掃除屋 2


 そして、今に至る徘徊の、そのきっかけとなった一軒の店がある。


 その日は月末の金曜で、街は賑わっていた。


 当たり障りのない大きなチェーン店を選んで飲み歩いていた渕上は、その日ふとした気まぐれから最近評判のいい一軒の店へと足を運んだ。


「日の出や」という名のその店は個人経営の店としては席数も多く、若い店員を何人も雇っていて活気があった。


 食べ物も酒の種類も豊富で、しかも手ごろな値段なので女性にも人気だった。


 こんな日の出のような勢いのある店であれば、一度や二度の訪問で潰れることは無かろうと、渕上は考えた。


 暖簾をくぐり店の木の引き戸を開けると、薄暗い店内は既に大勢の客で賑わっている。それでも、右手のカウンターの端には二人分の空席がある。


 左の小上がりにも空いたテーブル席を見つけた。出迎えた愛想の良い店員に一人であることを伝えると、その顔が曇る。


「おひとり様ですかぁ?」

「ええ、そうです」


「今日は週末で混んでるんですよね。ちょっとお席の方が……」

「予約で一杯?」


「いや、そうではないんですが……」

 思ったよりも簡単にはいかないようだ。


「そこのカウンターでいいんだけど」

 渕上は目の前の空席を指差す。


「いや、一席残るんで……」

 どうも、金曜の忙しい時に一人の客は入れたくないらしい。


 勢いのある店には貧乏神もやんわりと入店を拒否されるのだな、とある意味正しく感心して渕上が素直に帰ろうとすると、入口で店員が客と揉めているように見えたのか、奥から店主らしき年配の男が現れた。


「なに、おひとり?」

 店主の顔を見て、若い店員がホッとしたようだ。


 せっかく貧乏神が帰ろうとしているのに、わざわざを引き留めようというのだろうかと、その不運な店主の顔を渕上はまじまじと見た。


 そこに死相が浮かんでいたわけでもないが、何故か危うい気配を感じて、渕上は思わず目を背けた。


「困ったな……」

 店主は店の中で腕を組んで呟く。


 黙って帰ろうとしているのにそんなことを言われると、自分が一方的に無理を言って無垢な店員に絡んでいるようで、渕上は気が引けた。


 席が一杯なのにそれでも入れろと文句を言っているわけではないのだ。


 ただ目の前に空席が見えているので、ちょっと言ってみたまでである。


「いやぁ、今日はこれから混むんで、ちょっとおひとりでは……」


 はいはい、わかっていますよう、と踵を返して帰ろうとしているのだから、追い打ちをかけないでほしい。犯罪者のように追われるのは本意ではない。


 だからその言葉に軽く頷きつつ、渕上は一瞬立ち尽くした。


 店主の言葉は乱暴ではないが、強い目でそのまま二人が並んで渕上の前に一歩進んで出る。


 渕上はその圧力に押され、結局追い出されるように後退して店を出た。


 カウンターの空き二席には、二人客を入れたいようだった。


 この店では一人客が少ないので、そこに自分を入れてしまうと一席が埋まりにくい。だから常連の二人客のために空けておきたいといったところなのだろう。


 僅か一席に、ずいぶんセコい考えだと思わずにはいられない。


「またお越しください」と二人が形式ばった仕草で頭を下げる。


 自分から帰ろうとしていた矢先に何故か店を追い出されるような形になって、渕上の頭に血が上った。


 ふざけるな、こんな店二度と来るか、と口に出かかるのをぐっと飲み込み、にっこり笑って、ではまた来ます、と言って踵を返した。


 宣言通り、翌週の月曜日から、毎日その店に通うようになった。


 いくら人気の店と言っても、席数も多いので週末で無ければそんなに激しく混雑するわけでもない。


 カウンター席の隅に一人で陣取るには何の支障もなかった。そうやって月曜から木曜まで毎日店に顔を出すようになった。混雑する金曜日には、行かない。


 連日通ううちに、店員ともある程度の顔馴染みになる。


 常連客の扱いを受けるようになれば店員の愛想もより良くなるし、そもそも手ごろな値段で飲めてつまみも美味い。


 店が繁盛するのもよくわかる。これは今回に限って店は安泰かと渕上も思い始めた。


 しかし、渕上がひと月、ふた月と通ううちに不思議と他の客足は逆に遠のいて、やがて金曜日でも余裕で入れるようになった。


 そうして渕上が週に五日間通ううちに店は閑古鳥が鳴くようになり、大勢いた店員の数も減りサービスは徐々に低下して、味も落ちた。


 結局、その店は都合五か月頑張ったのだが、結果的には廃業に追い込まれた。


 渕上が毎日のように通い詰めたおかげで貧乏神の残り香が強すぎたのか、その後に居抜きで入った新しい店も、僅か一カ月しかもたなかった。


 その新店には渕上が一度しか行かなかったにもかかわらず、である。


 店を潰す気で通ったのは初めてだったが、あの人気店がみるみる凋落するのを目の当たりにすると、さすがに渕上も薄気味悪くなる。


 ただ、それでも毎日気を遣いながら違う店を渡り歩くよりは、精神的には楽な日々であった。


 それから、渕上の掃除屋稼業が幕を上げた。

  

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