第13話 ソルト

 心のどこかで思っていた。


 この子は、果たして幸せになれるのだろうか。


 周りの目を気にする子。他人を優先する子。自分を大切にしない子。


 甘やかしたい大人に甘え、子供嫌いの大人には必要以上に近づかない。


 子供らしくない子供ではなく、自分がない子供。


 愛嬌振りまいて、いっつもニコニコしていて、騒がないし泣かないし、喧嘩もしない。


 とってもいい子。とってもいい子。


 僕から見たら。


 可愛らしい子ではなく、可哀想な子。


 この子は、果たして幸せになれるのだろうか。


 誰かが面倒見ないといけないんじゃないか。


 じゃないと、壊れちゃうんじゃないのか。






 やはりというか何というか、愛奈甘は僕を迎えに来たり、通学路で待ち伏せをすることは無かった。


 数日前ならありがたいと思うはずの静寂を、今だけは忌々しく思う。


 今日の天気は曇りのち雨。雪にはならないらしい。


 紗藤家に寄ったものの、愛奈甘はすでに登校したようで、返事は無かった。


 静かなのが逆に気持ち悪くなり、蓋をするようにイヤホン付けて、いつもより大きな音量で聴きながら歩いていると、


『バシッ』


と、肩を叩かれた。


 イヤホンのせいで足音が聞こえなかった。慌てて振り返ると、そこには……。


「よっ!音漏れすごいぞ」

「……………………直か」

「残念そうに言うなよなー………」

「悪りぃ。愛奈甘だと思った」


 残念ながら姪ではなかった。


 イヤホンの音を下げる。


「えっ?まだ喧嘩してんの!?」

「……………まぁな」

「記録更新じゃん」

「………何の?」

「愛奈甘ちゃんが佑暉から離れた日数記録」


 記録更新できて、嬉しいようなそうでないような。


 兄離れというか伯父離れは、個人的にとても嬉しいことではあるのだが、どう考えても良くない離れ方だ。


「にしても珍しいな、こんなに長引く喧嘩するなんて。マジに何したんだ佑暉」

「黙秘権を主張します」

「ノリ悪いなぁ」


 「実は夜這いされて怒鳴った」なんて言ったらお前、クラスに限らず学校全体に言いふらすだろうが。


「ちょっと色々あってね」

「その色々がちょっとじゃねぇから聞いてんだよ。溜め込んでねぇでさっさと吐け!」

「昨日相談に乗ってもらったからいいよ」

「誰に?」

「姉貴」


 ひと段落したら、改めて礼を言わないといけないな。愚痴聞き係でもしますかね。


「あー、お姉さん帰ってきてたんだ」

「一昨日な」

「じゃあリビングでイチャイチャ出来なかったのかー。残念だったな。でもやっぱソファよりベットの方がいいぞ?」

「何がだよ。てか何でイチャつく事が前提として話が進んでるんだよ。あと残念じゃねぇよ」


 昨日も今日も、愛奈甘と話せなかったのは残念だが。


 自分から言っといて何だが、これ以上愛奈甘の話をするのはやめよう。決心が揺らぐ。


「直さ、部活辞めてからやたら登校時間被るよな」

「そうだな。朝練無いからギリギリでも別にいいんだが、一応元キャプテンだからな。ダラけてる後輩たちに、朝から喝入れてるわけよ」

「毎朝シバいてから教室来るもんな」

「言い方」


 直はケラケラ笑う。


 彼は元サッカー部部長のエースストライカーだった。過去形なのはもちろん引退したから。


 直は勝敗に執着しているわけではないが、サッカーでは誰にも負けたくない強い意志のある選手だった。


 故に練習でも怪我をしたり、チーム内での紅白戦も全力でプレーする。


 先輩後輩問わず、タックルでもスライディングでも躊躇なくぶつかっていく姿は、狂気すら感じた。


「後輩たちどうだった?」

「全然ダメ。ありゃ今年の県大会すら行けねぇよ」

「厳しいな」

「本気のやつほとんどいないないし、それならそれでいいけどさ」


 見てて腹立つと、直は言った。


 実は入学当初、直には黒い噂があった。


 中学の頃もサッカー部に所属していた直は、先輩や後輩に圧力をかけて、数名の部員を退部に追い込んだらしい。


「大変だな部活」

「ま、そのせいで一部の後輩からは嫌われてるけどな」


 そんな事を笑顔で誇らしげに言うな。いい奴かよ。


 そんな黒い噂はあったものの、僕は信じなかった。というか、信じる信じないの話ではなく、『納得』したという話だ。


 圧力をかけたわけじゃなく、本気すぎて避けられたのだろう。強すぎて、真面目すぎて。


 それに噂を信じるか信じないかは僕の勝手だし、3年の付き合いで、そんな事をする奴ではないと肌で感じたから、噂なんてどうだっていいのだが。


「しっかしまぁ、余計なお世話やお節介って、結局は俺の自己満足だからなぁ。辞めた方がいいのかもな」


 自己満足。聞き覚えのある言葉だ。


「情けは人の為ならず、か」

「どーゆー意味?」

「……………………人に良いことすると、巡り巡っていい事あるかもなって意味」

「今日チョコ貰えたり?」

「一日前に渡す人いないだろ」

「わかんねーぞ?そう言うおバカ系女子、嫌いじゃねぇ。むしろ好き」

「あっそ」


 自己満足。


 他人を笑い物にして、踏み付ける文化が蔓延しているこの時代、勝手に満足できるのは一つの才能だと思うけどね。


「けどま、迷惑になろうと不愉快にさせようと、その人の力になるなら、した方がいいと思うぞ俺は」

「…………………………いい事言うやん」

「だろ?」


 直はわかっているのだろう。嫌われている事を。


 それでも朝練に顔を出すのは、何故か。


 その人の為。誰かの為。迷惑かもしれないけど教える。嫌われても教える。並大抵の事じゃない。


「うーん……あー………悩んでても始まんねーし、思い立ったらすぐ行動!よっしゃぁ!腹括っか!!」

「直らしいな。何に腹括ったんだ?」

「はっはっはっー。聞きたい?」

「まぁな」


 僕らの登校路では、学校に着く前にグラウンドが見える。


 直の後輩、サッカー部員達が、この寒い中ボールを蹴ってる。直は今日も顔を出すのだろうか。


 それを見ていたせいで、直が立ち止まったのに僕は気づかず、彼を数メートル置いてってしまった。


「…………………直……?」


 ポッケに手を入れ、制服をダラっと着崩し、曇り空を仰ぎ、


 直は、


「俺さぁ………」


 曇り空の下、太陽のように爽やかな顔で、


「愛奈甘ちゃんに告るわ」


 そう言った。

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