第七章 代表決定戦が始まる

 最後のメダルレースが始まった。

「風が上がってきたね」

 スタートラインでセールをシバーさせながらマリが言う。

「はい、でもこれ、安定しないですよ」

「そうだな、実力もそうだが、どっちかと言うと風の読みが問われるレースに

なりそうだな」

 マリがこちらを見てニヤリと笑う。

「波と潮も鍵になりそうです」

 レース界面は複雑な波が立っている。

 どうやら2つの台風はさらに近づいてきているようだ。大きなうねりがスタートフラッグを掲げる主催者のテンダーを大きく揺さぶっている。


 マリがヨットメータに目を落とす。カウントが始まった。

 レーサーたちはメインシートを絞りだす。風呂桶に浮かぶアヒルみたいに上下に揺れていただけの白い船体達が意思をもって前に進みだした。

「3、2、1、ゴー」

 マリはジャストタイミングでスタートラインを切った。ライバルたちもほぼ同じだ。

 まず、向かい風のレグだ。

「いけます」

トラピーズで目いっぱい船べりから外に乗り出した。自分の全身の体重をかけ、セールを立てる。

「攻めるぞ」

 マリはさらにティラーを引き込んでゆく。

「キリ・キリリ」

 スピードが出る角度を保つために数センチ、いや、数ミリ単位でメイン

セールを絞り込む。

「風がシフトします」

 風上側の艇のセールを見ながらマリに情報を伝えた。マリは細かくラダーを調整してゆく。

 私達の古い470はすべての力を振り絞って風上に登ってゆく。

「イギリス艇タックしそうです」

「ハルたちは?」

「合わせています。タックしますか?」

「まだだ」

 くたびれたセールは最新のイギリスチームやハル達に比べると、特に上り性能が悪いのだ。マリはタックの回数を減らそうとしている。

「この風はでかい、まだ続くぞ」

 マリがまるで空気の流れが目に見えるように答え始めた。

「マリさん!」

「あと十秒でタックに入るぞ」

「はい」

「カムクリート引けるか?」

「まかせてください」

 タッキングで船の反対側に飛び移る間にスキッパーじゃなくてクルーがセールのテンションをあわせ用というのだ。一人でレーザーラディアルで戦い抜いてきたのだ。これくらいは何でもない。

「三、二、一、いくぞ」

 マリの声が風に突き刺さる。船体は急速に回転する。

 一瞬で私は船内に飛び込んでいく。マストの下を通る。船の回転に合わせて体重を動かしながらくカムクリートを調整するシートを直接根本で掴む。マリは絶妙な溜めを作る。

テンションを調整した。そしてジブシートを掴むと船の反対側に飛び出した。

 マリが船の回転を完了した。まるでずっとその角度で突っ走って来たように470はポートタックで速度を上げてゆく。


 私は逆サイドに思いっきり乗り出した。フルハイクだ。さらにセールを傾ける力に対抗して片手を外に伸ばす。まるで見えない何かを掴みにゆくようだ。 

 そしてその曲芸のような姿勢で一歩先を読み続ける。私達はこればかりひと夏練習し続けてきた。ハルたちのようなスピードが出るような船もない。彼女たちのように強風での経験もない。私達はだから、このクローズのときのバランスに磨きを掛けまくってきた。だから、私達の船のセールは競争相手より揺れがすくない。常に最大の効率で風を掴み続ける。そして、セールテンションをあわせたことで一段スピードが上がった。

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