第6話

 フリーネイリスとマグネの婚約お披露目のパーティーの日。この日のために、すっかり良家のお嬢様らしく、甲斐甲斐しくメイドに世話をされていたエリーゼは、かなり機嫌が悪かった。


「お嬢様、良く似合っておいでですよ」


 そう見送られ馬車に乗り込み、着いたのはコート侯爵邸、フリーネイリスの屋敷だ。出迎えた今日の主役、フリーネイリスとマグネは顔を見合わせた。


「お二人とも、この度はご婚約おめでとうございます」


 そう優雅に一礼するエリーゼ。


「エリーゼ様にそう言っていただけると嬉しいです。ところで……、お一人?」


 フリーネイリスが目線だけで周囲を探る。きっとプロチウムを探しているのだろうが、いくら探しても見つかる訳ない。次にやって来る来訪者を迎えるために二人はすぐにエリーゼから離れてしまう。そのとき、マグネが小声で囁いた。


「迎えが来るまできちんと待っていないと駄目じゃないですか。きっと今頃、彼は慌てていますよ」


(……クレヌ様の事かしら? マグネ様ならクレヌ様から聞いていそうだものね)


 そう思案するエリーゼは、今日はどこからどう見ても完璧な令嬢だ。

 この日のためにと磨かれた体は、母親とマギが選び抜いたドレスで彩られた。昼間のパーティーだ。露出などないよう、華美にならぬように考え抜かれたデザイン。緑を基調にしたドレスには花を模したフリルが施され所々散らされた淡いピンクのさし色はさながら花の様。植物公爵ともよばれるアブソリュート伯爵家の令嬢を体現するような装いは、下手をすれば指を指して笑われるだろう。

 だが、この日のために丁寧にケアをされたエリーゼの金色の髪は、触れれば極上の絹、照らされればくっきり浮き上がる天使の輪。動けば鼻腔をくすぐる良い香りと共に宙をなだらかに舞う。纏っている人物がドレス以上に仕上がっているのだ。それはすれ違った使用人たちが主人のために忙しなく動く足を止めてまで振り返るほどのものだ。

 そしてそれは庭園に出ても同じだった。

 宰相家の令嬢となれば出席者も豪華だ。いつもは話をしない身分違いの貴族の子息令嬢達が一通り。そして、貴族でないにしろ、コート侯爵家が懇意にする街の有力者も招かれていた。エリーゼは形式的な挨拶をして、比較的仲の良い令嬢たちの話の輪に加わる。いつもならフリーネイリスと一緒にいるが、今日はその本人が主役だ。あと一回会えればいいだろう。

 そつなく目立たず、と、いつものように振る舞っていたつもりだが、今日のエリーゼは目立っていた。装いもさることながら、醸し出すオーラが少々違った。言うなれば、いつもより『凛』とし、強さを兼ね備えていたのだ。


 なんせ、エリーゼは今日機嫌が悪いのだ。


 そして、エリーゼには目立つ明確な理由がもう一つある。

 プロチウムの婚約者がアブソリュート伯爵の令嬢に決まったという事。

 その事実は貴族たちの耳に入っているだろう。令嬢達と話をしていても、エリーゼよりも身分の高い家の人間が暇もなくやって来るのだ。それでも、フリーネイリスが招いた客人たちは、今日の主役と一番仲の良く、王子の婚約者であるエリーゼに無理難題は言わなかった。


「エリーゼ様、今日のお召し物素敵ね」

「ありがとうございます。このような色のドレスは着ないので、正直不安でしたけど、そう言っていただけて嬉しいですわ」


 自分の機嫌が悪いことなど百も承知のエリーゼ。周囲の視線が自分に集まっていることは分かる。これではまずいと、いつものように動こうと、努めて笑顔を張り付けた。マギが言うように、『未来の王妃は私よ!』などとは間違っても口にはすまいと心に決めて。

 そう決心したエリーゼ。その耳に庭園の端で起った騒めきが聞こえた。その中心人物は、一直線にエリーゼに向かってやって来る。何かの宗教画のように、左右に割れる人混みは綺麗にエリーゼの前まで道を作った。そして、エリーゼの周囲にいた令嬢方も気配を消して距離を取った。


 周囲の反応から想像に難くない人物、フルーエルト公爵家のリチェルーレのご登場だ。


 品の良いシフォン生地が目を惹く、オートクチュールのドレス。銀色のウェーブの髪はアップにされ、華美ではないが宝石ぐ散りばめられた上等なヘアドレスで飾られている。

 場をわきまえた装いは手本とするべきものだろう。


 最も、それを着ている本人の態度が手本になるかといえば、甚だ疑問だが。


「ごきげんよう、エリーゼ様」

「リチェルーレ様、ご機嫌麗しゅうございます……」


 恭しく一礼したエリーゼは思わず頭に疑問符を浮かべてしまった。

 リチェルーレの後ろには、一歩引いて銀髪碧眼の可愛らしい男性が立っていた。いや、可愛らしいという言葉は不適切だろう。エリーゼは、プロチウムにしたときのように、優雅な動作で、カーテシーを決めこんだ。


