我々ヒューリスティック・トートロジー

carbon13

#1 ヒューリスティック

船の甲板に立つ。風が強い。麦わら帽子を手で抑える。声をあげた。


「ああ〜」


海が一面に広がって、ただひたすらに視界を覆い尽くしていた。内陸に生きる私にはただ広いその青はあまりにも広すぎて、眺めているうちにいつのまにか自分の感覚に混乱をきたしてしまうほどであった。日本の地形は山がちで起伏に激しいというが、そのために日本人はただひたすらに広がる草原や小道というものに耐性がないのかもしれない。有り体に言えばこの景色を見て圧巻されていた。


雨が降っていた。ポツポツとみたいなオノマトペが使えるまださほど強くない雨足だ。それは海を眺めるのを中止するほどではなかった。空を見るとカモメだか海鴉だかなんだかわからない鳥が飛んでいたが、まもなくして遠くへ行ってしまい、見えなくなってしまった。


いつか練習をさせられたようにくるくる回ってステップを踏む。何回か同じ動作を繰り返すと興がのってきて、嫌だったはずの思い出が海の向こうに消えてゆく。軽く跳ねるとスカートのところがふわっとなった。


頭の中ではイェヴァの歌が流れていた。軽快な北欧の歌は夏に差し掛かる南の島行きの船で聞くような歌ではなかったが、今の気分にはぴったりとあっていた。


船の揺れが激しかった。ここに来て私は若干の船酔いによる吐き気を感じていた。海の偉大さに圧倒させられていた私は、それ以上に船酔いに苦しんでいた。一瞬、船が大きく揺れる。思わず左の方向に倒れ込んでしまう。勢いよく体を打ちつけた。腰が痛い。


「く、くそ……」


思わず汚い言葉をあげた。しまったと思って上を見上げると、そこには友人"環凪 都々"が立っていた。手を伸ばして、立つように目配せをしてくる。


「皀理、雨降ってんのに何やってんの」


「あ……ありがとう。海を見てたんだよ」


決して変なことをやったわけではない。雨だって本当に些細なものだ。


「寒くない?その格好」


「寒くない」


「いや、絶対寒い」


今の自分の格好を冷静に俯瞰してみると確かに環凪都々の言う通り、この服は海の上の特別な寒さには耐えうるような機能を持っていないように見えた。白のワンピースに麦わら帽子、間違っても太平洋のど真ん中でする格好ではない。


「この格好には理由があるんだよ」


そう、この格好は私のポリシーだ。私とて海の上が寒いことは十全に理解していた。なのに世の男性諸君が安易に想像するような「夏休みに田舎の家に帰ったら会うことのできるヒマワリ畑に立って微笑む黒髪白ワンピース美少女」みたいな格好をしてしまっているのは、私までもがその理想像の幻覚を共有してしまっているからだ。もはや元ネタがどこにあるのかわからないその概念の怪物と言えるそれは、本来ならばその憧れるような人間でない私ですらも飲み込んで、現実に存在してしまっている。


「私の自己実現に関与してる重大なね」


はっきり言ってアニメや漫画の青春が実在するというのは間違いである。それを期待するのはもはや昨今の少年期にありふれた誤謬であり、"そうやって大人になっていく"ものの一形態である。しかし私のようにそれなりに美しければ、あくまでも擬似的にそれを実現させることは決して……不可能なことではない。


それに、これから私たちが行く場所、船が取る航路の行き着く先を考えれば、あながちのそのワンピース美少女のモチーフは間違っていない。


「これは一種の積極的自己愛なんだよ。自分を完璧なものに似せて行くんだ。そうしていくうちに自分も完璧になっていく」


「別にあなたの妄想は聞き飽きたしもういいけどさ、寒そうなその格好は何とかならないの?」


「……だから寒くないんだって」


「あなたを部屋に連れてく」


目の前の少女、友人の環凪都々はそう言った。友人というのはいささか友情を少なめに見積もった表現であったか。私の親友、幼地味の環凪都々はそう言った。面倒見が良い幼地味もフィクションの一要因ではないか?それについては疑問が深まり続けている。生まれたときからそうだったんだからしょうがない。


