修理屋ミスタと時を食べる柱時計 中編


 * * *


 納戸に戻って彼が始めたことは柱時計の確認で、焦る私の心情を知っているだろう彼はこちらを見もしなかった。私が足を揺らすことを咎めもせず、ただゆっくりと柱時計を眺めている。

 そう、眺めているだけだ。彼は柱時計を開くと、一つずつパーツを確認しながらもそれ以上をしようとはしなかった。秒針だけが刻まれ、私が鳴らす音と時計のばかりが響く。

 彼の正義を信じることに代わりはなくとも、焦りが衝動を生みそうになった頃。唐突にノックの音が響いた。つい体を揺らす私と違い、彼はまるで当たり前とでもいうように「どうぞ」と静かに答えた。

「……陸宮さん」

「お待たせいたしました」

 私が名を呼んだのと合わせるように、陸宮は一礼した。彼はその声を聞いてようやく、柱時計から扉――陸宮の方へと向き直る。

「お忙しいところお時間をくださり、有り難うございます」

 彼の言葉に、「いえ」と陸宮は短く答えた。けれどもそれだけで、続く言葉はない。

「こちらへ、座ってください。立派なお屋敷です。今なら、大きな声を出しさえしなければ外に漏れ聞こえることはないでしょう」

「……失礼します」

 陸宮はあまり感情を表に出さない。使用人として控えめにそこにある人物であり、今もその信念が形になっているようだった。

 彼がわざわざ陸宮を呼んだ。そのことにざわりと胸が騒ぐ。けれども、私ではそれ以上にならない。

 彼はすでにさまざまなことを見、拾い上げているのだろう。私には至らないことで、ならば話を聞くことが私にできる唯一だ。

「まずはじめに、お伝えしておきます。我々は警察ではありません。ただ、【時計屋】と縁があり、【時計屋】が警察に捕まるのを願い、【時計屋】が存在しない世界を望んでいるものです。私たちは多くを知らず、多く知られることを望んでいます。個人の勝手でね」

 彼の声は穏やかで、無機質にはならない。丁寧な物言いは人の良い医者のようで、けれども対峙する陸宮は表情を消したまま彼を見返している。彼は、息を吐くのに合わせて少しだけ肩を下げた。

「傷心のところ申し訳有りませんが、確認したいことがいくつかあるんです。終わった今、そして終わりきらない今だからこそ」

 陸宮は答えない。けれども、拒絶もしなかった。私は二人の会話がどうなされるのか想像できず、だからこそ黙して見ているしかできない。

 今度の呼気は、彼が背筋を伸ばし見据えるために成された物だった。

「一雄さんは【時計屋】に依頼した。……あなた方も想像が出来ていますね?」

 彼の言葉に、目を見開く。は、と音がこ零れてしまったかもしれない。彼はこちらを一瞥すると、陸宮を見ながら口を開いた。

「【時計屋】の殺害方法には法則があります。必ず殺人としか言えない状況を作るんです。それは車椅子の被害者を非常階段から突き落とすことだったり、手術後機材を外すなり少しいじればいいだけの被害者にわざわざ刃物を突き立てたりと方法は様々ですが、わかりやすさは【時計屋】が望むものだ」

 彼は静かに言葉を並べる。そう、【時計屋】は必ず、自殺や事故と思えない方法を選ぶ人間だ。【時計屋】の事件を思うとじくりと肺が圧迫される。彼の語調はあっさりしているが、その瞳は鋭い。

 病室の白が、はためくカーテンが脳裏に浮かぶ。時を計り売るモノ。そう自称する犯人の目的を私達は知らない。知らずともいい。どんなに命の残りが少なかろうとも、生きたい、と願う人間が殺されねばならない道理など無いからだ。

 なのに彼の言葉は、じくじくとこめかみを締め付ける。若松一雄が依頼した。その言葉を受け止めてしまったら、ならば、あの子は――

「歯が削れるよ、角田」

 奥歯を噛みしめる私に、彼は穏やかな声で指摘した。長く長く息を吐く。私の感情がどうであろうとなんの変化も生まれないとわかっているのに、どうにも私は感情的になってしまいやすい。

