ハイウェイ・クーロン・ファンク

前野とうみん

ハイ・ロー・ゴースト・キャット①

 足を踏み入れたのは赤銅色の肌をした銀腕の女だった。アフロ・ヘアには色とりどり様々なキーボードのエンターキーが編み込まれており、分かりやすいことに彼女はエンターと呼ばれている。


 3つほどのテーブル席、ノイズ混じりの有線が古ぼけたフュージョンを流し、黒シャツの店長らしき眼鏡でちょび髭の男がカウンターに立つ、喫茶店然とした店内。「いらっしゃいませ」店長が言うのに軽く手を挙げて、エンターは革ジャンをカウンター席に掛けつつ言った。


「マスター、いつもの」


 店長が怪訝そうな顔をするのにも気を留めず、エンターはジーパンの尻ポケットから煙草を取り出した。厚い唇に加えた煙草に携帯バーナーが近づけられる。店長の視線の先、あるのはでかでかと書かれた手作りの禁煙マーク。


 次の瞬間に起こったことはシンプルだ。カウンター席においてあるコイン式の占いマシンに似たドーム状の置物が変形し、突き出されたのは銃口か――


「びゃびゃびゃびゃびゃ」


 否、ホースであった。穴から勢いよく噴射された水がエンターの顔面に直撃し、エンターは情けない声を上げる。バーナーの火は消え、それどころか上半身が逆さづりにされてプールに沈められたかのようにびしゃびしゃになった。水浸しとしか言えないその濡れ方は絶妙に調整された噴霧ノズルによるものであり、技術の粋と悪意が込められたそれを開発したのは誰か――間もなく、店内に甲高い声が響いた。


「わはははは! 一回り小さくなっとるぞアフロ!!!」


 声のする先は空席かと思われた奥のテーブル席だ。椅子の背もたれ越しにひょこりと顔を出す、幼い顔立ちの白衣の少女が高らかにゲラゲラ笑う。白衣と同じかそれよりも純白の奇麗な前髪を、外したゴーグルと共に搔き上げて、


「やっぱわっしは天才じゃあ! おうマスター、水粒子噴射型卓上消火器『ひけしくん』はこんなもんでええのか?」

「いやー、エリくん、想像以上に勢いすごいねこれ。あと店長って呼んで欲しいな。さっきは言いそびれちゃったけど」


 店長は若干引き気味でびしょぬれになったままフリーズしたエンターを見ていた。現在は状況の整理中らしく固まっているが、間もなく噴火するのは火を見るよりも明らか。数歩後ずさる店長に構わずエリが言う。


「禁煙ちゅーて書いとるのにケム吹かすアホゥはこれくらいせな分からんわ。また調子のって妙ちくりんなこと言いよって、煙でわっしの発明がイカれたらどないしてくれるんじゃ」

「ここ、喫茶店なんだけどね……」

「まぁた、あんたか……」


 エリと店長の掛け合いに、ゆらりと挟まる呻き。爆発するぞ。店長が銀色の盆で頭を隠した次の瞬間に、エンターの怒鳴り声が響いた。


「またあんたかエリィ!!!」


 叫ぶと同時、エンターの濡れていたアフロが急激に膨張し一瞬で乾く。が、その勢いでカラフルなエンターキー群が周囲に飛び散った。店長の構えた盆で、材質様々なキーの弾かれる音。エリはと言えば、エンターの怒りを煽ることに余念がないらしく、


「おうよ、禁止は禁止じゃ、天誅じゃ!」

「なにィ……」


 復活と共に激怒したエンターがずんずんとエリのもとに歩んでいく。テーブルの上に広げてあるのは料理ではなく、基盤や回路素子や観測機器や、もろもろダイナーとは全く関係なさそうなものばかり。喫茶店のテーブルとは思えない情景だった。

