にゃ病の宿 2


【「にゃ病」の発見】


 発達障害の人は生まれつき脳機能の発達が少し個性的で、得意な分野と不得意な分野とがあり、周囲の人との関係を上手に築くことができずに、社会生活には困難が生じることが多い。


 その反面、個性の強さがうまく機能すると、何か一芸に秀でた人になることになり、歴史上の偉人や有名人にも発達障害の人(疑われる人)は数多い。


 発明王エジソンや相対性理論のアインシュタイン博士が有名であるが、最近ではスティーブ・ジョブスやビル・ゲイツも発達障害であったとの説も聞く。


 ちょっと見ただけでは普通の人と変わりがない。

 だが少し見ていると何か違和感を覚える。よく見ていると、度々理解できない行動をする。

 少し変わった人、何だか妙な人、という感じである。

 あなたの周囲にも何人か心当たりはないだろうか。


 発達障害は先天性のものなので根本的な治療はできず、基本的に治ることがない。

 しかし幼少期より適切な訓練や周囲の支援を受けたり、適切な薬を使ったりすることなどにより、症状を改善することが可能だ。


 中には、その症状の特性を職業に生かして専門分野で成功する者もいるが、そういうケースは残念ながら多くない。

 また、大人になると症状が穏やかになる傾向がある。


 この障害を持つ人は、幼いうちから他人との社会的な関係性の構築が苦手で、学校や社会への不適合により発覚することが多い。


 しかし、その症状の現れ方は様々で、個人差が非常に大きい。

 発達障害は、大きくLD、ADHD、ASDと三種類の症状に分類されるが、その境界は非常にあいまいで、共通点も多い。


 三つの症状の特徴を簡単に説明しよう。


 LDとは、学習障害を指す。

 全般的な知能の発達には問題がないが、ある特定の分野だけが苦手な人である。

 具体的には、読む、書く、聞く、計算する、などのどれかが非常に得意でどれかがとても苦手だったりする。一見したところ、好きなことしかやらないでサボっているように見えるのだが、そうではない。

 苦手なことを無理してやるのは、普通の人間に比べて非常に大きな苦労が伴ったりする。子供のころ劣等生だったのが大変な苦労をして勉強して…という逸話には、LDを持っていた人が多い。

 俳優のトム・クルーズも字を読むのが苦手で、台本を覚えるのに苦労していると聞く。


 ADHDは注意欠如多動性障害を意味する。

 授業中に座っていることができずに落ち着きなく動き回る子供という印象が強く、イメージしやすいのかと思う。

 その特徴は、名前の通り注意力の散漫と体の落ち着きがない多動性、それに伴う衝動的な行動などである。

 これらが強弱を変えて混在するのだが、成長するにつれて多動性の傾向は弱くなり、大人になると物忘れや不注意、逆に他のことに気を取られて周囲が見えなくなるなど、注意欠如の症状が残ることが多いという。子供のころには問題児だった人が多く、ケネディ大統領や坂本竜馬もADHDであった可能性が高いらしい

 経営者や政治家に多いタイプだ。


 ASDは自閉症スペクトラムやアスペルガー症候群などの名前でも呼ばれる。

 これについては、少々ややこしい。

 知的障害を伴わない自閉症と呼ばれていたアスペルガー症候群や高機能自閉症といった症状と、重度の知的障害を伴う自閉症であるカナー症候群との症状の連続性を考慮して、知的障害のあるなしに関わらず、一定の傾向のある症状をASD(自閉症スペクトラム)という呼称に最近統一された。


 その一定の傾向というのが、三つある。


 第一は、自分と他人の境界がわかりにくく、人間関係の距離感がつかみにくいこと。

 具体的には、嘘のつけない正直者、相手の嘘を言葉のまま信じてしまう騙されやすい人、言葉の裏が見えず場の空気が読めない人、それらが原因となり人間関係を築くのが下手な人。それが第一の傾向だ。