 彼は労るような微苦笑を零すと、もう一度陸宮に向き直った。

「今回の事件が【時計屋】と定義されたのは、明確な他殺と現場に落ちた砂時計。今回の砂時計は三〇分でしたよね。陸宮さんがおっしゃっていた量で計算すると、砂時計を置いてから一〇分程度で発見されている。……私も想像してみたんです」

 彼が両手を組み、ゆるり、と上背を揺らした。ゆらゆらと揺れながら、その瞳は細められる。

「発見者は陸宮さんと雄二さん。お二人が書斎に行く時間は決まっていなかった。予定にあったものではなく、陸宮さん、貴方の話では外部から連絡があったから向かった、とのことでしたね。雄二さんは偶然付き添いになられた。偶然お二人は、凄惨な現場を発見してしまった。室内に砂時計があったことと臓器がえぐり出された、明確な他殺体を見てしまった。――恐ろしい光景だったでしょう」

 ゆるりと揺れていた体が、止まる。彼の言葉は、あくまで穏やかだ。たとえばドラマであるような犯人を問いつめる語調とは違う。最初に語りかけたのと同じく、人の良い医者のような柔らかな語調のまま、単調に言葉を並べていく。

 まるでそこに凄惨な現場があると知っていたかのような言葉の内容に私は身構えてしまうのに、彼は悠然とそこにある。

「臓器については箱に仕舞われていたそうですね。さすがに、そんなこと想像もつかないですし気づかないとは思いますが――それでも、一雄さんは刃物で刺されていた。窓にべったりと血が付いていたという光景は、あなた方に驚きをもたらしたはずです。――けれどもあなた方お二人は、悲鳴を上げませんでした。救急車や警察を慌てて呼ぶこともしませんでした。ただ、自分たちで一雄さんの死を確認し、警察が必要と判断した」

 陸宮が目を伏せる。その瞼がもう一度持ち上がるまでの数秒の間に、言葉はなかった。持ち上がり、それから彼を見据える瞳は静かなままだ。

 彼はその瞳から、今度は部屋にぐるりと視線を巡らせた。

「あなた方が一雄さんを殺した、と考えてしまうこともできますが、それは短慮だとも思います。この部屋は一雄さんと雄二さんの部屋でしょう? 二人とも自室がありますし、この広い家の中の狭いスペースにわざわざとも思いますが……だからこそ、子供の頃の延長。秘密基地のようなモノなのではないかなと私は思うんです。

 お二人が生まれた時の時計と彼らが好んだ本。一雄さんから伺っていましたが、雄二さんは昆虫がお好きなんですよね。湯山さんとお話しさせていただきましたが、彼はこの部屋に入ったことを細かく言いませんでした。それは、一雄さんから雄二さんの為にプレゼントなりなんなり相談されていたからじゃないかと思うんです。一雄さんは雄二さんを愛していたんでしょうね。兄弟仲も良好で、二人とも伴侶はいない中支え合ってうまくいっているのがニホンマツ株式会社というのも知っています。殺す動機がないのは明白です」

 彼の独白だけが続く。挟まる言葉はなく、私自身挟める言葉を持たない。彼は、幾分か息を吐いた。ため息になる手前の音は、次の吸気ですぐに消えてしまう。

「血縁ではなく後継者を見つけると公言していたニホンマツ株式会社の後継者はまだ決まっておらず、社長である一雄さんが死んでしまうメリットはない。

 今回は突然の死で、間を雄二さんが埋めることになるでしょうね。後継者の育成と合わせて忙しくなってしまうことでしょう」

「……それでは、雄二さんが候補になってしまわないか?」

 あくまで沈黙を保つ賢き使用人の姿を崩さない陸宮の代わりではないが、ようやく私は言葉を差し込んだ。彼の思考を邪魔するのは好ましくないが、しかし私の言葉を彼は無碍にしない。むしろやわらかく笑むようにして、彼は私の言葉を迎え入れた。

「確かに。いくら良好とはいえ、社長職を望んだと考えられなくもないけれど――それだったら、おそらく二人の対応は違ったと思うよ。僕がもし犯人で、なんてたとえはあまりアテにならないかもしれないけれど、考えてみてごらん。死亡を確認してから呼ぶなんて、下手したら疑われてもおかしくないよ。声を上げて目撃者を増やして、大げさな芝居で悲しんだ方がいい。殺人の証拠が残っていたならまた違うかもしれないけれどね。二人の対応は、冷静すぎるんだ」