 唯一、言い訳のようにコーヒーが湯気を立てて端に置いてある。


「バーで煙草吸って何が悪いってのさ! こういう文化にはアタシの方が詳しいんだぞ」

「おまえの所作はいちいちクサいんじゃ旧時代映画かぶれ」

「やってみたかったんだから仕方ないじゃんか! しかもこれ煙草じゃないし! 電脳冷却用の吸熱粒子吸入器なんだけど」

「煙モンは全部禁止じゃ。ルールは守らんかい、無法者デスペラードか」

「店のルールじゃなくてあんたルールだろ! マスター、この店って禁煙じゃないよね?」

「店長です。まあ、僕もたまに吸うけどね、エリくんがいないときとか……」

「ほら見たことか! 無法者はあんたの方だ!」


 得意げなエンターと少し申し訳なさげな店長。エリが睨みつけるのは店長の方だ。


「おうマスター、一つ聞くがよ? このダイナーの機材全部メンテしたんは誰かしら、言うてみい」

「店長です。喫茶店です。エリくんだね」

「ちょび髭で黒シャツが似合うマスターみたいなカッコして料理の腕前はええのにコーヒーだけは不味マズぅて、わっしの作った『バリスタくん3号』のおかげでようやく喫茶店を名乗れとるんは誰のおかげかしら。――言うてみんかい!」

「エリくんのおかげだね。エンターくん、そういうわけなんで今この瞬間から『喫茶アウリン』は全面的に禁煙です」

「ちょっとお!? 今のたぶん法的に問題ある脅しだと思うけど!?」

「こんな街でそんな繊細な”法”がまかり通るとおもとんのか」


 そう言ってエリが店の外を指さした。


 外に広がるのは収容車両台数1000を超えるだだっ広い駐車場だ。しかし、駐車場にはほとんど車が止まっておらず、なにかの視覚的トリックかと思うほどにがらんとしている。にもかかわらず、駐車場の一角で睨み合う柄の悪いバイカー集団がいて、


「今日という今日は決着つけたるぞゴラァ!」

「スタァライト・サービスエリア・パーキング最速は俺たちクーロン・ライダーズだァ!」

「大陸中のS.A.で数々のチームを負かしてきたあたしらクリムゾン・ツインに勝てると思ってんのかい!」

「よそ者は叩き潰す! スタァライトS.A.舐めんな!」


 店内にまで聞こえる大声でまくし立て合ったかと思うと、全員がエンジンを唸らせて爆走していった。あまりに広すぎるサービスエリアの駐車場は一つのコースのように見えるようで、今日もスピード・ジャンキーたちがスリルと風を求めてやってくる。


「やっぱりあんなアホゥばっかじゃこの辺全部。……おどれも含めての」


 ぷっつんという音を、この時店長は確かに聞いたという。カウンターの下に隠れる動きはあまりに早く、後に彼は「企業間戦争でガンシップに襲われたとき以来の死の恐怖だった」と語る。明確にエリがエンターに喧嘩を売った。そしてエンターは15歳の煽りを見過ごせるほど成熟していない19歳だった。


「んだとォ、さすがにキレちまうよあたしも……。ちょっと頭の出来がいいからって調子に乗りやがって……!」

「なんじゃ、やるんか、ええぞ、かかってこんかいアホンダラ!」


 エリは立ち上がってエンターに中指を立て突きつける。


 限界だった。怒髪天を衝く。


 エンターの右腕、銀色の機械義手が6つに枝分かれするように展開し、その一つ一つに5本の指がついていた。つまり、エンターの義手は指が30本ある。ちなみに、それらの操作を処理する補助電脳の数は3つであり、彼女は「残り3つはあたしの頭だけで処理してる。だからあたしの脳ミソは他のやつらの3倍賢いんだ」とよく自慢している。


「後悔するなよ……!」


 エリと向かいあったエンターが革ジャンの内側からベルトで繋がった6つのキーボードを取り出してきて、それぞれが枝分かれした腕の前で固定される。それが彼女の”構え”だった。決闘前のガンマンのように、エリを睨みつけるエンターの視界は拡張されており、6つの仮想モニターが表示されている。


「見せてやるよ、天才プログラマー、ゼクス・エンターの実力をさ……!」

「せっかく拡張したのに物理インターフェースに依存……なんちゅーもったいない」

「甘いよ15歳、認知誤差も自動で修正するように組んである。年季の差ってヤツさ」

「それができるんなら最初から電脳内で完結させぇ!」

「この方がレスポンスいいんだよ! 研ぎ澄まされた拡張肉体の動きは思考よりはやいぜ」

「言ぅとれ」


 応じるエリはといえば、携帯型万能工具筒『萬徳まんとくん』を構えての臨戦態勢である。十徳ナイフから着想を経て作りあげられたその筒はジュース缶程度の大きさだったが、その中には軍用の圧縮機構を応用して捻じ込まれた大量の工具が眠っている。曰く、触れた全てをこれだけで解体バラ万能器オールマイト


