賢者の胆石

第39話

39　初めての味

「やっほー。セージちゃん、お呼ばれにきたよ～。あれ？　アバレルさん、もう身体のほうは大丈夫なの？」

　後からひょっこりとシトロンベルもやって来たので、俺は４人分のステーキを焼いた。

　そしてログハウスの中に招き入れる。

　今夜の晩餐のメニューは、レイジング・ブルのサーロインステーキとヒレステーキ。

　さらに薪集めのついでに山で採ってきた水菜のサラダだ。

　どちらも塩で味付けしただけだが、素材が新鮮だからマズくはないだろう。

　あとはドリンクとして、レイジング・ブルの牛乳も付けてある。

　しかし招かれた客たちはというと、特製ディナーの前にいぶかしげだった。

「私たちは、セージと食事をするために来たんじゃない」

「そうだよ！　セージをボッコボコのギッタギタにするために来たんだ！」

　と、チャン兄妹は手を付けようともしない。

　シトロンベルはナイフとフォークを持ったまではいいが、

「これ……お肉と、お野菜だよね……？　すっごく、美味しそうではあるけど……」

　まるで危険物でも扱うように、ツンツン突くばかり。

「あ、わかった！　セージちゃん、これ、毒抜きしてないんでしょう！？　こんな新鮮なの、見たことないもん！　いくらお腹が空いてるからって、毒抜きしてないのを食べたら、大変なことになっちゃうよ！？」

「なに？　毒抜きをしてないものを、私たちに食べさせようとしていたのか？」

「お兄ちゃん！　やっぱりセージは、モッリモリにボクたちのライバルなんだよ！　風神流武闘術の使い手であることをゴソゴソ隠して、こうやってボクらをドカドカ陥れようとしているんだ！」