 彼はそう言ってから、もう一度陸宮を見た。ねえ陸宮さん、と言う声は相変わらずおだやかで、ただそこにある。

「若松一雄さんは、余命を伝えられるようなご病気だった。そうして病気で亡くなると都合が悪いことがあって、だから【時計屋】に依頼した。そうじゃないですか?」

 余命。言葉に、胸が騒ぐ。自身の命が終わることを知り、故に若松一雄は【時計屋】に縋ったというのか。では、【時計屋】は、これまでの事件は。ぎちり。こめかみが、頭蓋の芯が、内側を刺す。息苦しさに、あえぐことすらできない。

「あの子は被害者だよ」

 唐突に落ちた彼の言葉に、奥歯が離れた。はくり、と音になり損なった酸素はなにを成しただろうか。彼と目が合うと、彼は眉をしかめていた。

「今回の事件と混合してはいけない。それは過去の事件を理由に可能性から目を逸らしてはいけないのと同じことだ。わかるだろう、角田」

 彼の言葉に、私は頷いた。あの子は死を望んでいない。混合するなと彼が言うなら、私の事実は事実のままだ。【時計屋】は時を計り売る。今回【時計屋】が若松一雄に売ったもの、それが偶然にも若松一雄が死ぬ形だった。それだけだ。

 それに自死だろうと、【時計屋】が関わった事実は変わらない。自分で自分の臓器をえぐり出して箱に仕舞うなど、フィクションの中ですら早々起こり得ないことなのだから。なんとか自身をなだめたところで、陸宮を見る。陸宮はいぶかしがるのか案じるのかなんともいいがたい目で幾分かこちらを見ていたが、私と目が合うとすいと逸らした。

「お気になさらないでください。言ったように、【時計屋】の存在を否定したいと望む程度の縁が私たちにはあるだけです。そしてだからこそ、陸宮さん、お話を聞かせてほしいんです」

 彼はあくまで穏やかな物腰を崩さなかった。なにもかもわかっていそうなのに、教えを請う形で陸宮を見る。

 陸宮は、その双眸を瞼に隠した。呼吸の音は、こちらにはわからない。それでもかすかに肩が揺れたようで、静かな呼気を想像させる。

た時と代わり映えなくそこにある。

「……角田に言ったように、【時計屋】は過去にも人を殺しています。陸宮さんもニュースでいくらかご存じでしょう。事件の詳細まではわからなくとも、被害者がいたことを知っているはずです。今回、自身の死を望んだ被害者を手伝ったと仮定しても……他の事件はそうと言えないはずです」

 彼の声が、いくらかの堅さでもって紡がれる。交差した両指がなにかを思うように力を入れ、抜き、そして押さえつけられ。彼の少しだけ下がった視線が、陸宮の瞼をとらえる。

「外で遊ぶことを願った幼い少女だって、【時計屋】は殺している。あなた方が一雄さんの死を受け入れ沈黙するのは、あなた方にとって良いことかもしれません。ですが、そうしたらあなた方にとって、【時計屋】のニュースはひとつ色を変えてしまう。私たちはあなた方が語りやすいように、協力をしたいと――」

「簾田様」

 陸宮が静かに言葉を落とした。そうしてから持ち上がった瞼は、相変わらず物静かな瞳をこちらに見せる。

 やはり私では、陸宮の感情は読めない。陸宮が彼の感情をどう読んでいるかもわからない。彼はただ静かに頷くことで、陸宮の言葉を待った。

「私はただの使用人ですが、。貴方が欲する物を想像することも貴方が与えてくださることを想像することも出来ませんが、言葉を任されたからには、言葉を選ぶ立場でもあります」

 静かに言葉が並べられる。彼は背筋を伸ばし、傾聴を示す。陸宮は彼をまっすぐと見据えた。

「好きにお話ください。のでしょう?」

 それは彼の言葉を引き出す合図だ。彼と陸宮はなにを共有しているのだろうか。彼はほんの少し眉を下げると、首肯で応えた。

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