【最終章・野良犬の遺書】『こちょこちょ攻撃』

 正月の朝。

 一年に一度、現実離れしたような神聖な空気が街を包む。昨日までと変わったのは日付だけだと言うのに、この雰囲気はなんだろう。そんな白々しさは、嫌いではない。

 おれは、それでもチンピラのままだった。

 オカムラは小さな鼾をかいて眠っている。時間は十一時だが、起きる気配もない。バイトの休みは、今日だけだという。

 いいさ、ゆっくり眠っていてもらおう。

 おれはひと稼ぎしてくるさ。もちろん、もう運転手なんかやらない。

 新春インチキ占いでもして。皆様の財布の紐も、緩むってもんだよ。

 あれ?

 占いじゃないって、自分で前に言ってたのにな?

 ま、なんでもいいか。

 オカムラの家の近くの神社に赴く。

 なんだよ、誰もいやしない。初詣にでもきなさいよ、せっかくの正月なんだから。

 おみくじを買おうとするが、やめた。おれはインチキ霊媒師。おみくじにあやかるようになっちゃおしまいだ。

 この冬を乗り越したら、どうしようか。また、路上で金稼ぎを始めようか。そうすれば煩わしさもなく、孤独を謳歌できる。

 『ホテル・レミング』の屋根のある生活はかなり魅力的ではあるが……おれの性には合ってない。もう潮時なんだろう。

 ま、すぐに決める必要もないか。

 ――と。

 背中にミミズでも這うような、ぞわりとした悪感が走り抜ける。

 なんだ。なんだ。なんだ。風雲、急を告げるってか?

 ……おれは、これの正体を知っている。

 あいつだ。

 彼女に会うのは何年振りだろう。

 おれは、アリ地獄に落ちるアリの気持ちを知っている。

「みっけみっけみっけみっけみっけ!」

 マシンガンのように言葉を吐き続けながらこちらに迫ってくる、一人の少女。

 七五三みたいなかわいい振袖姿だが、こいつは二十一歳。

 なるとのほっぺに、アーモンド型の目は、母親そっくり。

 たしか、第三夫人。

 そして、あまりに不釣り合いな黒い眼帯。なんとか危機一発みたく。

 。その眼帯はなんだい?

「にいちゃんころころ、お寺でみっけ! やっぱ、オカムラさんちか」

 瞳をキラキラと輝かせるが、まずここはお寺じゃなくて神社ですよ。

 甘ったるいマシュマロみたいな声が、おれを包む。

 あかりは目の前までくると、ぜいぜいと息を切らした。

「やっとみっけた! どこいたのさ、まったくもー」

 そういえば携帯が止まってしまってからは、彼女と一切コンタクトを取っていない。

「仕事さ、仕事」

 恰好をつけて言うと、あかりは頬を膨らませた。

「にいちゃんは仕事なんかしなくていーのに。さ、帰ろうよ」

 体中に、無数の軟体動物が這いまわるようだ。

 身体が思い出していた。

 おれのアル中を治すために、あかりが施した「治療」。それは傍から見れば、監禁とも言う。

「すまん、おれはもう」

 今こんなところで妹に監禁されてる場合じゃない。盆と正月くらいは平和にいきたいもんだ。

「ワガママいうと、こちょこちょ攻撃だぞ~?」

 あかりはとろけたチーズみたいにだらしない微笑みを浮かべ、それとはアンバランスな黒いブツをおれの腹に押しつける。抵抗する間もなく、それをもろに食らう。

 ――びりり。

 短くて鈍い、電気の音がして。

 おれは意識を失っていた。怖れていることが、気配なく擦り寄って来ていたのだ。

 あかりさん、スタンガンを「こちょこちょ攻撃」って呼ぶのはやめましょうね?

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