結局のところ私たちは本当の意味でこの世界をメタ的に考えることはできない。


「何で都々は私を部屋に連れてくの?」


「あなたが寒そうだから。いや、私が寒そうだと思ってるから連れてくの」


「私と都々は感覚を別のものとして持っているのに?」


「だから言ってるでしょ。あなたが寒いと感じていなくても、私があなたの健康を危ぶんでいるから暖かい船内に連れて行くんだよ」


「んー……」


「何がわからない?私はあなたがここで何をしてたかがわからない」


「いや、別に」


「は?」


「都々がどこまで人に共感できるか考えてただけ。私はその対象なんだ」


「そりゃ幼地味だからね」


「幼地味…どれだけ同じ時間過ごしたかによるってこと?」


「多分ね」


甲板の扉はこれでもかと言うくらいそのまま船の扉のイメージを持ってきた形をしていた。本来存在するものからイメージは形成されるから、元々のものがそのイメージと同じ形をしているのは何らおかしいことではないけれど、ここまでイメージ通りなのは気味が悪かった。この感覚は時折見つける「イメージ通り」を経験した人ならば理解できるだろう。アニメみたいな青空とか──息のあった双子とかを見るとそう思う。あまりにも型にハマりすぎている。理想的すぎている。そういう気持ちの悪さ。黒髪にワンピースの私が言うべきではないと思うが。


都々は茶色に染めた明るい髪を気にしながら、船内に足を踏み入れていた。この幼地味らしい行為にも「イメージ通り」がある。恐ろしいほどに。私たちがこれまで経験した時間は寒いという感覚を共有させるのに足りるのだろうか。


船の中は寒々しい甲板の上と違って、穏やかな赤色と安堵感に満ち溢れていた。内側と外側の対比なのだろうか。


船室といってもそれはただ寝転がれる程度のスペースにしかすぎなかった。2等和室である。シャワーはついておらず、ベットもないが、上にかかる布団と枕はある。その枕はしっかりと固かった。


「お金持ちのクラスメイトはいなかったのかな」


「何?」


「いや、お金持ちのクラスメイトがいれば飛行機で来れたのにって」


「そのキャラはいないね。うちの学校は公立のそこそこ予算の足りてないとこだから」


「うーむ、私立の広大な土地を持つ学校じゃなかったのか」


「その疑問は今更だよ。広さはそこそこ、学校の敷地内で誰も迷ったりしてないし、図書室は一個しかない。完璧すぎる生徒会長もいないし、生徒同士で血みどろの争いを繰り広げてもないよ」


「駄目だね。何の個性もない」


「そうでもないよ。こうやって自由に行き先を選べる修学旅行もある。治安は良いし、成績もそこそこいいんじゃないかな」


私はその話を進めないことに決めた。


「そうだね。行き先はどこだっけ」


「それもわざわざ私が言わなければ駄目?あなたは旅行のしおりを開いてもう一度行き先を確認すればいい」


私は自分のリュックサックを棚の上から持ち出してきて小さい方の口からそれを取り出した。「修学旅行のしおり」と書いてある冊子にはこの船の行き先が小笠原諸島であることが書いてあった。


"小笠原諸島は東京都から1000km南南東に海の上を行った場所にある島々です。別名ボニン諸島とも言われます。海洋性島弧であり、島がフィリピン海プレートの沈み込みによって発生した時から、一度も日本本土と繋がったことがありません"


と、読み上げてみた。説明口調だった。私たちが小笠原諸島に行くことがわかった。


「海洋性島弧、これがキーワードだね。一度も本土と繋がってないってことがモチーフ的に重要な役割を果たしているんじゃない?」


「何言ってんの?」


「クローズドサークルだよ。登場人物を全員島の洋館でも雪の山荘でも何でもいいからクローズドされた領域に閉じ込めておいて、犯人が外部の人間だってつまらないオチを封殺するんだ」


「島には緊急用のヘリコプターがあるって」


「どうせ壊れるよ。探偵になる準備をしておかないとね」


「わからないけど…あなたの頭の中ではそういうものなの?」


「私はその流れに従うよ。決して逆らえやしないからね」



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