 じりじり、二人は睨み合う。


「確かにこのバーの機械類はあんたが整備してるかも知れない……けどな、この街中の家電のOSを書いたのはあたしなんだ、どういう意味か分かるかい」

「なっ、家電のOSて、聞いとらんぞ、そないなこと。おいマスター!」

「店長です。喫茶店です。でも、OS云々の話は本当だよ。おかげで夜間のボヤは減ったし、何より朝自動で空調ついてて快適なんだよね。街のみんな喜んでたよ」

「アホゥ! こんなモンにタマァ握らせるか!?」


 エリがすごい剣幕でエンターを指さすも、店長はいまだに事の重大さに気づいていないようで、「大げさじゃない?」と困り眉のまま不安そうに二人を眺めるだけだ。鼻から上がカウンターから覗く。安全圏の位置取りだけは完璧だった。


「そういうことだエリィ! 観念しろ、始まる前からあたしの勝ちだ!」

「たわけが。おどれがコード打ち込む前に素体ハードを壊しゃええんじゃろ」

「言ってろ、ぐちゃぐちゃにしてやるよこんな店」

「上等じゃ」

「えっ、ちょっと、嘘でしょキミたち!?」


 店長の悲鳴と共に、外、遠くで爆炎が上がる。きっとさっきのバイカーが起こした事故だ。これもいつものことだ。言外に、店を震わす爆音を決闘開始の合図とするくらいには。


「往生せぇや!!!」

「くたばれクソガキが!」

「いったい何の音ですか!!!!!!!!?????????」


 ドガァン! という音が一番近く、店内にいた3人はそれが裏口のドアが勢いよく開かれる音だとはすぐに分からなかったし、事実ドアノブは破壊された。飛び込んできた4人目は給仕服を着た黒のショートカットの、くるりとした目が愛らしい少女だったが、その飛び入りを見た3人の顔は一気に曇る。


 少女はバケツとモップを手にしていて、飛び込んできた勢いそのままに、


「わわっ、おっきい炎、あれ、エリさんエンターさんまた喧嘩ですか? もう、そういうのは外でって、あ、店長! 裏の掃除終わりました!」

「サラくん、お疲れ様です、いったん落ち着きましょう」

「サラ、いったん止まれ!」

「止まらんかいサラ、おどれは並列処理マルチタスクしようとすると絶対ロクでもないことになるじゃ――」


 必死の説得空しく、きょとんとした表情で歩みを進めるサラ。時すでに遅しだ。


 芸術的ですらあった。3人の話に気を取られたサラの左足が手に持つバケツに引っ掛かり、モップを投げ出してしまったかと思うと、中に浮いたモップはサラが滑って突き上げた右足に蹴られて加速、高速で回転する。瞬間時速100km/hに達したその先端が捉えたのはサラの顔面と、エリのいたテーブルに置かれた湯気立つコーヒーカップだった。


 この時点で射線上にいたエリとエンターは覚悟を決めて目をつむったという。すごいスピードで投射された熱いコーヒーが二人に襲いかかる。それと同時に、モップのヘッドがぶち当たったサラの顔面も、コーヒーカップとは逆の方向に弾き飛ばされていた。重い金属音と共に生首が飛ぶ。


 人間は痛みを感じるまでに認知のラグがある。それは生身のエリはもちろん、半分を電脳化しているエンターにも同じことで、彼女らが頭から被ったコーヒーの熱さに悲鳴を上げるまでには、壁にぶち当たって跳ね返ったサラの生首を抱えるに足る時間差があった。


「ぎゃ゛に゛ゃ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」

「ヴぉ゛お゛お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛!!!!???」

「ごめんなさぁぁぁぁい~~~~~!!!」


 コーヒーを被った二人の叫びと生首の謝罪が爆音より遠く街中に響いた。阿鼻叫喚の三人娘からいち早く逃れた店長はその経験からすでに冷水に浸したタオルを用意し始めている。


「ドジ、というか、災害だね、あの子は……」


 無くなった頭を抱えるようにして立ち尽くすサラの身体の方を見つつ、ため息をもらすしかない店長は、苦笑いを浮かべていた。



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