品で楽しげな笑い声が響いていた。テーブル席を見れば、このバーの歌姫が上機嫌に酔った客に酌をして回っている。奥ではダーツに興じる若者が数名。下卑た笑い方をしているが、その表情はやはり楽しそう。

 カウンターには自分と、端っこに一人の男がいるのみ。ここだけしんと静まり返っていた。

 アルコールを体内に摂取しながら、ロッシャは数ヶ月前のことを思い返す。ほんの数ヶ月、四ヶ月と少しだったか? 冬真っ只中のことだった。舞台の上に立って、アップテンポの曲に合わせてハウスダンスを踊った。大勢の観客が歓声を上げ、ロッシャの踊りに魅了された。曲を流したDJも、劇場のスタッフも、共に参加して盛り上げたダンサーの仲間達もみんなあの世界を楽しんだのだ。

 ダンサーとして知名度が上がり、人気も得た。そう、その世界こそがロッシャの全てだった。

 熱い熱い舞台を終えた三日後だった。道を歩いていたロッシャは、衝撃的な光景を見た。横断歩道のない道路を横切る子供。それに迫ってくる乗用車。

 運転手は慌ててブレーキを踏んでいるが、間に合いそうにない。子供は迫りくる車に恐れをなしてその場に立ち尽くしてしまった。

 誰もが絶望の悲鳴を上げた。

 そんな中、ロッシャは衝動的に駆け出した。道路へ飛び出し、立ち尽くしている子供へと向かったのだ。車が迫る、迫る。

 抱き締めて走り切るには間に合わない。かと言って抱き締めて立ち尽くしても二人揃って撥ねられてしまう。瞬時に理解したロッシャは、子供を突き飛ばすという選択をした。

 子供を突き飛ばし、車の当たる範囲から離した。と同時に、ブレーキをかけた車がロッシャへ……。


「歩行には支障がないんだって?」


 洗ったばかりのグラスを拭いていたマスターがふと声をかける。左腕に彫ったタトゥーをこれみよがしに見せつける、体躯の大きな男だった。腕っぷしもいいらしく、場末のバーであるここの治安が保たれている理由も頷ける。


「あぁ歩くのはな。だが走るのは難しいし、足だって十分にあがらねえ。……早い話が、ダンサーとしては終わったんだ」


 車に撥ねられ、左足を負傷したロッシャ。懸命なリハビリをしたものの、後遺障害が起こってしまった。結果として走ることはままならず、足も上げることができず、激しい運動など以ての外となった。

 杖がなくとも歩くことはできるが、それでも歩行速度は下がり、長時間歩くと足が疲弊する。結局歩行補助の杖が欠かせない。

 事故を心配し、誰もが憐れむような声をかけてくれたが、現実は非情なもの。踊れなくなったロッシャは華やかな舞台から退場せざるを得なくなった。自分だけを照らしてくれた光も、小さくて大きな世界も、もういない。

 興行主の遠回しな勧告で、もう踊りの世界に居場所がないことを知った。スタッフとして働いてみてはどうかと言われたが、一旦は断った。今の心持ちで、他のダンサーを裏で支える自信がなかったから。

 結果、こうして何度もこのバーに足を運んでは酒を飲む日々が続いていた。


「子供を助けたこと、後悔しているか?」

「それはしてねえ。悪いのは変な当たり方をした俺自身だ。もっと綺麗に轢かれてたら、こんなことにはならなかったのにな」

「綺麗な轢かれ方ってなんだよ」


 からからと笑うマスターをよそに、ロッシャは溜息をつく。

 助けた子供は、ロッシャに突き飛ばされたことによる擦り傷を負っただけだった。一度も車に触れることはなかったので、ロッシャの判断は間違っていなかったのだろう。

 子供の親に散々謝られた。聞き飽きるくらいに。治療費も多めに渡された。保険で賄えたのに余りがでてしまった。そのおかげで、職についていなくてもまだ生活ができているのだが。

 しかし仕事がなくなったことよりも、踊れなくなったことが何よりも辛かった。夢だったのだ、ダンサーになることは。その夢が叶い、幸せの絶頂だったのに。


「もう俺は、舞台に立てねぇんだろうな」

「……」

「舞台に上がるためにこの街に来たのに、いる意味を見失っちまったな。実家に帰るのも一つの手か……」


 残ったシャンディガフを飲み干し、もう一杯要求しようと、マスターにグラスを差し出した。


「いや、舞台に上がることはできるよ」


 ふと、マスターではない別の声が聞こえ、ロッシャは振り返る。いつの間にかすぐ側に一人の男が立っていた。

 波打った長く美しい髪を持つ、細身の男だった。ロッシャより年上の壮年のようだが、その顔立ちは整っている。

 俳優と言われても違和感がない。いや、しなやかな手足はモデルと言っても相違なかった。

 あれ、この男はさっきまで、カウンターの奥に座っていなかったか? こちらの声が聞こえていたのだろうか。


「ダンサーとして舞台に立つことは難しいかも知れないが、それ以外の方法で舞台に立つことができる。君はまだ、終わってはいないよ」

「何だよ、あんた……」


 見ず知らずの男にそんなことを言われ、はいそうですかと頷ける筈もなく。食ってかかりたくなったが、その場から動けなかった。

 足の具合が悪いからではない。ただ、彼の目がとても鋭く、そして柔らかくもあったから。

 その眼力に圧倒された。


「歌はどうだい?」

「歌?」

「足が動かなくとも、声を出せるのであれば歌うことができる。歌手として舞台に上がるのはどうだろうか」

「あんた、何言ってんだ?」


 バーの酔っ払いが戯言を並べているのかと、ロッシャは困惑した。頭の整理がうまくつかない。


「どうしたラターリオ。世捨て人のお前がそんなことを言うなんて」


 マスターが男に声をかける。どうやら知り合いのようだ。頻繁にこの店に通っているのか?

 いや、待て。ロッシャはマスターの言葉に気付く。マスターと男の顔を交互に見て、目を見開いた。


「ら、ラターリオ……?」


 聞き間違いか? いや聞き間違いじゃない。そんな特徴的な名前を、誤る筈が。


「あんた、ラターリオ? ラターリオ・アルテ……?」

「あぁそうだ。君みたいな若い子でも知っているんだね」


 男は、いやラターリオは驚くロッシャをよそににこやかに微笑んだ。そして隣の椅子に腰掛ける。

 その目は、酔った目でも何でもなかった。


「ロッシャと言ったね。僕の作った歌を歌ってくれないか?」


 何を言っているのか分からなかった。今この状況が現実とは思えなかった。

 ラターリオ・アルテ。今から二十年前、この街、いや国中の人々を魅了した伝説的な歌手が、目の前にいるのだから。

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