第一章 撃ち落とされた彗星

「今日で退院です、良かったですね」

ドクターが話す。

「お世話になりました」

病院の待合室には、あたしが属するセーリングクラブのオーナーが待っていた。

「ちょっとジュンに挨拶してきます。十分待っていただけますか?」

あたしはそういうと病院のアネックス棟へ上がる。

ジュンは何も変わらないように見える。別人の顔をして上を向いている。最近寝返りを打ったりすることもある。

 でも、意識のかけらが光ることはない。

「ジュン、今日で退院だよ。でもね、毎日来るからね。それまでオーナーがク

ラブに住み込みで働けばいいじゃないって言ってくれたよ。ジュンが治ったら

すぐにまた船に乗ろうよ。そのために準備しておくよ」

 そうつぶやいてジュンの病室を後にした。

 本当は海から遠ざかろうと思っていた。バイトでもなんでもすれば生きて行くことはたぶん出来るだろう。

 しかし、ジュンの夢を実現したい、自分はその道を壊してしまった、そういう負い目を強く感じた。

 ジュンが苦しんでいる。彼女をこんなにしたのは、あたしのせいだ。スキッパーとして最悪だ。下手な舵を切った。事故も避けられたかもしれない。

 いや、そもそもあたしがオリンピック代表なんて、こんなレースに乗っからなければジュンはまっとうな人生を歩んでいただろう。悪いのはあたしなんだ。

 だからペアの自分がすべてを投げうってでも、崩れたバランスを取り戻さねばならない。そして、自分が積み上げた行いが釣り合いを超えた時、世界は平衡を取り戻すにちがいない。そしてジュンは帰ってくるにちがいない。そう、あたしは結論付けるしかなかった。


「もう話してきた?」

 私達のヨットクラブのオーナーが声をかける。

「はい、頑張れって言ってきました」

「そうだね、信じよう、あの子はやると決めたら実現してきたからね」

オーナーはあたしたちにとって親みたいなものだ。二人でオーナーのセーリングクラブで育った。数々のレースに負け、勝った。いろいろなことがあった。

 オーナーは見守ってくれた。そして今回、レーサーとして退くと言ったあたしに住むちころと仕事を与えてくれたのだ。


「そこで、ゆっくり考えるといいよ」

という。


 そうか、負債を返そう。失われた釣り合いを元に戻すんだ。世界は因果律に支配されているんだ。原因があれば結果も生まれる。そのことだけを繰り返し考え続けていた。

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