第四章 星の光は過去の時間

「海には夜光虫がいるんだって」

学校の帰り道。ジュンが言い出した。

「夜光虫?」

「蛍みたいなもので、海にいるんだってさ、夜に光ってすごく綺麗なんだって」

「へえ、この辺にもいるのかな」

「きっといるよ」

「見に行こうよ」

「賛成」

「そうだ、ヨットで見に行かない?」

「夜に乗るの?」

「うん」

「怒られるよ」

「わかりゃしないよ、そっと出てそっと帰って来ればいいんだ」

「でも」

「夜光虫、見たくないの?」

「わかったよ」

「じゃあ、今晩十二時になったらここで待ち合わせだよ」


「マリ」

「ジュン、大丈夫だった?」

「窓から降りてきた。寝てると思ってるよ」

「うちの親はまだ仕事中だからね」

「懐中電灯持ってきたよ」

「手回しの良いやつ。私もあるよ」

「こういうことは頭が回るんだな」

「あはは、誰に似たんだろう」

 あたしたちはディンギーのトップカバーを取り除いた。マストを外した小さなディンギーの船体の中にはパドルとバケツを予め放り込んである。

「よし、いくぞ」

 ジュンがバウ(ヨットの船首部分のこと)へ回り、あたしがスタン(船尾部分)側のヘリを掴む。船体をそおっとスロープに押してゆく。ゆっくりと船台を海水にくぐらせ船体を浮かせる。

 あたしが、白いハル(ヨットの船体部分のこと)を抑えている間にジュンが船台を引き上げ、元の位置に戻す。

「押して」

ジュンが乗り込みパドルを握る。あたしは船体を海に向かって押しやり自分も乗り込んだ。ティラーをセットする。ジュンがゆっくりパドルを回し始めた。

 夜の海にディンギーはゆっくり乗り出した。

 港の中は明るい。人がいたらすぐに見つかってしまう。あたしたちは息を殺しながら先を急いだ。

「夜光虫ってどのあたりだっけ?」

「沖に出るコースのすぐ右の岩場のあたりだって聞いてるよ」

 夜の海は静かだ。港を出ると急に明かりが届かなくなる。

「あ、あれだ、ほら、ぼんやり光ってるよ、あそこだよ」

 あたしは見えたことを口に出した。

「え、どこ、見えないよう」

 ジュンがキョロキョロあたりを見回す。

「ほら、その先だよ」

 ちょっとティラーを引く。

「あ、ホントだ、なんかぽつぽつ泡みたいだね?」

 ジュンが応える。

「ちがうよ、白っぽく広がっていない?」

 船はさらに岩場へ近づく。

「ホントだ、すごい、たくさんだね」

「点々もあるよね。でもその上になんかぼおってモヤがかかってない?」

 あたしは見えるままを口にした

「いいや、見えないよ、きれいな青白いポツポツがあるだけだよ、でもきれい」

「ジュン、見えないの?」

「マリ?」

「そうか、ジュンとあたし、見えるものがちょっと違うのかもしれないね」

「どういうこと?」

「レースのときにね、ジュンが言ってたじゃない、ほら、さざ波が見えるよ、

風が吹いてくるんじゃないって」

「うん」

「でも私にはジュンが言うあたりに、赤っぽい霧みたいなものが動いているの

が見えるんだよ」

「へ、マリがそんな風に見ていたなんて初めて知った」

「ほら、そこ、ジュンはどう見える」

 あたしはすぐ前の海面を指差す

「青とか、白とか」

「あたしは青とか白とかもあるんだけど、なんだろう、白っていうか、紫っぽ

いと言うのかな、そんなモヤみたいなものが渦巻いても見えるんだ」

「ふーん」

 その時ジュンのスマホが震える音がした。

「やばい、バレた」

「電話に出るなよ、急いで戻ろう」

 ジュンがパドリングを始める。あたしも、もう一本のパドルを取り二人で力を合わせて全速力で漕ぎ出した。船を引き上げ、トップカバーを掛けたところで、左右に振られる懐中電灯のあかりが見える。


「ママだ、マリは早く行って」

「でも」

「いいから」

「分かった、ばい」


あたしは裏手からかけてゆく。背中に大人の声がした。

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