 二番目は、物事へのこだわりが強いこと。

 一つのことにものすごく集中する人。こだわりが強すぎて気持ちの切り替えが下手な人、これが第二の傾向。


 最後は、感覚の鋭敏さと鈍感さ。

 五感のうちのいくつかが鋭敏であったり逆に鈍感であったりすることにより、些細に見えることに怯えたり、嫌悪感を強く感じたりする人。これが第三の傾向。

 この中には有名なサヴァン症候群というものが含まれていて、知能の遅れがあるが天才的な能力を示す人たちがいる。

 画家の山下清などがそれだ。


 これら三種の症状は脳の発達度合いの凸と凹で、それぞれ、長所にもなり短所にもなるのであるが、極端に出過ぎると、周囲からは奇異に見える場合がある。


 本人にとってその行動は避けることができず、当然の理由が存在するのだが、あまりに当然すぎてその説明がうまくできない。


 自分と他人との違いを認識できていないので、どうにもしようがない。


 しかし他人には奇異に見えてしまう行動に対して上手な説明ができないとなると、周囲の理解を得ることは難しい。


 そのまま異常な言動を繰り返すことにより周囲との溝はますます深まり、孤立して本人は理由もわからぬまま深く傷つくことになる。


 これらは普通、子供のころから周囲と違う、変わっていると感じられることにより発覚することが多い。

 しかし中には幼少のころよりそういった障害を持ちながらも、本人および周囲が気付かぬまま悩み多き生活を送り、大人になっても自覚のないまま普通の暮らしを営んでいる者も少なくない。

 大人になってから初めて発達障害であると自覚したり、医師から診断される者もいて、そういった大人向けのカウンセリングやケアを専門に行う施設もある。


 だが、発達障害を持つ本人や家族の悩みや苦痛は深く、容易に回復できるものではない。その緩和には早期の発見による早期の支援が非常に重要で、一人一人の子供の発達状態に合わせた周囲の理解と援助が不可欠とされる。

 最近では法律の改正による支援の整備も進み、地域の福祉サービスとして児童発達支援センターなどの活動が始まっている。


 ところが最近になって、後天性の要因によるものと推測される、類似した障害に悩む人々の存在が認められた。


 現在確認されている患者は全てが成人で、以前は先天性の障害が大人になって突然顕現したものと考えられていた。しかし近年の研究により、先天性の発達障害と症状は似てはいるものの、実は全く別の病気であることがわかってきた。


 その症状は様々だが、ASDに似た症状が多くみられる。

 共通するのは、相手の考えていることが読めない、自分の意見を曲げないなどのコミュニケーション障害、注意力が散漫になる、あるいは一点にだけ集中してしまう注意欠如症状、味覚や聴覚などの五感が非常に敏感になる感覚過敏や逆の感覚鈍麻などだ。


 普通に発達障害のある人は子供のころからこれらの症状を抱えているため早期に発達障害と診断されるのだが、彼らは一切の症状を見せず社会に適応して暮らしていたにも関わらず、ある日突然これらの症状が現れる。

 厄介なことに本人は今まで通りに振る舞っているつもりなので、周囲の反応が全く理解できず、一人で大いに困惑することになる。


 自分自身の変化に気付くことは甚だ困難で、それまで問題のなかった感情や行動のコントロールが突然できなくなる。

 突発的な感情の爆発や脈絡のない異常な行動が表面化して、次第に周囲との関係性やコミュニケーションが悪化し、社会から孤立していく。


 そんな中で周囲がおかしいと考えて医師の診察を受けさせるまでにはかなりの時間を要し、その間に所属するコミュニティーの中で大きな傷を負うケースが非常に多い。


 うつ病や認知症の症状にも似ているのだが、認知能力や記憶力にはあまり影響がない場合が多く、逆に専門的な職業の場合は感覚が鋭敏になったり集中力が増して、より成功に至るケースすら見受けられる。

 だが、多くの場合は人間関係の悪化を招いて、社会生活が破綻してから発覚するので、非常に始末が悪い。


 後天的な原因と考えられるのは、症例が多く報告されるようになって初めて分かった幾つかの共通点である。

 新しい症例の患者が一様に持つ条件は、仕事などによる強いストレスに晒されていたことと、過度の飲酒癖があること。そして何故か、「オタク」と呼ばれるような特定の分野に強い趣味人である場合が多いということであった。


 当初はこの最後の理由により社会的な不適合者の部分だけが強調されて、先天性の障害であろうと診断されていた。

 ところが昨今ではオタクと呼ばれるような偏在した嗜好の持ち主でも極めて普通の社会生活を営む者が多く、一概にオタク=社会不適合者と言えないことは常識である。


 次に、過労に起因する自律神経の失調や神経症、アルコール使用障害、若年性認知症などが疑われた。


 これらは部分的な症状としては似ているのだが、総じて一部の症状が重なるのみである。複合的な原因も疑われて、過去にはそういった観点から治療が試みられてきた。


 しかし総合的に見ると、五感の鋭敏さやコミュニケーション能力の減退、独特のこだわりなど、ADHDやASDとの類似性が強く指摘される症状が確かに存在する。


 そこで、この新しい症例を持つ人々が注目されるようになり、研究が始まった。


 その先駆けとなったのが、有名な「にゃ病事件」である。


 シェアハウスに暮らす二十代の女性四人による集団発症は、発覚当初から先天性の障害と思われていたそれまでの症例から、大きく逸脱していた。



  

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