「ディーデリウム殿下、学園以外でお会いするのは初めてですね」

「エリーゼ嬢……」


 緊張を帯びた言葉を発したのはプロチウムの二歳年下の弟。エリーゼとは貴族の子息令嬢が通う学園の同学年。勿論言葉を交わす機会などないが校舎が同じため顔などは嫌というほど把握している。少し体が弱く、よく咳き込んで医務室で休む王子は、兄とは違い庇護欲が掻き立てられる。それがこの国の第二王子のディーデリウムだ。

 今もリチェルーレの後ろで「コホン」と少し咳き込んだ。


「ディーデリウム殿下、お体の調子がお悪いのですか?」

「いえ、少し口に合わないものを飲んでしまって……。今は平気です」

「まあ、何をお飲みになったんです?」

「ハーブティーにミントが入っていて……」


 そう言って再び「コホン」と咳をする。

 そんなディーデリウムの様子を一瞥し、リチェルーレがエリーゼを「ふん」と鼻で笑った。


「プロチウム殿下はご一緒じゃないのかしら?」

「はい。本日は私一人です」

「あらそう。婚約者なのにエスコートもしてもらえないだなんて、お可哀そうなことね」

「プロチウム殿下はお忙しい方ですから」

「あら。だとしても、婚約者のエスコートくらいできるでしょう? なにもパーティーの間ずっといろとは言わないわ。少しも時間を作ってくださらないなんて、あなた、本当に婚約者なのかしら? 愛されていないのではなくて?」


 その言葉にエリーゼは黙り込む。婚約は半分くらい本当だが愛されていないのは真実だ。なんたってギブ&テイクの関係なのだから。


(それにもかかわらず、律義にエスコートできない詫びの手紙をくれたわね。やっぱり真面目だわ)


 そう、エリーゼの口元に笑みが浮かんでしまった。

 いつもならこんな貴族の中でそんな失態はしない。どれだけ心の中で別のことを考えていようとも絶対に悟らせたりはしないし、感情を漏れ出したりはしない。特に、リチェルーレに対する時は、外見上は「自分がやり込められている」という体を装うよう心がけている。そうしなければ一向にリチェルーレは満足しないのだ。

 それが分かっているにもかかわらず漏れ出てしまった笑み。それが自分でも意外だったエリーゼは、自分自身に驚いた。


「ちょっと!? 何を笑っているのよ! 貴女みたいな無礼な人間を婚約者に選ぶだなんて、プロチウム殿下の真贋を見分ける力なんて大したことないわね」


 プロチウムを見下すリチェルーレの発言。「お前こそ不敬だ」と、言ってやりたい。だが、ここにいる誰もが口を閉ざし、後ろで控える弟のディーデリウムは閉口してしまい何を言ったらいいか分からないように困惑している。

 エリーゼにとって本来なら、リチェルーレの怒りに触れることほど面倒なことはない。しおらしく怒られ、やり過ごすのが一番だ。


 だが、今日はそうはいかない。

 くどいが今日のエリーゼは機嫌が悪いのだ。


 だからこそ、いつもより凛とした態度で、そして言葉もきつくなる。


「リチェルーレ様……」


 勢いよく口から出そうになる言葉。せめてゆっくり喋ろうと、エリーゼは言葉の取捨選択に気をつけた。


「本日プロチウム殿下がいらっしゃらないのはご公務のためです」

「だから、婚約者なら頼んでエスコート――」

「私のエスコート以前に!」


 エリーゼはそう声をあげた後、「こほん」と咳払いし、「失礼」と周囲に気を配った。


「この会はコート宰相のご令嬢のフリーネイリス様と軍属魔導師のマグネ様のものです。お二人のご婚約ともなれば、国政、軍事両方の面からプロチウム殿下が招かれていて当然です。それをご公務のためにご欠席なさっているのに、エスコートを頼むだなどという場をわきまえない事を言えるはずございません」

「な……」


 リチェルーレは、ギチ、と歯を噛み締め、ただならぬ気配を醸し出し始めた。


「私を無礼だなんだと仰るのはお好きになさってください。ですが、プロチウム殿下は聡明でお優しい方、名誉を傷つける発言はおやめください。それと、この場はフリーネイリス様とマグネ様の祝福の場です。この場にそぐわないお話でしたら日を改めて伺います。いかがでしょうか、リチェルーレ様」

「このっ……!」


 リチェルーレの手が後ろにひかれた。「ああ叩かれる」と、思いはしたエリーゼだが、避けずに一発うたれて場が収まるならそれでいい。フリーネイリスとマグネには申し訳ないことをした、とお詫びの気持ちを込めて、大人しくしていようと目を閉じた。


「それはいけませんよ、リチェルーレ様」


 だが、待っても衝撃は来ず、聞いたことない男の人の声と、周囲のざわめきに薄く目を開けたエリーゼ。その目に飛び込んで来たのは、腕を掴まれているリチェルーレ。そしてリチェルーレの腕を平然と掴んでいるのは、非常に珍しい漆黒の瞳と髪を持つ、神秘的な男性だった。

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