　しかし俺は腹が減っていたので、騒ぐ客たちを置いといてさっさと頂く。

「嫌なら別に食べなくていい。あとで俺が食べるから」

　言いながら牛肉を切り分け、口に運ぶ。

　一口噛んだ瞬間、

　……ジュワァァァァァ……！

　たっぷりした肉汁が口内に溢れた。

　コクのある油の旨味と、芳醇なバターの風味。

　そこに岩塩の、素朴ながらも深い味わいが加わり、えもいわれぬ旨味となって口いっぱいに広がる。

　今回は材料が無かったのでステーキソースは作らなかったんだが、逆に正解だったかもしれない。

　これだけいい肉なら、塩で食べてもじゅうぶんいける……！

　口直しに用意した水菜も、シャキシャキで上出来。

　塩で揉んだだけだが、肉のギュッとした味わいをサッパリとリセットできる。

　ふたつの歯ごたえと味わいのハーモニーが奏でるのは……。

　やめられない、とまらないの二重奏……！

　俺は夢中になって肉にパクつき、サラダを頬張る。

「うめえ……！　こんな美味いもの、初めてだ……！　１周目にも無かったぜ……！」

　ちなみにではあるが、毒入りのものを食べると、バラエティの罰ゲームとかである激辛料理を食べたみたいなリアクションになるそうだ。

　それはとても誤魔化しがきくものではないらしい。

　苦しさのあまり泡を吹いて気絶するどころか、最悪、死に至ることもあるらしいが……。

　でも、俺が食べてもなんとも無かったのと、あまりに美味しそうに食べていたので、来客たちも少しは興味を惹かれたようだ。

「なんともないの？　セージちゃん……」

　心配そうに俺の顔を覗き込むシトロンベル。

　なぜか熱を測るみたいに、俺のおでこに手を当ててくる。

「だから毒なんて入ってないって！　お前らも食べてみろ、うまいぞ！」

「さ、さっきも言ったとおり、私たちは食事に来たわけでは……」「そ、そうだよ……」

　ごくりと生唾を飲み込むチャン兄妹。

「なにするにしても、まずは食べろよ！　食べたら、後で相手してやるから！」

　するとようやく全員、ナイフとフォークを手に取り……。

「じゃ、じゃあ……せっかくだからいただくね。セージちゃん、いただきまーす」

「そ、そこまで言うのであれば、食べないわけにはいかないな……」

「そ、そうそう！　食べないとガッツリ相手してくれないんでしょ！？　しょうがないなぁ！」

　３人はなにやら言い訳しつつ、ステーキを切り分け、フォークで刺した。

　揃った動きで、ぱくり、と口に入れた瞬間……。

　……ドズバタァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーンッ！！

　まるで椅子の後ろ脚が突然折れてしまったかのように、椅子ごとひっくり返った。

　……あれ？　まさか毒入りだったのか！？

　俺はビックリして立ち上がり、並んで座っていた彼らを見下ろす。

　シトロンベルも、あばれるちゃんも、クリスチャンも……。

　椅子に座ったまままのポーズで、ビクン、ビクンと痙攣していた。

　焦点の定まってない瞳、紅潮した頬、舌をしまい忘れた、開きっぱなしの口……。

　３人とも、まるで変な薬をキメ過ぎたみたいになっている。

「な……な……に……こ……これ……」

「く……くち……に……いれた……ら……」

「じゅ……わぁ……っ……て……なっ……て……」

「す……す……ご……い……」

「こ……こん……な……の……」

「は……はじ……め……てぇ……」

　このまま死ぬんじゃないかと俺は心配になったが、やがて、茫洋とした瞳が自我を取り戻しはじめる。

　カアッ……！　と目と鼻と口……。

　いやそれどころか、全身の毛穴が開いたみたいな表情になると、

「おいしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ！！！！！」

　歓喜の大絶叫を、部屋中に轟かせていた。

　そこからは椅子などほったらかし、進化し過ぎたゾンビのようにテーブルに這い上がって、ガツガツとがっつく。

「おいひい！　おいひいおいひいおいひい！　おいひぃぃぃぃぃぃぃ～！！」

「うまい！　うまいうまいうまいうまいうまい！　うまぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーいっ！！」

「なにこれ！　なにこれなこれこなれこれなこれ！　なにこれぇぇぇぇぇぇぇーーーーっ！？！？」

　完全に、禁断症状を起こした中毒患者が、お目当てのモノにありついたようなリアクションだった。

　楚々としたシトロンベルも、冷静なクリスチャンも、強気なあばれるちゃんも……。

　誰もが幼児退行したかのように、口のまわりベトベトにして肉や水菜を食らいまくっている。

　彼らが元の人間に戻るまでは、それからしばらく時間がかかった。

「はふぅ……こんなに美味しいものを食べたの……初めて……」

「私も……この世にこんなに美味なるものがあるとは、知らなかった……」

「ボクも……今までモソモソ食べてたものが、なんだと思うくらいに……げちょげちょに美味しかった……」

　まるで事後のように、テーブルに突っ伏したまま、うっとりしている３人の少年少女。

　ステーキやサラダの乗っていた皿は、新品のようにピカピカ。

　みんな最後は泣きながら皿を舐めていたことは、彼らの名誉のために伏せておこう。

　しかしよく見ると、牛乳だけは手つかずだった。

「なんだお前ら、牛乳は飲まないのか？」

　すると、彼らは顔を見合わせ合ったあと、俺に向かってふるふると首を振った。

「ごめんね、セージちゃん……。私、牛乳だけはどうしても苦手で……」

「私もだ。身体に良いとはわかっているのだが、どうしても飲めないんだ……」

「ボクも。骨がボキボキ強くなって、背がギュウギュウ伸びるっていうから、我慢してグログロ飲んだこともあるけど、ゲロゲロになっちゃって……」

「そりゃ、古い牛乳だったんだろ。それは新鮮な牛乳だからうまいぞ、騙されたと思って飲んでみな」

　「そこまで言うなら……」と、あまり気の進まない様子で、コップを手にとる３人。

　まるで苦手な薬でも飲むみたいに、一気にグイッとあおったかと思うと、

「うまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ！？！？」

　飲んだばかりのはずの白い液体を、鼻から噴出させながらブッ倒れた。